Rakuten STAY Hostel Art cafe&bar Osaka Shinsaibashiは2018年6月にオープンした。
このホステルのアートデザインを手掛けたのはbarracks* anonymous design gangのKiichiro Ogawa氏。
本ホステルでは1ヵ月半毎にKiichiro氏がセレクトしたアーティストを招き、イベントを開催している。
その間、アーティストの作品が展示される。
ホテルでもあり、ギャラリーでもあるアートに満ちた空間。
Kiichiro氏のアーティストとしての哲学、そして今回のイベントの模様───アーティスト田中拓馬氏の魅力に迫る。
アートに囲まれた空間。
いかなる視点から切り取っても画になるデザイン。
このホステルに息づくKiichiro氏のアートワークは生花のようで。
立体的であり、生命力に溢れている。
近づけばそのオーラの香りを感じることができそうなほど、視覚を超えた存在感がある。
訪れた者、それぞれにインスピレーションを与える───。
Kiichiro氏のアートワーク。
己の意志と自然の在りのままの流れの間を移ろい、時に融合しながら紡がれていく。
まさに瞬間を切り取り、偶発の中に普遍性を感じる。
ゆくりないペイントに私たちは〝真理〟を見出す。
嶋津
アートに関心を持ったきっかけは?
Kiichiro
パンクロックが世の中に登場した時、センセーショナルでした。
それこそビビアンウエストウッドやセックスピストルズが大好きで。
単純に音楽だけではなく、黒のライダースに革ジャンというファッションにも惹かれた。
僕も自分で服に絵を描こうと思った。
嶋津
それはいつ頃のお話ですか?
Kiichiro
6歳の頃───でも子どもにお金などない。
なので親が捨てていたジージャンに漂白剤を塗りました。
漂白の力で生地がそこだけ白くなる。
それで白い絵(模様)を描いた。
それを着たら、良い気分だった。
そこから絵を描くことがはじまりました。
周りの子どもは画用紙に絵を描いていましたが、僕は洋服や鞄、壁───さらに言えば人が描いた絵の上などに描きました。
嶋津
今のKiichiroさんのスタイルが既にそこで完成している。
原風景はそこにあるのですね。
Kiichiro
そう。
〝描いちゃいけないところに描く〟という。
嶋津
まさにパンクのスピリッツですね。
Kiichiro
気をつけなければならないのは〝やってはいけないことをやる〟ということがパンクというわけではありません。
間違ったことを「そうじゃないだろ」と表現することがパンクです。
不思議なもので、自分で自分のことを「オレはパンクだ」とか、「アバンギャルドだ」と言っている人間は一番信用ならないw
嶋津
作家の町田康さんを取材した時に「今は〝パンク〟というものが『新古今和歌集』のようになっている」という話をされていて。
世の中での認識は〝パンクの本質〟ではなく、〝パンク〟という景物になっている。
パンクというのは本来、既存のルールや伝統を無視して───つまり、知識や技術という蓄積を一度忘れて、自分の感覚だけを頼りに進むこと。
〝不良〟ではなくて〝不良性〟だと仰っていました。
Kiichiro
まさにそうです。
スタイルではなく、生き方───スピリッツです。
自分が思うことをやり抜いた結果として「パンクだよね」というのが良いと思っています。
世の中全てそうです。
近道をして、最短コースを選ぼうとする。
良い就職口に当たるためのはどこの大学に入れば良いか、大学に受かるためにはどの塾に入れば良いか…
そういう風に行動していくとスピリットの部分が全て逆転していく。
そうではなくて「こうだ」と思って行動した結果、「パンクだよね」というのが順当で。
スタイルだけに焦点を当ててしまうと、精神性ではなく、ただ単に表層をモノマネしているだけで。
〇〇風だとか、〇〇テイストだとか。
そういうものはおもしろくない。
「こうやりたい」というものを明確に持っている人ならば相手が誰であるかは関係ありません。
共感できれば小学生でも「一緒にやろう」ということになる。
逆にどれだけ地位の高い人であろうと共感できなければ関わることはない。
邂逅
2018年、FENDIはPEEKABOO(ピーカブー)というバッグの販売をはじめて10年というアニバーサリーを迎えた。
その記念にオリジナルバッグを世界で5つ発表することになった。
FENDIが選抜した5名のアーティストが、それぞれにPEEKABOOのプロダクトをリメイクする。
Kiichiro氏はそのアーティストの中の1人として選ばれた。
〈Kiichiro⽒の作品は写真向かって左〉
12⽉にマイアミで開催されたdesign Miami期間中、FENDIで展⽰された。
オリジナルのpeek-a-boo bag この後1年かけて世界中のFENDIを周る。
Kiichiro
9月3日に連絡がありました。
嶋津
それこそパリで個展『邂逅』をされていた時。
〈フランス、パリでの個展『邂逅』~barracks* anonymous design gang HPより~〉
Kiichiro
そう、「明日から個展がはじまる」という時。
夜中まで設営をしていて、ようやく準備が整い、2時にパソコンを開いたらFENDIからメールが入っていました。
「個展なんかもうどうでもいいや」というくらいの驚きでしたw
嶋津
個展の前に、既に邂逅が訪れていた。
Kiichiro
仰る通りです。
そのきっかけがこのジャケットでした。
これを見てFENDIの社長が「コイツにやらせろ」と。
嶋津
その後ろ姿には思わずシャッターを切らせる強い力があります。
Kiichiro
〝邂逅〟というのは僕の生きるテーマで。
───思いがけない出会い。
「この人に会いに行こう」ということではなく、「今思えば、あの時の出会いがきっかけだった」───先ほどのパンクの話と同じ〝結果の中〟にある。
自分の人生のあらゆる「あの時の…」ということが、今に繋がっていることばかりで。
よく「奇跡なんか起こらない」という人がいるけど、僕はそうは思わない。
今までの人生を振り返って「奇跡は自分で起こせるもの」だと思ってます。
そう考えたら、〝奇跡〟なんて毎日ゴロゴロ起こっているんです。
それは意識しているかどうか。
一事が万事ではないですが、日々の選択や出会い、そして共感、それが全てです。
嶋津
Kiichiroさんの作品に感じる偶発性に含まれた〝真理〟のようなものは、まさに絵具一筆一筆、一滴一滴の出会いから生まれるのでしょうね。
Kiichiro
僕は基本、⽂字以外は作品には触れずに絵を描いています。
無意識の中で⽣まれるものにこそ、本来の⾃分の⼀番表現したいものが眠 っていると感じているからです。
直接作品に触れて描くと、どうしてもその 時の感情が⼊ってしまう。
ですので、作品ではなく空気に描くことで⾃分の ⼒ではどうすることもできない潜在意識を引っ張り出しています。
嶋津
パリでのお話をお聞かせください。
様々な出会いはありましたか?
Kiichiro
個展は上々の反応を頂きました。
それだけでなく道を歩いていると、「写真を撮らせてくれ」と声をかけられる。
それも1日に5~10人は。
嶋津
日本ではあまり見慣れない光景ですね。
その辺りの文化的な土壌の違いをどう受け取りましたか?
Kiichiro
そういう意味では海外にはビジネスチャンスがありますね。
日本だと良いと思っていても、わざわざ呼び止めて「それどこの服?」とは聞かないですよね。
極端な話、店に展示されているものを見てパッと入って買うということもなかなかない。
お店の人に促されてようやく店に入るのが精一杯だったり。
日本人はシャイだから自分から行くことが得意ではない。
海外の人は分かりやすく興味を示してくれるので、ビジネスとしてのチャンスが大きい。
話をすると、理解してくれる人の数も多いし、「おもしろくないな」と思えば、はっきりと態度で示してくれる。
嶋津
それは個人主義という点だけの特徴ではなさそうですね。
アートに関して慣れ親しんでいるような。
Kiichiro
アートによって暮らしを楽しむことが上手な印象がありますね。
特別なお金をかけるということではなく、リビングに絵が一枚あったり、素敵なインテリアだったり。
それが、別に子どもが参観日に描いた父親の絵でもいい。
嶋津
日本の土壌として、この辺りの改善はどのようにすれば良いとお考えでしょうか?
Kiichiro
単純に〝好き、嫌い〟を自分で言えたらいいと思います。
多くの日本人は自分のモノサシを持っていないんですよね。
例えば、絵が並べてあって「どれがいいと思う?」と質問すると「それは分からない」と答える。
「では、どれが好き?」と聞いた時に「それも分からない」と答える。
嶋津
好き、嫌いを言えるようにする。
もっと言えば、自分が〝何が好きなのか?〟を考えて(感じて)みる必要がありそうですね。
Kiichiro
そうですね。
まずは暮らしの中にアートを取り入れるところからはじめてみるのがいいかもしれません。
そこに意識を向けると、日常の姿勢が変わってくるはずです。
飾っている絵を友達に褒めてもらったら嬉しい。
「せっかくだから次はカーテンを変えよう」、そのようにして少しずつ頑張るようになる…
そうなると常に家を綺麗にするようになる、身なりも考える。
それは〝アート〟でも〝インテリア〟でも〝デザイン〟でも何でもいい。
家にいることが楽しくなると、家族が仲良くなりますよね。
きっかけはほんの少しのことです。
海外では当たり前のことが日本ではできていない。
5年なのか10年なのかは分かりませんが、日本でもその価値観を習慣づけたいですね。
嶋津
アートにはそのような力がある、と。
Kiichiro
それは確実に言えます。
天才論。
今回のイベントゲストの田中拓馬さんにも言えることなのですが。
〝天才〟の共通点は、この人に理解してもらいたいとかあまり無いんです。
言いかえれば他人が何をしてようがあまり興味が無い。
反面、世の中に理解してもらいたいという気持ちは漠然とあったりするんです。
それが特徴ですね。
アメリカの作家ジョンスタイン・べックが残した言葉が僕は大好きで。
「天才とは、山の頂上まで蝶を追う幼い少年である」
虫網を持って飛んでいる蝶々を追いかけるのですが、なかなか捕まえることができない。
追いかけて、追いかけて、気が付くと山の頂上まで登っていた。
嶋津
心の底から没頭している───〝夢中〟という状態ですね。
Kiichiro
〝楽しい〟という言葉がありますね。
この言葉の対義語は何だと思います?
嶋津
〝つらい〟でしょうか?
Kiichiro
もちろんそれも正解ですが、僕の中の答えは〝楽(ラク)〟です。
嶋津
奇しくも〝楽〟という同じ漢字。
Kiichiro
楽なことをすると〝ラク〟なんですが、それは全然楽しくない。
〝ラク〟が中心になると脳みそは腐っていく。
先ほどの蝶を追いかける天才の話ですが、本人は目の前のことに一生懸命になていて、しんどいことに気付いていないんですよ。
それよりも〝楽しい〟という気持ちが勝っている。
周りからはとてもしんどそうに見えるかもしれない。
それでも本人は気付かずに楽しさを求めている。
嶋津
頭で理解できたとしても精神の域にまで到達するのは困難ですよね。
Kiichiro
僕は命を削って仕事をしているように⾒られます。
単純に楽しくやってるだけなんですけどね。
それが周囲には⼤変そうに⾒えるのかも知れません。
Rakuten STAY Hostel Art cafe&bar Osaka Shinsaibashiはフラッシュパッカー向けのホステル───娯楽、ファッション(デザイン)、食事など、旅のスタイルにArtの要素を取り入れて楽しむ方々に向けて作られた。
〈6月に開催されたレセプションパーティの様子〉
嶋津
イベントは今回の田中拓馬さんで5回目ということですが、定期的に開催されている理由をお聞かせください。
Kiichiro
このような空間があって、一人のアーティストの作品だけを飾っていても、最初はみんな面白いと思うけど、次第に飽きてきますよね。
「それならば、月替わりで展示する作品を変えよう」と。
ホテル側もそれを見るために、新たにお客さんが足を運んでくれて嬉しい。
〝アートを楽しむホテル〟ということを定着させていきたい、と。
嶋津
田中さんとKiichiroさんのご関係は?
Kiichiro
僕が彼と出会ったのは今年の6月。
ちょうど地震があった頃です。
本当は朝の10時にこの場所で会う約束をしていたけれど、交通機関が麻痺して結局会うことができたのは夕方の18時になった。
最初に彼を見た時に「宇宙人だ」と思いました。
2、3分話しただけで、「この人、狂っている」とw
僕は狂っている人が大好きなので、もっと彼のことを知りたいと思い、このイベントに至りましたw
アーティストは、新しくものを〝創る〟ことは得意ですが、それを〝売る〟───つまり、現金化することが苦手な人は多い。
彼の一番の功績は、成果を含め、それを実直にやってきたところにあると思っています。
彼は自分の作品を平気でヤフオクに出品したりするんです。
それで実際に数字の上でも結果を残している。
彼は一匹狼のようにギャラリーに仲介してもらって値踏みすることなく、世の中に対して公平な方法で証明している。
彼の作品はイギリス国立美術館ULSTER MUSEUMにも所蔵されています。
〈田中拓馬氏〉
イベントがはじまる前、田中氏は先着5名に自身がイラストを描いたフライヤーを配った。
19時から、その紙をメルカリで販売するため。
Kiichiro
彼からすればそれは〝お金をあげている〟んです。
メルカリで売却された金額をそのままお客さんに持って帰ってもらう。
つまり、目の前にあるフライヤーがお金に変わる瞬間───軌跡を見せましょう、という。
田中氏の配ったフライヤー(A4用紙にイラストをしたもの)
メルカリで販売を開始した瞬間、5分で売れた。
価格は¥9800。
紙切れが金に変わる───奇跡が起きた。
嶋津
非常にエキサイティングな時間でした。
メルカリでのチラシの販売もそうですが、バナナの叩き売りのように数十万の絵画を売りさばいていく様子に会場は熱気で包まれました。
田中
寅さんの鉛筆の話があるのですが「これおもしろいなぁ」と思って。
あれと似たことをやろうと思いました。
『男はつらいよ』の中でのワンシーン。
家族団らんの中で寅次郎(寅さん)が青年に「この鉛筆を売ってみろ」と言いはじめる。
青年は鉛筆の機能を説明するがそれでは人の心は動かない。
「オレに貸してみろ」と寅次郎が鉛筆を取り、セールスをはじめる。
鉛筆を通した母親とのあたたかい思い出。
周りを囲んだ人の心にその情景が浮かぶ。
そしてみなが「買う」と言いはじめる。
───ストーリーの力によって寅次郎は鉛筆を売った。
嶋津
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』という映画でも似たようなシーンがありました。
ある男がペンの性能を説明しようとするけど、株式ブローカーのジョーダン・ベルフォートが「それでは売れない」と。
次にベルフォートが「この紙にサインをしてくれ」と言って、男はペンを持っていなかったので買うことになった。
つまり、ベルフォートは強引に〝需要〟───買わなければいけない状況を作った。
寅さんとベルフォートは全くの対極ですね。
Kiichiro
北風と太陽みたいな。
自分の意志で買わすか、買わざるを得ない状況を作るか。
買った方の満足度は違うよね。
突然、雨降りはじめ、〝買いたくもない傘を買う〟ことと〝お洒落な傘を買う〟のでは全然違う。
田中
絵も商材なので、コップなどの日用品と同じです。
機能性が弱いという特徴があるくらいで、商材にはかわりはない
ただ売るのが難しい。
美術業界に大企業が不在であることを考えると、そこに資本参入したところで利益が出しにくいということは分かりますよね。
つまり、それだけビジネスとしては難易度が高い。
Kiichiro
僕は田中さんのことをリスペクトしているのは「自分のことを客観視している」点にあって。
普通ならば、今まで打ち込んできたものに対して手法を変えるというのは、とても勇気が必要で。
「次はこれを試そう」ということを平気でできてしまうのは、常人を卓越していると思わざるを得ない。
僕は経営者が一番クリエイティブだと思っていて。
経営者はプロダクトやサービスをお金に換えて、社員を養い、さらには社会にも貢献する。
全てのバランスを整えた上で着地点を作ります。
〈田中氏の作品『人間寿司』〉
田中
四谷アート・ステュディウムでアートの基礎を学びました。
美大に入るためのガチガチの授業ではなく、「自分で調べ、考え、制作する」という不思議なスタイルで。
平面絵画を学ぶためにその学校へ入ったのですが、平面絵画だけではなくあらゆることを学びました。
六義園という東京の庭園に行き、5枚の紙を渡されて「5枚を使用して全体を表現する」という課題があったり。
他にも建築なども学んだりしました。
平面絵画は王様です。
あらゆるデザイン───建築、ドローイング、ペインティングも受け入れる大木な箱として平面の世界は存在します。
過去の偉大なアーティストは多種多様で、レオナルド・ダ・ヴィンチは音楽、建築、数学、幾何学、天文学、科学…とあらゆる分野に精通しています。
様々な分野を学んで、それらを統合して異なる世界を作り出します。
そこでの学びには、「天才になるための思考技術」という意味合いがありました。
アーティストとして「絵を描けばいい」ということだけではなく、〝色んなことができる〟ということが重要なのではないか、と。
嶋津
先日、とある哲学者と話をしていて。
ゴッホとピカソは活動した時期はほぼ同じ、ないしは少しずれていて。
そこには10年ほどしか差はないのだが、ゴッホは亡くなってから評価されたけどもピカソは生きている間に評価を受けていた、と。
その理由は、ゴッホが時代を待てなかったということが一つ。
もう一つは「ピカソはプレゼンテーションがうまかった」という話で。
田中
〝売る〟という行為はアーティストにとっては対極というか、難しい領域で。
アーティストは内的世界の人が多く、人付き合いという能力とはまた違う。
先ほどの話に繋がるのですが、〝色々なことができる〟ということが重要で、僕はマーケティングを学んでいたので絵とマーケティングの2点を重視しました。
日本という国は、基本的には中国の文化を真似て、亜流から発展していったという経緯がありますよね。
僕はバスキアのテイストを下敷きにして絵を描いたりするのですが、やはり過去に共通認識がなければ理解されません。
それはお互いの共通認識の上で成立している部分があって。
そこに日本の特徴を注入すると理解されやすい形になる。
これは販売の時にも言えるのですが、全く異質のものを持ってくるとやはり難しい。
同じ文化という下敷きがなければ理解に至らない。
例えば、東南アジアの絵画は僕たちの感性として受け入れ難いけれど、同じ東南アジアのものでもそれが仏教画になると途端に理解しやすくなる。
そういうことってありますよね。
アートの進む道。
田中
今、アート業界って村上隆さんや草間彌生さんのような〝アート〟というブランドを使った色んなグッズを販売する流れと、最先端テクノロジーを使ったプロジェクションマッピングなどのチームラボの流れがあって。
3つ目の流れとして先ほど話したダヴィンチのような発想力───アーティスティックに他のものを生み出すという方向があるのではないかと思っています。
嶋津
業界をボーダレスで、ということですね。
田中
そういうことをやってみたいですよね。
嶋津
今、話に出た村上隆さんや草間彌生さんを筆頭にアートとファッションのコラボレーションが急速に蜜月な関係を生み出してきました。
小川さんもFendiとのコラボレーションが発表されたり。
アートとファッションの関係性は今後どうなっていくと思われますか?
田中
アートが最も弱い要素は機能性です。
インテリアや投資ということはよく言われるのですが、〝機能性〟という点においては非常に弱い。
小川さんを見ていて驚いたのは、服に描いていますよね。
普通、絵というのは部屋の壁にかかっているというようなインテリアの役割、若しくは投機として。
服だと機能性が大きくなる。
まだまだこれからの社会で求められていくと思います。
Kiichiro
この前パリに行った時にジャックさんというアーティストのアトリエにお邪魔しました。
彼は絵も描いているのですが壺や食器にも絵付けをしています。
すごく素敵なものがたくさんあって、実際にそれらはよく売れます。
それがキャンバスに描いた瞬間売れなくなる。
キャンバスに描くと芸術作品として見る目が厳しくなる。
同じ絵でも、一方では10万円のキャンバス、もう一方では10万円の器だとすれば、器の方がよく売れる。
それはやはり〝機能〟が存在するから。
嶋津
なるほど。
経済的な理由もありますよね。
キャンバスとしてはなかなか買えないですが、草間彌生のTシャツだったら、気軽に手を出せるw
Kiichiro
その部分は大きいですね。
僕も今回のようなイベントを開く時、アーティストに「1万円、2万円で買える作品も展示してね」と伝えています。
もちろん50号、100号の100万円クラスの作品を買ってもらいたいという気持ちが根底にあるのですが、そこで1万円の作品を買って帰った人も100万円の絵を描く人の空気を持って帰ることになる。
アーティストの一部に自分も入れたというか。
自分が作品を買ったということで、ちょっと上にあがった気持ちになれる。
1980年代で既にデザインは出尽くされていると思っていて。
それは音楽にしても言えることだと思うのですが。
今、世の中に新しく出ているモノって、全て編集されたモノ───過去のモノをブラッシュアップしているだけですよね。
メゾンブランドがアートに関するプロダクトを手掛けていますが、所詮プリントですよね。
確かに、出発はアートだったかもしれない。
でもそれは単に切り口に過ぎず。
切り口がなくなれば、次の切り口へ。
嶋津
創造ではなく、切り口の消費。
Kiichiro
それこそGucciのように、昔赤のラインにGという金のバックルだけで頑張っていたブランドが、突如アレッサンドロ・ミケーレがクリエイティブディレクターに入り、ゴロっと変わった。
アーティスティックなことをするようになった反面、何でもアリになってきた。
嶋津
気軽にインスタグラマーとコラボレーションしたり。
Kiichiro
今まで誰もがやっていなかったことをやりはじめて、ハチャメチャになってきた。
僕の予想ではデザインはもうすぐ破綻すると思います。
今は切り口が湧き出ているから良いけど、その流れが過ぎればやることがなくなり、元に戻るのではないかと。
今はその過渡期だと思っています。
Hope Of Art.
Kiichiro
アーティストというのは作品も大切ですが、その人との関係性(人間性)も重要です。
「この人から買いたい」という。
作品よりも「その人自体がすごい」という認識ができればいいと思っています。
メモ一つだって価値が高まる。
ピカソが描いたメモの切れ端だったら、100万200万で売れることはありうるわけですよね。
これからは作品よりもその人のキャラクターではないでしょうか。
嶋津
パーソナリティを大きくする。
Kiichiro
アートというものは〝アーティフィシャル〟───つまり人工的なもの。
人が作るモノです。
「誰が作り出したのか」ということは重要ですね。
景気の良い時の方がアート作品って売れるような印象がありますが、それは投機的取引のためで。
貧困や戦争、究極では生きていくことだけで必死になっている時にこそ、人間は希望を求める。
そういう時こそ、アートの力は求められると思っています。
石一つでも表現ができる
それこそ核戦争が起きた時、瓦礫の山になった時、人に生きる希望を与えるものがアート。
危機感というか、そういうものと共存しているような気がしますね。
《Kiichiro Ogawa(小川貴一郎)》
6歳の頃からパンク・ロックの影響でデニムジャケットに漂白剤で骸骨を描いた事をきっかけに服に絵を描き始める。 20年以上建築の世界に従事した後、アーティストとして独立。現在は舞台衣装、衣服、バッグ、家具等に描く。 また、国内外のホテルのアートワークを手掛ける傍ら、アート・インテリア・ファッション・音楽などの生活芸術を コンセプトにしたイベントを主催し、毎年 6 万人以上の人を集めるプロデューサーとしての顔も持つ。絵の具を使わずペンキを用いるのが特徴。barracks* anonymous design gang として日本国内だけでなく海外でも活動する。作品そのものよりも、その周辺に起こる現象が結果として作品となるアーティスト。生きること自体がアートであり 誰もがアーティストであり、人生を謳歌することの素晴らしさをひとりでも多くの人に伝えたいと日々考えている。
《田中拓馬》
1977年東京都生まれ。 早稲田大学法学部卒業後司法試験のため体調を壊し、リハビリも含めて始めたアートが今の作家としての始まり。 路上パフォーマー、ピーターフランクに影響を受け、浦和の路上で絵を売り始める。1枚1,000円という破格の値段とポップな画風が好評を呼び大量に売れる。銀座でも路上販売を開始。現在120点以上の作品を購入したコレクターとの出会いはこの場所。 リーマン・ショックをキッカケに売上が激減する。新天地を求め、上海へ。地図を片手に100件以上のギャラリーを回る。上海大手ギャラリー杰藝術(2000平米、700坪)で、日本留学経験のあるオーナーに気に入られ、個展の権利を手に入れる。日本人初。 その後、ニューヨークにも飛び込みで営業をかける。ブルックリンPIEROGI GALLERYで取り扱いが決まる。2015年、ニューヨークのNPO団体Chasamaで個展を開催。2016年Chashamaから招待をうけパーティーに参加するため渡米する。 ナショナルジオグラフィックチャネル・エクゼクティブ・プロデューサーで、エミー賞受賞作家・ロバートパランボ(Robert Palumbo)さんが、有力なコレクターとなる。 今までに売ってきたアートの数は2000を超え、この年代での個人の作家としては群を抜く。 また、素晴らしいバランス感覚の持ち主であり、作家としての自分と、他人と自分の境界線、社会情勢、ビジネスなどあらゆる分野において俯瞰視できるその生き様は、アーティストだけではなく、あらゆる業界の人間も勉強になると言える。
さらに、社会実験的な部分もあり、自らの作品をヤフオクで販売するという大胆なこともできる度胸と自信を持ち合わせている。