ライフスタイルとクリエーションの狭間で。

空っぽの部屋は、これから立ち込める熱気を既に予感させていた。
この胸騒ぎは今からここを訪れる観客たちに共鳴していくに違いない。
時間の経過と共にフェードインする空間───ヴァニラの香りに包まれ、メロウな音楽で満たされていく会場。
扉は開かれ、次々と人が雪崩れ込む。
無色透明だったものが徐々に形を現わしていく。
予想通り、胸騒ぎは激しくなっていた。
このエッジの利いた企画にフックがかかった「鋭い感性の持ち主」で客席は埋まった。
めいめいの個性派が、一つの空間で調和される。
2018年2月14日───。
京都精華大学で学生集団「S.U.C.C.」が企画するトークイベントTHE PANEL が開催された。

ここで生まれたトークセッションは非常にエキサイティングであった。
対話の中で新たなヒントが生まれ、同時多発的にリンクを起こし、遊戯的に展開する。
タブをクリックすると別のタブが開き、次々と過去のアーカイブが表示されたり、自然と新たなムービーが流れ出したりするように、彼らの頭の中にあるイメージが次々と反応を起こしていった。
それは、こよなく鮮やかで、刺激的な風景であった。
議論は成熟し、理解が深まり、さらに新たな発想の種をその場に撒き散らした。
私はその撒かれた種を拾い集め、この記事を執筆した。
その時は「無駄」だと思われていた言葉たちも、じっくり(何度も)観察すれば異なる表情を見せた。
それらは腐葉土となり、深い理解へと導くための栄養となっていたのだ。
さぁ、読者の貴方にも「知の熱狂」を届けよう。
THE PANEL
「テクノロジーの進化と、これからの音楽とファッション」
【コーディネーター】
・光嶋崇(アートディレクター/京都精華大学ポピュラーカルチャー学部非常勤講師)
【パネリスト】
・藤原ヒロシ(fragment design主宰/京都精華大学ポピュラーカルチャー学部客員教授)
・VERBAL(アーティスト/AMBUSH®クリエーティブ・ディレクター/m-flo/PKCZ®/HONEST BOYZ®)
・源馬大輔(クリエーティブ・ディレクター)
・鈴木哲也(クリエーティブ・ディレクター/元honeyee.com編集長)
・政田武史(画家/京都精華大学ポピュラーカルチャー学部非常勤講師)
・中里周子(ファッションデザイナー/東京藝術大学大学院・博士課程在)
・前田流星(S.U.C.C代表/イラストレーター/バレーボウイズ)
・今田早紀(S.U.C.C)
テクノロジーの進化には副産物が生まれる。

〈光嶋崇〉
光嶋
「今回のテーマは『テクノロジーの進化と、これからの音楽とファッション』ですが、一様にテクノロジーと言っても色々あります」
藤原
「このテーマのきっかけは、僕が精華大学での授業の中で『テクノロジーの進化はどういうことなのか?』と考えていて。
よく言われるのが『モノを小さくする』ということですよね。あるいは『様々な要素を一つのモノに集計させる』こと。携帯電話がその代表です。
テクノロジーの変遷を説明するのには『音楽』というのはすごく分かり易い。
もともとレコードが無かった時代は、人は広場やホールに集まって音楽を聴いていた。
ある日、それが30㎝のレコードになった。それがまた12㎝のCDになり、今やMP3になってクラウドから音楽をダウンロードするようになった。
テクノロジーの進化によって便利になった。音楽が持ち運び可能なものとして色々なところで聴くことができる。しかも無料で。

〈藤原ヒロシ〉
副産物として様々なアートワークが付随していった。レコードにおけるジャケットのようなものが、クリエイティビティの対価としてね。
そういうことを思いはじめたんです。
テクノロジーの進化はクリエイティビティとどのようにして結びついていくのか。
これらはファッションや音楽の業界がこれから直面していくことになると思うので、そのようなことを話すことができればと思いました」
光嶋
「僕もデザイナーをしていて、レコードのジャケットを作ったりしていたのですが、ここ最近はそういった仕事がなくなりましたね。
僕の兄はスチャダラパー(日本のHipHopグループ)のBoseというラッパーで。
かれこれ29年前くらいのことですが、兄がラップをやりはじめたくらいの頃で、僕がその現場へ遊びに行ったら藤原ヒロシさんがスケボーに乗って現れた。そういう古い付き合いで僕の大先輩にあたるのですが、当時からオモシロイ認識を持っていらっしゃった。あの時代にアナログレコードのこともテクノロジーとして扱っていましたよね?」
藤原
「当時にしたらアナログレコードもテクノロジーですよね。あれは紛れもなく進化だった。
みんなびっくりしたんじゃないですか?家で人の声が聴けるということに」
光嶋
「ファッションについてはどうですか?例えば暖かい素材のようなものなど、テクノロジーの進化で安く大量に作れるようになりました」
中里
「技術が発達することでどんどん人の手を離れていって新しいものが生み出されています。ただ思うのが、テクノロジーという言葉自体が若干『古い』という印象があります。『科学技術館』のようなイメージというか。進歩しているのだろうけど、そこに留まっている。オールドで、ギーク(マニアックな技術や知識を有する人、特にコンピュータに関して)な感じがする」
藤原
「テクノロジーの進化そのものが止まった、ということですか?」
中里
「いえ、進化は全然止まってはいないんです。むしろずんずんと先に行っているのだけど、テクノロジーという言葉が当たり前過ぎて、なんだか古臭く感じる」
鈴木
「テクノロジーという言葉に、『ファンタジックな未来』がセットになっている未来モデルというものがきっとあったと思うんですよ。テクノロジーが進化するとSF的な、いわゆるアニメやマンガ的な未来の生活があるように見えていたのだけれど、今はそうではない方向へ進んでいるんじゃないかな?ファッションにしても音楽にしても」
今田〈S.U.C.C〉
「この前発表していたMargielaのクチュールのJohn Gallianoがやっているラインで、ファーストルックでフラッシュみたいなものが焚かれて、コートの色が一瞬変わるというルックが出てきたんですけど。なんていうか、すごくギャグっぽかったんですよね。テクノロジーの取り入れ方が。テクノロジーを使って服の色が変わるということを仰々しく、それをメインにしているわけじゃなくて、本当に『一瞬色が変わる』という。そういうライトさみたいなものが逆に私はカッコイイなって思いました」
藤原
「中里さんが仰っていた、『テクノロジーを前に出し過ぎると恥ずかしい』という感覚ですね」

〈中里周子〉
中里
「確かにギャグのような感じで転用するというのは、もしかしたら世代間で美意識の差みたいなものがあるのじゃないかなって思います。
私はもうすぐ30歳になるのですが、いわゆるネットカルチャー世代。一括りされるのもどうかとは思うのですが、そういう世代の自分たちって、Windowsとかのデスクトップの青い空と緑に広がる地平線ってあるじゃないですか。
ああいう薄っぺらい大自然みたいなものに対して、逆に共感できるような。
そういったフェイク感みたいなものに惹かれるというか。
ペラペラしているものに対して美意識の中で共有している部分があるのかなぁって思っていて」
藤原
「なんかちょっと分かる気がする。画面に広がる青い空と緑、っていうWindowsっぽいやつね。でもあれは向こうとしては、本当に人の心を癒そうと思って使っていて、僕らが感じるように小馬鹿にされようっていう意図はないですよね?」
中里
「その真面目な、真摯さみたいなところが」
藤原
「逆に小馬鹿にしているわけ?」
今田〈S.U.C.C〉
「バカな感じですよね」
藤原
「分かる」

〈鈴木哲也〉
鈴木
「社会の要請として、『もっと便利で合理的に』っていう時に、クリエーションが乗っかる余地っていうのがどんどん減っちゃっているんじゃないかってこと。
その中でクリエーションを残していく、生き残っていくためにはどうするんだっていうのが、今日のテーマなのかなって思うのですけど」
藤原
「僕はどっちかというと(テクノロジーにクリエーションを乗っけるのは)無理矢理感があるのかなぁって思うんですよ。テクノロジー的なものを洋服とかにくっつけていくのは、古くなった時に使い物にならなくなる」
源馬
「チョイスの一つが増えるだけだと思うんですよ。
新しいもの全てが最高だというわけではない。本来は新しいものが最高であるはずなんですが、ファッションにおいては『新しいものが最高である』とは言い切れないと思っています。石油を使わずにタンパク質をデザインして繊維を作ったり、その質感を心地良いものにさせたり、テクノロジーにはそういう魅力的な要素はあると思うのですが」
藤原
「裏方的なテクノロジーという」
源馬
「そうですね。
それが裏だけでなく表に出ているテクノロジーにしてもそうだと思うんです。僕は音楽でいうとMP3っていうのがすごく嫌いで、何かビジネスとクリエーションで、ビジネスが勝っちゃった瞬間なんじゃないかと思うんですよね」
藤原
「でもでも、iPhoneにはいっぱい音楽入ってるでしょ?」
源馬
「入ってないです。数少ない抵抗です」

政田
「自分が子供の頃、ドラクエ3が最先端だったんです。荒いビット画のゲーム画面を、パッケージのメインヴィジュアルを元に想像力を補って楽しんでいた。今は、何でもクリアに見せ過ぎていて、自分の想像が入る余地がない。それが淋しいなぁって。テクノロジーの功罪じゃないでしょうか」
VERBAL
「先ほど仰っていたテクノロジーをファッションへ盛り込むっていうのは、プロットタイプ(試作品)になればいいのかな、と思っていて。つまり、提案としてのものです。
無理矢理にテクノロジー入れないと、っていうプレッシャーはもちろん要らないと思います。例えばBRITA(ブリタ)っていう浄水器があって。カートリッジが古くなったらセンターに報告してくれて、新しいのが届くんですよ。それはテクノロジーの便利な利用のされ方だと思います」
藤原
「僕が感じていたのは、例えばスノーボードウェアで、Bluetoothのリモコンがあるという。それ自体は『すごい』と思うのだけれど、ただそれだけで。実際にはファッションの邪魔者になってしまっているんですよね。どれだけデザインが良くても、やっぱり十年後にはそれはもう使えなくなってしまうっていう。
いわゆるガジェット(目新しい道具、面白い小物)と一緒になれないのかなぁっていうのはありますね。便利さだったり、ライフスタイル感としては良いんですが。
VERBALの言ったBRITAにしろ、テクノロジーにおいて便利なものはすごく良いと思う。でもクリエイティブの面からだと融合するのは難しいんじゃないかなぁって」
源馬
「方法論としてはすばらしいことだとは思うのですが、なかなか洋服自体はそこまで変わらないという」
鈴木
「結局、感性の部分で、洋服だったら『かっこいい』とか『美しい』とか、そういったところが大事になるわけじゃないですか。テクノロジーの進化の副産物で、人間の感性が変わるということもあるわけですよね。写真の発達によって絵の描き方が変わったり、あるいはコンピューターを通して作る音楽が意外とかっこいいだとか。
テクノロジーが便利になるとか、合理化するのではなくて、そのものが持つデザインだったり、新たな美しさへの発見というか、人間の感性を刺激できるようなものであれば多分共存できるというか、一緒になってくるのでは?」
VERBAL
「例えば白いシャツで『一生襟の周り黒くならない』みたいな。ケチャップをこぼしてもすぐに白くなるみたいなものならウェルカムですけど。一時期はやったクラブに行ったら音に合わせて光る服みたいなことではなく」
鈴木
「90年代のハイテクスニーカーって、機能重視で作られたデザインでしたよね。今、Balenciaga(バレンシアガ)とかああいったハイブランドがある種のオマージュとしてスニーカーを扱っていて。あのデコラティブな、ごてごてしたデザインがカッコイイってなっているじゃないですか。
90年代のAIR MAX(エアマックス、Nike製のエアバッグ搭載シューズ)みたいなものは機能性がそのデザインを作ったはずだけど、『そこで作られたデザインをカッコイイと思えちゃったらファッションになれる』みたいな。そういうことなのかなぁとは思います」
藤原
「『汚れないシャツ』というのもすごく面白くていいかもしれないけど、やっぱり汚れているものを買いたい。古着として買うこともあるわけですよね。自分が着ていた白いシャツがどんどん汚れていって、ケチャップのしみがついて、その方が良いっていう人もいる。その良さも確かにある。
かといって、その汚れないテクノロジーというのはそれはそれであっても良いから、やっぱり一つの選択肢として存在する方が良いのかもしれませんね。全てが全部とって変わるというよりも、一つの選択肢としてあるという」
VERBAL
「永遠に汚れないシャツを開発できたら、紳士服として大きなビジネスになりそうですよね」
藤原
「でも一回きりですよ。誰も買い換えないから」
VERBAL
「確かにwww」
光嶋
「エジソンが言ったやつですね」
藤原
「そう、『電球が切れなかったらやっていけないよ』という」

〈VERBAL〉
光嶋
「でも、思いついた方向にはテクノロジーの技術は向かいそうですね。汚れないものはきっと開発しているでしょうし、それだけじゃなく汚れにくいものとかね。管理がしやすいもの、例えばアイロンをかけなくて良いとか」
藤原
「実際、中里さんはデザイナーとして汚れない生地があったら使いたいですか?」
中里
「それはそれで良いとは思うのですが、私にはあまり魅力的に感じません。ファッションとしてテクノロジーを用いた時に、手段と目的が逆転しちゃうっていうのがある」
藤原
「それをそろそろ分けてもいいかなぁと思うんですよ。
『汚れないシャツ、汚れない生地』というのもそれはそれでテクノロジーをライフスタイルとして欲している人はいるだろうから。
僕らファッションの方は、汚れたり破れたりする方が今でも良いんですよ。『ファッションってそういうものですよ』って。分けるっていうのは難しいかもしれないが、共存というか。どちらかというと振り幅的には、『汚れない素材はライフスタイルの方面でやってください』という。
僕ら(ファッション)は50年前の革ジャンもたまには着たいし、これから先も今作ったものが50年後に汚れた状態で着てもらえたら嬉しいしっていうものなんじゃないかな」
中里
「個人的には全く無意味な機能みたいなところに『すごく注意力がかかっています』ということの方がクリエーションとしては面白いですよね」
藤原
「そうですよね。そこにファンタジーを感じる」

〈源馬大輔〉
源馬
「テクノロジーの進化で得られるものはチョイスが増えること。それをどう使うかというところが問題になる。僕がやっているようなことは極端に言えば『パリコレなんてどうでもいいよ』ということで。でも、僕はそこに死ぬほど力を注ぐし、それがやっぱり僕たちの人生だし。そのファンタジーが人を幸せにすると思うと、テクノロジー以外にもやれることはあるのかなぁとは思いますけどね」
鈴木
「やっぱり、テクノロジーを使おうと使わまいと、そのプロダクトがカッコイイと思わなかったらファッションじゃないですよね。
『ただ便利なだけ』というのはファッションとして要らないということ。コモディティというか。
逆に何がファッションとテクノロジーを共存させることができるのかっていうのは、やっぱり『人』だと思うんです。そこがクリエイティブ・ディレクターやファッションデザイナーの仕事。ブランドっていうものをどういう風に考えていくのか、という。もの作りじゃない部分で、カスタマーとのコミュニケーションにインターネットに代表されるようなテクノロジーを使っていくというのが主流になっていくのではないでしょうか。
作るもの自体はアナログなんだけど、プロダクトの届け方やプレゼンテーションの方法が変わってくるのではないでしょうか?」
源馬
「僕なんかはわりと古いことをしていると思うのですが、やっぱり新しいものに対して拒否反応をしないように努力しています。
ファッションデザイナーの方はテクノロジーを好まない人も多いと思うのですが、プロモーションの方法とかにはデジタルなものを使いたい。多くの選択肢から正しいものをチョイスしたい」
鈴木
「コミュニケーションとして選択肢がたくさんあっても、作っているものは常にカッコいい。自分たちが信じるカッコいいモノで変わらないというところでなら担保できる。そういう発想ですよね」
源馬
「ただ、作るものは時代に合わせているのは事実だと思うんです。Bluetoothをつけたりというのも一つの例として。時代にはどうしても逆らえない」
《テクノロジーから見たファッション》と《ファッションから見たテクノロジー》は見えている世界が大きく異なる。
テクノロジーは芸術性を生み出すよりも先に、利便性を具現化する。
利便性は合理化とも言い換えることができる。
そうなると、「無駄」を主燃料とするクリエーションは収縮していかざるを得ない。
テクノロジーがライフスタイルと相性が良い理由は、合理的である点においてお互いが需要と供給の関係にあるからだ。
テクノロジーは合理化を得意とし(その原因は人間が今のところそのような役割としてしかテクノロジーを操作できていないことによる)、ライフスタイルは合理性を求めている。
利便性を求めて作られたファッションと、芸術性を求めて作られたファッション。
この構造をベースにテクノロジーについてのディスカッションが展開された。
源馬氏はテクノロジーの進化をポジティブに「選択肢が増えた」という捉え方をし、藤原氏はさらに「選択するのはいつだって人間側」であることを強調した。
結論として、ライフスタイルとクリエーションを共存させることがファッションの未来になると予測された。
鈴木氏は、そのキーとなるものは「人」であると回答を導き出した。
それがクリエイティブ・ディレクターであり、ファッションデザイナーの役割である、と。
新しいモノ、古いモノ、そしてSNSの距離感。
藤原
「僕らは進化をなんとなく見てきた。時代の流れの中で進化だったり変化だったりを感じているけど、ここにいる二人は(S.U.C.C)あんまりないですよね?子供の頃からスマホと同時に育った感じですよね?」
前田〈S.U.C.C〉
「そうですね。レコードの方が新しい。アナログのモノの方が新しいという感覚ですね」
藤原
「レコードを骨董品の一つとして捉えている」
前田〈S.U.C.C〉
「そうですね。レコードのノイズ感が良いと思って使ったり、カセットを買ったりとか。ヒロシさんたちの時代に比べると全然違うレコードの聴き方をしているのだとは思いますね」
藤原
「『レコードしかなくてレコードを聴いている』のとは違って、選択肢の中の一つという聴き方としてのレコードというチョイス。それはさっき皆さんが仰っていたことですね」
VERBAL
「昔はレコードもストーリーテーリングの一環で、キュレーションだったじゃないですか。
ジャレットツェッペリンのアナログ買ったら『ジャケ見て、これ実は逆再生したら悪魔が唱えている声が聴こえるんだぜ』みたいな都市伝説があったりだとか、色んなロマンがあって。
アナログ一枚から色んなイメージを彷彿させたと思うのですが、今は多分聴き方が違っていて。ファッションアイテムの一つだったりする。逆に今のMP3以降で育った人たちはキュレーションの方法が多方面になっていて、より高度になっていると思うんですね。
アーティストの見せ方一つにしてもそうです。2、30年前はミュージックビデオしか方法がなかった。今の子は毎日Instagram(以下インスタと表記)で何かを投稿していて。『こんな髪型してます』とか『ちょっとだけ楽曲UPします。だからプロフィールとして聴いて下さい』みたいな。結構色んなことしなきゃいけないので、キュレーションの量が大変なのかなぁって」
前田〈S.U.C.C〉
「僕らもバンド活動(バレーボウイズ)をしていて、SNSの発信というのは常識というか、そこはマストとしてやっていかなくちゃいけないっていうのはあります。それをしない方がおかしいくらいの環境だと思いますね」
藤原
「今田さんはSNS見たりします?」
今田〈S.U.C.C〉
「見ます」
藤原
「例えばインスタで見て、『この洋服いいな』って思った時に『これを買いたい』と思ったりするんですか?
僕らの世代というか、SNSのなかった時代とは違うのかなぁ?僕たちは一つの写真から得る情報量というのは実はすごく多くて、そこに写っている靴だけじゃなくて『その靴の裏にあるあのポスターは一体何だろう?』とか思っていましたよね。そういうのは今でもあるのかな?」
今田〈S.U.C.C〉
「すごく分かります。SNSとかインスタとかでは底なしに画像が見れるわけですよね。
自分が記憶していない画像も見ている。その中で自分がピンときたものが現れた時に数秒留まったり。他の画像と何らかの差異がある。でも、その裏側がもしかしたら張りぼてかもしれないじゃないですか。過剰に言えばですけど。だからあまりインスタとかを信用していないというか。少し引いた感じで、距離を置いて見るようにしていて」

〈 前田流星(S.U.C.C)〉

〈今田早紀(S.U.C.C)〉
藤原
「先ほどの源馬教授の視点で、新しいものを取り入れるという話で。つまり『オープンマインドでいる』ということ。中にはそうじゃない人もいる。デザイナーの中には、そういった新しい価値を入れないで、黙々と自分のやるべきことをやるっていう。それを政田くんとも話したんだよね。『写真』という表現方法ができた時の話を」
油絵具も中世ではテクノロジーとして扱われていた。
ルネッサンス期は科学的な遠近法や人間的表現を尊重した写実主義の時代だった。
カメラオブスクラ(写真の原理による投影像を得る装置)はあったのだが、それは専ら素描するための役割しかなかった。
───そして、19世紀のはじめに写真が登場する。
レンズから写された絵は、本物そのままだった。
人々は驚愕し、感動した。
この事実は画家から仕事を奪うことを意味していた。
何故ならば、「彼らはもう肖像画を描かなくてもいい」ということを突き付けられたからだ。
程なくして、その新たなテクノロジーに反抗するように今までになかった独特の質感を持つ絵画が現れはじめた。
それらは「印象派」と呼ばれた。
写真に対する画家の焦りと恐怖が生み出したクリエーション。
彼らは葛藤の中で、「絵というものは何か」を再発見したのだ───。
政田
「高校生や大学生の時は印象派の絵が好きではありませんでした。正直、実物を見るまで印象派の良さというのがよく分からなかったんです。それがロンドンに行った時に衝撃を受けて。彼らのすごい焦りというか、『こういう絵をつくりたい』というのを再発見していった絵の力を感じた。そういう意味で、体験するのが大事っていう。
あと、ルノアールが思っていたよりもキレイじゃなかった。あの絵って結構インスタ映えするとは思うんですけど、実物を見た時の絵の具の塗り方がかなり不細工だった」
会場www
藤原
「それがいいんじゃないの?」
政田
「そこが良いっていうのは写真では分からない。だから体感ですよね、絵画体験。
ファッションもそうだと思うのですけど、体験からフィードバックして『これはどういう風になっているのだろう?』というのが大切で。
展覧会なんかでもインスタなどのSNSにみんながアクセスする。でもその表面的な情報を見て行った気になり、実際には展覧会には行かない。そういう風潮ってありますよね」

〈政田武史〉
藤原
「さっき政田君が言ったことですごくいいなぁと思ったのが、写真というテクノロジーが出てきて、油絵を描いていた人たちが焦りはじめ、『俺はこう描く』とか『こういうタッチを残す』とかいうところで。やっぱり新しいものが出てきた時の切磋琢磨感がいいものを作り出すと思うんです」
鈴木
「写真というものができて、『絵って何だ?』ということを改めて考えたってことなんですよね」
藤原
「そうだよね。だからアナログレコードというものが見直されているのも、そういう何か奥行きのある、ファンタジーがあるんじゃないかっていうことですよね」
光嶋
「ファッションだったら、ファストファッション(低価格で、かつ流行を素早く取り入れた商品)だけだから、そうじゃないことは?」
源馬
「どうなんですかね、僕なんかは後ろからまくられているうちが華だって思っていたし、色んな価値観の人がいて然るべきだと思うので。僕たちが『ハイハイ、ファストファッションですか』って否定する必要もないし。ただ、色んな思考の人がいるので、とにかく努力することが大事なんじゃないですか?
クリエーションに対して闘っていかないと未来がない」
ストーリーが価値を創造する。

光嶋
「音楽も今iPhoneがあればGarageBand(macOS/iOS用の初心者向けの音楽制作ソフトウェア)で一時間ほどで作れますものね」
VERBAL
「そうですね、ファストファッションもそうだと思うのですが、音楽も今、ぶっちゃけ誰でもDJになれますよね。スタジオと機材があれば1、2時間でやり方覚えてやれるんですけど、最終的にテイストだったり、アーティストやブランドの持つストーリーがファストファッションと実際のブランドの差になってくるのかなぁって思いますね。
たとえ作り方が不器用だとしても、良いミュージシャンはやはり良いミュージシャンですし、別に器用だからってその人が最高のアーティストになるかっていったらそういうことでもないので。ブランドもそういうところがあるのかなぁ、と。
デザイナーにカリスマ性があっておもしろいとか、そういう背景がファンの胸に刺さるポイントとなっていて、ファストファッションと差別できるのかなぁと思います」
光嶋
「ストーリーとか、人間の魅力。それから『無駄』。そういうものが大切ですよね。
もともと当たり前の話だったのだけれど、テクノロジーによってもう一度大切なんじゃないかなって考えさせられる」
鈴木
「特にブランディングが大事な時代だと思うんです。
結局、人気ブランドに人が集中している感じがするんですよ。インスタだったり、色々なネット環境で色んな情報が手に入るようになったのですが、結果やはり強いブランドがどんどん強くなっていて。5年前10年前よりも若いブランドや新しいブランドがそこに食い込みづらい状況になっている気がします。
ビッグブランド、ビッグメゾンが主本源でもある。色んなリソースも持っているから、そこが特に今のネットのプロモーション状況だと大量にその情報を流しちゃうと、圧倒的に勝ってしまうということもあるし。
話が少しズレますが、今は益々有名なブランド、人気のブランドの方が安心して買える。何故かと言うと、リセールをしやすくなっているから。メルカリ的な。買ったものをいつか売るという発想でとりあえず買うという人も増えちゃっていて。最大の理由はそれがネットによって簡単にできるようになったから。
なので、リセール価格が落ちないものが良い。あるいはコレクターがたくさんいるものが良いというものが買われるような形になっちゃっていますよね。
ネットの進化っていうのはそっちの方に行っちゃっているんだろうなってすごく感じます」
藤原
「ネットの進化っていうのは長いものに巻かれるしかないですよね。Amazonの規模があれだけ大きければ、対抗するようなショッピングサイズはやはりできないだろうし。eBayがあり、ヤフオクがあり、Amazonに対抗する形で色々あったとしても、勝つというのは不可能じゃないですか?そういうことがファッション界にも起こっているということですね」
源馬
「そうですね、大きいところがより大きくっていう流れになっている。
ファッションの良いところはおそらく、着る側の個性を出したいからっていう人が少なからずいて。僕たちみたいに小さいことをやっていても必ず日の目を見るチャンスはあると思うんですよね。確かに鈴木さんが仰るように、昔より若手デザイナーが出にくいのかなぁとは思っちゃいますけど」
VERBAL
「多分、Tシャツを自分で作るっていう発想がなかった時代に自分で作ったことで『え?自分で作れんの?かっけぇ!』みたいなロマンがあったと思うんですね。それはモノがアヴェイラブルじゃない(入手しにくい)時のロマンだと思うのですが。
何でこれを思い出したのかというと、先日ヒロシさんがラジオでインタビューを受けているのを聴かせてもらったんですけど、その時sacaiのTシャツの話が出てきて。
源馬大輔さんも在籍されているsacaiは、そもそもTシャツを作らないんですね。そんなsacaiでTシャツを作るという企画自体が面白くて」
2015年、sacaiはfragment designとコラボレーションTシャツを販売した。
sacai × fragment design sacai (not sacai) ────

VERBAL
「何なら最初に20枚だけブート感覚(起動させるための原動力)で作って、そのTシャツ自体をありものとして、ブランディングや流通の中で価値をつけていく。一つ一つはFragment Design(藤原ヒロシ氏主宰のブランド)なんですけど、そこになんかストーリー性が生まれて、次第にカッコよさができてくる。
素材がどうだとかそういうことではなく、そこのストーリーがブランド感になっていたんです。するとファストファッションが対抗できないゾーンになってくる。
そこで鈴木さんが仰っていたセカンダリーマートの問題で。次々と転売されていくと20ドルのシャツが200ドルになって、『レアだから』っていうので2000ドルを超えていく。エンドユーザーは一番大変なのですが。『作り手が2000ドルのシャツを創造していく』という、ロマンの提案の方法が昔と違うんですよ。今はそういうシーンなのかなぁって思います」
光嶋
「非常におもしろい話ですね」
藤原
「でも2000ドルで売れても僕らに一円も入ってこないwww
ちょうど僕も違うことを話していたんです。
僕らも最初Tシャツとパンツを作って、その時に『自分たちでもできるんだ』っていう気持ちになった。それまでってやっぱりクールなモノっていうのはDCブランド(1980年代に日本国内で広く社会的なブームとなった、日本の衣服メーカーブランドの総称。DCとはDesigner's& Character'sの略)しかなかった。だから、自分たちで服を作るってことがあまり想像できなかったんですね。
作ってみると案外いい感じにできた。それがすごく面白くて。後にある仲間が『靴屋をやる』って言い出した。周囲は『さすがに靴は無理でしょ。自分でできるの?』っていう感じだった。でもやっていくとできるんですよね。その前に他のブランドをリメイクしたり、韓国とか中国の靴を作って学んだりっていう段階は少なからずあったんだけど。『さすがに個人ではできない』って僕は思っていた。でもやってみたらできた。
そういう形で『インディペンデントからメジャーになっていく』というモデルがあるんだ、ということを実感した。今後もそういった形のようにファッションにおいてその隙間はあるのかなぁって」
源馬
「間違いなく隙間自体はあると思います」
藤原
「何ができるかなぁ?
『何ができる』というより、『何ができない』と思われているのかなぁ?」
源馬
「今だと大きいものがあまりに大きく見えちゃう感じがありますよね。ヒロシさんもそうだと思うんですけど、僕たちはそれまで当たり前だったこと(メインカルチャー)のカウンターで色々物事を進めている。そのマスの大きさがあまりに大きくなってきているので、自分たちがそのカウンターになれるかどうか不安になる」
鈴木
「そしたらやっぱり技術的な部分じゃないですか」
藤原
「技術的というか、想像もしていなかったというか。当時は個人で靴を作って会社にしていくとかって想像できなかったんです。靴っていうのは今思えばとても小さなことかもしれない。もしかしたら今のスケールであれば『俺、車作ろうかな』って言って車の会社をやっていくくらいの感じじゃないでしょうか。それ自体も可能性がないわけではなくなってきている」
源馬
「個人でロケットを飛ばす人もいますしね」

源馬
「さっきのsacaiの話とかってやっぱりそうなんですよね。ストーリーというか。
僕たちも最初驚いた。『作っていいの?』って」
藤原
「『作っていいですか?』って言ったら『いいよ』って言ったんだよね」
源馬
「完成品を見て、本当にあり物のボディで。『わ、この感じ、むっちゃいい』って。それまでで言うと、僕たちは本来、例えばどんな色のどんなジャージ作ろうとかそういうことばっかり考えていたんです。だから、そういった大きなストーリーができた時に、『あーこういうことを思いつけば勝てるのか』って気付いた」
鈴木
「日本のデザイナーって、皆、良い服をつくる職人になってしまって、『ブランドにする』っていうところが弱い。それだと、海外に出て行っても地味になっちゃうということはあるかなぁと」
藤原
「だからそういうクリエイティブディレクターみたいな仕事が必要なんじゃないですか?」
源馬
「『どのように世の中に伝えていくのか、ブランドがどうなりたいか』という明確なコンセプトがあると強い気がしますね」
中里
「先ほど、『若手のデザイナーがどうやって伸びていくのか』という話が出ましたが、ブランドが世界観もそうですがシステムのようなものを作っていくのが大事なのかなって思います。
例えば、売買のスタイルもデザインした方が良いのではないか、と。ショーでプロダクトを発表して、っていうことではなく、別の形で。例えば、ある部屋に入るとそこには双眼鏡があって、『向こうのビルを見て下さい』という表示がある。双眼鏡を覗いて、向かい側のビルの部屋の中の服を選んだり…」
藤原
「ストーリーが大切だということですよね?」
中里
「ストーリー、それとシステムですね」
鈴木
「売るところまでがデザインなのでしょう」
中里
「そうですね、売るところまでをデザインする」
藤原
「今ってわりとそんな感じなのかもしれないですね」
鈴木
「結構そうなってきている。テイスト以前の、コンセプトやストーリーを重視しているわけですよね。売るところまでがクリエーションの範囲に入ってきているという感覚は結構あるんじゃないかな」
藤原
「だから『自分で全部やっちゃいたい』とか『やれちゃう感じ』というのが、今っぽい。
僕もどちらかというとそっち世代だと思うし。
でもsacaiなどに関しては、阿部さん(阿部千登勢sacaiデザイナー)さんも同世代であるけども、Comme des Garçonsにずっといて、やり方としてはデザイナーですよね。デザイナーは『デザインをする』っていうのが一番にある。
だからこそクリエイティブ・ディレクターみたいな人がいたりとか、僕みたいな人間が投げかけるアイディアが重要だったりだとか。そういう感じなんじゃないかな」
源馬
「そういう意味では、阿部さんは本当に『洋服をデザインする』っていうことが全ての仕事で。基本はプロダクトのデザインをして、会社をすすめていくっていうのがsacaiの在り方で。例えば売り方という方法論ももちろんそうだし、どう伝えるかもそうだと思うんですが、全方位的にある程度クリエイティブでいたりだとか、大きなことをするという役割ではありません」
藤原
「それをしっかりと役割分担している。システムがきっちりと分けられていて。どちらかというと旧式の会社だと思います。
中里さんはそれを一人で考えたり、表に出していったりとかするタイプじゃないですか?時代の流れ的には全体的にそうなっているような気がします」
中里
「チームをどれだけ作っていくのかっていうのがすごい重要ですね。
どうやってチームを編成していくかっていうのは変わらない気がします。一歩外に出たら意外と簡単に反応が返ってくるというのがあります。
プロジェクトをはじめる時に実際に私も体験したことですが、自分が好きなフォトグラファーがいて、その人は日本人とかじゃない。思い切ってメッセージを送ってみたら、簡単に返事が返ってきた。そういう、『一歩出たら仲間が見つかる』というのは体験しました。
これからはインターネトが仲間集めの主要なツールになってくる。だけどやっぱり、自分のビジョンというのを強く持っていないとダメなんだなっていうのは思いますが」
鈴木
「中里さんが作っているのって、『商品』じゃなくて『作品』っていう感じがするからね
クリエイティブな要素がすごく高い。sacaiは『商品』っていう感覚でしょ?」
源馬
「そうですね、僕たちは商品を作っています」
鈴木
「ただし、『商品』でもそこは非常にクリエイティビティが高い」
源馬
「川久保さん(川久保玲Comme des Garçonsオーナーデザイナー)が仰っている『ファッションはビジネスだ』っていうのは僕たちも常に持っていますね。売れないものは、僕たちのフィロソフィではあり得ない」
鈴木
「中里さんは、『売り買い』というコミュニケーションまでも作品としてのものにする。そこまでが自分のするファッションデザインみたいなところだから、また少し違うよね」
音楽におけるパラダイムシフト(劇的に社会の規範や価値観が変わること)はレコードの誕生だった。
テクノロジーの進化にクリエーションを残していくことも重要であるが、次のパラダイムで生まれる新たなクリエーションを期待することも真ではないだろうか。
パラダイムシフトには二種類の進化が生まれる(求められる)。
一つは、レコードに対するジャケットのようなアートワークという新たなクリエーション。
そしてもう一つは生き残り方としてのクリエーション。
それは、印象派の画家たちのような進化の形か、キュレーターたちによる既存のモノへの新たな価値付けか。
アナログレコードにファンタジーを感じるように、テクノロジーに淘汰される対象には新しい意味付けが必要となる。
そしてこれから先の未来は、その意味付けが価値を創造すると言っても過言ではない。
それがストーリー───プロダクトと消費者を繋ぐオリジナルな物語。
藤原氏の魅力は、人間の可能性を信じて疑わない強さにある。
彼は、当時の画家が写真に怯えると同時にそこで切磋琢磨した熱量に注目した。
常人が新たなテクノロジーに対して素直に歓迎できないところ(それが画家の立場ならば尚更のこと)を、さらにその先を見据え、「恐怖」が生み出す底力に可能性を感じているところだ。
想定外に「変化すること」を迫られた時に突如として溢れる力。
机上の計算では決して到達できない、環境に適応するための偉大な能力。
〝生き残る種とは、最も強いものではない。それは、変化に最もよく適応したものである〟
これは進化論を提唱したダーウィンの言葉である。
藤原氏の強さは、彼自身が未踏の環境に適応し続け、さらには新たなムーブメントを生み出してきたところにあるのだろう。

藤原
「アートはどうですか?アートは売れる売れないは関係ないの?しかも仲間いらないし」
政田
「僕は特殊だと思うのですけど」
藤原
「でもアーティストって、仲間必要じゃなくないですか?絵を描くのって一人だし、作品も一人で完結するから」
政田
「基本的にはみんなで一緒にアトリエ借りたりとかっていう経済的な理由から組むことはありますが。僕の場合は友達がいなくてww」
藤原
「僕のイメージではアーティストもそうだし、デザイナーもきっとそうだし、ミュージシャンもそうなんだけど。
仲間というよりか、ソロが大切で。
ソロでしっかりスキルを身につけて、はじめて仲間ができるというか。だから仲間よりも理解者みたいな人がいたらいいと思うんですが」
鈴木
「作品が複雑になってきて、一人でやりきれるプロジェクトと、そうじゃないプロジェクトが出てきているんじゃないですか。 それで、一人でやりきれないプロジェクトは、何人かでする。逆に一人でやりきれてしまうプロジェクトだとなんか物足りなく見えてしまう世の中になってきているのかも」
藤原
「でも、仲間じゃなくてコラボレーションみたいなことでいいんじゃないですか?」
中里
「それも仲間。一つのプロジェクトをするのにも仲間がほしい」
藤原
「なるほど、仲間という定義が中里さんと僕では違うんだ。
僕は『仲間』っていうとファミリーみたいなもので、常に一緒に何かをやらなければいけない感じがある。そうではなくて、『このプロジェクトをするにはこの人と組みたい』というのも仲間なんですね」

光嶋
「インターネットで誰かと知り合って、実際に会ったりしたことってありますか?
若い人っていうのは普通じゃないんですか?SNSで出会い、直接会ってコラボレーションがはじまるということは」
今田〈S.U.C.C〉
「私は今回の卒展用の撮影をしたのですが、モデルの人をインスタで探して、メッセージでやりとりをして、ギャラとかも交渉して、『いいですよ』みたいな軽い感じで。メッセージが始まった時にはすでに友達みたいな」
藤原
「そこには違和感はない?」
今田〈S.U.C.C〉
「はじめは『違和感あるのかな?』って思っていたんですけど、意外になくて。インスタにその人の生活が出ているじゃないですか。なので、その人の生活を共有して、事前に理解していて。それから依頼するという流れがあったので」
政田
「昔は楽器屋にバンド募集の張り紙がありましたよね。ああいうのに電話するのにめちゃめちゃ緊張しました」
藤原
「あれは文字と雰囲気しか情報量がない。ちょっと丸文字だから『これ、どんな奴だろう』とかwww
今はインスタでその人の暮らしもなんとなく見えるってことですよね」
今田〈S.U.C.C〉
「見えていて、あとはInstagramのボタンの押しやすさみたいな。iPhoneのアプリをタップする時みたいな。友達とラインしているのと変わらない軽やかさみたいなものを感じて」
光嶋
「確かにInstagramは分かり易くデザインされていますものね。前田くんはどうですか?」
前田〈S.U.C.C〉
「そうですね、僕はFacebookで友達になったことは今のところないです。
でも友人がSNS上で知り合って一緒にデートに行ったりだとかっていう話は身近でよく聞きますね」
VERBAL
「僕が気になるのは、さっきのバンドメンバー募集の貼紙じゃないですけど、そういうところで出会う人って、一回会った後、取り返しのつかない感じになっちゃったらどうしようという不安はありますね。募集して集まったはいいけど、『ギタリストの人、ちょっと違うんだよなぁ』っていうことがあっても『君違うんだよね』って言いづらいなぁ。
SNSだとそういうのはないのかな?ライトな感じなんですかね?」
藤原
「でも目的が最初からしっかりしているから。『モデルを探す』という」
鈴木
「ある程度の情報も分かっているんだよね。プロフィールだけじゃなくその人のタイムラインを見れば」
藤原
「しかも、モデルだけだったら『見た目が良ければ良い』でもないけど、求めるものが90%そこにあるから楽かも。そういう使い方はすごくいいと思うな」
鈴木
「プライベートの線引きが変わったんだろうなっていう気はしますね。プライベートの在り方というか。インスタで見て、『こんな人だろう』と思って、実際会ってみるとその通りなわけでしょ?」
今田〈S.U.C.C〉
「そうですね。少し前に、ブランドのショーをする時に、モデルのキャスティングを手伝っていて。
インスタでモデルを探すってなった時に、例えば本業で事務所に入ってモデルをやっている子たちがわりとインスタでプライベートを出していて。それが良い場合もあるんですけど、逆に出過ぎているから価値がないというか。もうみんなネット上で見慣れてしまっている、みたいなことがあったりして。
そこのバランスっていうか、どれだけ私生活を見せるのかっていうのがなんか難しいですね」
藤原
「ブランディングの一つなんですね」
鈴木
「タレント的なモデルさんっていうのはプライベートのストーリーをアップしていきがちで。その方が固定のファンを獲得できる。だけどルックスだけのイメージの、言わば旧来の意味合いとしての純粋なモデルさんはそこにイメージが入らない方がいいから、プライベートを隠すみたいなことだけど。
でも、ノリとして前者のタレントチックなモデルさんの方が人気があったり、世の中的に重宝されたりするわけでしょ?」
今田〈S.U.C.C〉
「そうだと思うんですけど、でもモデルだけじゃないですけど、例えばインスタの中で『面白そうなアーティストを探す』ってなった時に、フォロワーとかでその人の認知度っていうのは丸わかりじゃないですか。
だったら逆に全然フォロワーがいないんだけど、おもしろい人とか、全然私生活を出していない変わったモデルはいないかとか。そういう風に大量の情報の中から、宝を探すような感覚で、私はわりとインスタを使っている部分があって。それがもしかしたら、普通の人たちの使い方とはちょっと違うのかもしれないんですが、そういう部分に価値はあるのかなって思います」

政田
「今の同世代の子たちはそういう感じで接することができるの?」
今田〈S.U.C.C〉
「簡単に、フォローしてなくてもメッセージ送れるし、みたいな」
政田
「この人危ないな、みたいな見極めは?」
会場www
政田
「京都大学に暗黒バエっていうのがいて。1950年代からハエを真っ暗な中で育てているんですよ。そうやって育てられたハエの子孫は真っ暗な中でも他の器官が発達していく。そこでの変貌っていうのは、普通の時間の流れにしたら1万5千年くらいの進化らしいんですね。調べると、『視覚じゃないところで何かを見ている』っていうのが生まれてきているんですって。なんかそういう感じで、SNSネイティブは別の感覚が発達しているのかなぁって」
藤原
「それはスピード感があって。
今ってスピード感が早いから。昔だったら革ジャンとか毛皮というブームの後、次にダウンが来るっていう時には強い拒否反応があったと思うんです。
『ダウンなんてファッションじゃなくてライフウェア』だって思われていたのが、今はダウンがどちらかというとファッションの方に入るようになった。これは時間の流れが速くなったっていうことですよね。
だから今は、白いシャツやなんなりが『ファッションと思われないよな』って思っているけども、同時に時間が経てばそれもファッションの一つのカテゴリーに入れられるんじゃないかなって。
Instagramでの出会い方も、サーチの方法っていうのも今すごく僕らにとっては不安があったりするけども、時間の流れがとてつもなく速いから、早い段階でそれが当たり前になってくるんじゃないかな」
権威の衰退───メディアのフラット化。
光嶋
「鈴木さん、ブログメディアでまだ写真が載っていない頃にhoneyee.comが出てきました。その後、Instagramが登場したと思うのですが。いかがでしょうか、インスタグラマーと闘うっていうのは」
鈴木
「テレビや雑誌でもそうだけど、メディアっていうのがある種の権威だったわけじゃないですか。僕がhoneyee.comをやった時に権威とかは自分たちの中で当然なかったのですが自然と生まれてくる。編集機能じゃないけど、どういう情報がウケるのかっていうのを考えてチョイスするわけだから当然ですよね。それが一つの権威としてでき上がっちゃうんですよね。

だけど、ある時期からあらゆる権威というものがどんどんフラットになっていった。
さっき源馬さんの話にも出てきた『今時パリコレってどうなの』っていう感覚。パリコレはパリコレで立派なんだけど、ただ10年前20年前の存在感とはちょっと変わってきている。パリコレはもはや圧倒的な権威じゃない。すごく大事なものだけど『選択肢の一つ』という感じになってきている。
雑誌の読者モデルはこれまで編集部の人がピックアップしていた。でも今は自分でインスタグラマーになれるわけじゃないですか。で、勝手にファンというか、いわゆるフォロワーを作れる。それで数字が上がってきているのも確かで。そういう人たちの方がリアルだって言われたら、確かにリアルなわけですよ。
エディターが自分のフィルターを通してチョイスしてきたものっていうのは『いいものだ』という自信は確かにある。だけど、どこか押し付けになってしまう。それよりは自分でいい情報を持っていたり『面白いと思う人をフォローします』みたいなそういうフラットなコミュニケーションっていうのがネットの中のメインになった時に、honeyee.comに限らずだけど、ウェブマガジンのような、『編集部っていうところに情報を集めて、それをリメイクして外側にアウトプットしていく』みたいなのが、ちょっと追いつかなくなっちゃった。そのことに色んな企業が結構早く気付いてきた」
光嶋
「スピード感がさらに上がり、発信している人と受け手が同じ位置になり、権威もなくなっていった」
鈴木
「そこがすごく大きかったと思います。勝手に誰の許可もなく、誰にチョイスされるわけでもなくて自分で発信していく。それが面白いってなると読者は集まる。このシステムが編集部、引いては雑誌が持っていた権威を低下させた」
光嶋
「さらにスポンサーさんが気付いた」
藤原
「新聞をメインに授業をしているんですけど、今日の日本経済新聞にユニリーバがSNSの広告をやめるっていう記事が出ていて。ファッションとはあまり関係ないんだけど。当初、スポンサーが『いいメディアだ』って気付いたものが今やFacebookやInstagramっていうのは不謹慎なものがいっぱい出ている。『そこに広告を出していて本当に良いのか』っていうことに気付き出したっていう」
VERBAL
「不謹慎そうなページには、掲載されないようなアルゴリズムがあると思いますし、今ちょっと痒いところに手が届いていないだけで、どんどんAIが発達して今後、ユーザー個人のツボが分かってくるようになると変わってくるとは思いますけどね」
鈴木
「あとは個人というか、ユーザーの最適化っていう話じゃないですか?
どうしてもウェブだってテレビだって、不特定多数の相手にメッセージを届けるんだけど、もっとピンポイントに精度良くバーバルさん向けにはこういう情報、中里さん向けにはこういう情報っていうのが増えていく」
源馬
「デザインも編集作業だと思っているんですけど、多分人生全部編集だと思います。
広告も例えばfacebookだったりInstagramだったり不謹慎なことがあるのであれば、不謹慎なものを外す編集が必要だと思うし」
藤原
「みんな今日の名言書き留めておいてください。『人生全部編集作業』」
会場www
藤原
「人生全部編集って言われたら幕引きの時間じゃないのかなぁって思っちゃう」

光嶋
「みなさんもSNSやられてますよね?昔は広告とかって別の人が担当していましたよね。今は自分でやるようになりました。どんな感じでSNSなんかを扱われていますか?」
VERBAL
「僕は音楽もやっていますし、AMBUSH®というブランドもやっているのですが、遊びと仕事の境目がないのでたまに悩みますね。すげぇくだらなくて、爆笑なんだけど、でもこれアップしたら皆に『どうしたの?』って思われるかもって思って留まったり。
情報量が常に多くて、みんなに伝えたいんですよ。昨日MVをリリースしたばっかりなんですけど、それとか今日のイベントのこととか、全部ハッピーな出来事なんですけど同時に出したら仰々しくて宣伝っぽいかなとか思って、やっぱやめようってなったら情報を出せないみたいな。そういうことがあるので今ちょうど悩み中です」
藤原
「VERBALは自分でSNSをコントロールしているよね。『これは出さない方が良いんじゃないか』と思ってうまくセーブしたり。でも、それって実は当たり前で、一般の人が『私、全然そんなんじゃなくて、食べ物だけ撮ってるだけです』って言うのも、その地点でセレクトじゃないですか。全てのInstagramはセルフプロデュースされているんじゃないかな。人生の編集の中の一つじゃないですか?ww」
光嶋
「合ってますか?源馬さん」
源馬
「(頷く)」
会場www
藤原
「『編集』って習字で書いてもらっていいですか?」

光嶋
「そう考えるとファッションって編集じゃないですか?着ているものを選ぶってことは」
藤原
「本当に正しいんですよ。人生は全て編集なんですよ。
Instagramってみんな普通に出しているけど、それを絶対どこかで編集している。『プライバシー丸見えだ』みたいなことを言う人が結構いるけど、全然そんなことはなくて、『嘘だよコレ』いうのが実は結構あるんだよね」
未来おけるファッションとテクノロジー。
光嶋
「今現在のことからこの先テクノロジーとそのファッションってどんな風になっていくと考えていますか?将来のことを考えたりしますか?」
藤原
「昔はアーティストって死んでなんぼみたいなことがあって。つまり、死んでから値段が上がるというか」
政田
「それはまさにゴッホのせいだと思うんですよ」
藤原
「でも今は違うよね。商業と密接な関係性があって。村上隆さん(日本の現代芸術家)もそうだしダミアン・ハースト(イギリスの現代芸術家)にしてもそうだし」
政田
「日本的には『耐え忍ぶという作家』というのがアーティストとして好まれる」
藤原
「それって日本の全てじゃないですか?日本のカルチャーとして『耐え忍ぶものが美しい』という。先にそれがあって、お金を儲けることが後みたいなことってあるじゃないですか」
政田
「そうですよね。そっちの方がフューチャーされるんで。普通に作家として食べている人は昔から結構いるんですけど。でも、『耐え忍んでいる作家』っていう方が受け入れられやすい。村上隆さんが出てきてだいぶ変わったかなぁっていう、印象はありますが。あと奈良美智さん(日本の美術作家)とか。昔の人と今は違いますよね」
藤原
「それは良いことですか?」
政田
「僕にはあまり影響がないですが。それで絵がまたぽーんと売れてくれたらいいんですけど」
藤原
「じゃあいいことだよね。その現象が起こるということはどちらかというと」
VERBAL
「自分の中で全部最初から全部までやりたいというのはあるんですよね。
最初からはじめて最後まで見届けたいんですけど、色んなことをしていく中で、全部一人でやるのは難しくて。
今後AIが発達して、冒頭のBRITAの話じゃないですけど『誰でもできる仕事をテクノロジーに任せて、人間はクリエイティブなことだけをする』というのが理想ですよね。もともと僕はアナログな人間なので、今さらながらレコードとか作りたいですし、さっきケチャップこぼれてもずっと白いシャツができればと言った反面、古着とか大好きですし」

選択権はいつだって人間側にある。
藤原
「僕はいつになっても人はAIに勝てると思うんですけど。
だってAIがどれだけプレゼンをしてきても、『それダサ』って言ったらそれで終わりじゃないですか。心の中ではそう思っていないにしろね。
人間は、それが嘘であろうが何であろうが今まで作り上げたものを全て自分の中で虚構にすることができるんじゃないかって。そこがとても強い部分で。それがファッションとも言える。
もっと言えば、AIの精度が上がりどれだけ心地良い洋服を作って来ても、『そんなんじゃなくてこの襟元にチェーンつけたいんですけど』ってことの方がファッションって重要だったりするから。勝てるっていうのも変だけど、そこにAIとの差が出る。そこは強みですよね」
鈴木
「その強みを分かる人だけ分かるっていうのでは、弱くなっちゃうじゃないですか?
便利さとか合理性というものを多数の一般的な人が求める中で、『チェーンがついているカッコ良さを分かってよ』っていうのを、どこまで伝えられるかっていうのがファッションの未来じゃないかなっていう気はするんですけどね」
源馬
「テクノロジーが発達しても、基本は人間がチョイスしていればいいと思います。さっきのヒロシさんのチェーンの話もそうなんですが、それって実は今までもずっとそうだったんですよ。本当にカッコいい人は少数だし、僕たちはカッコイイ人たちと一緒にカッコいいことをしたいっていう」
藤原
「だから少数であるべきものが、大きくなるにつれ、大きいものと間違えられていっているというか、期待され過ぎているところはちょっとあると思う」
鈴木
「カッコイイとか美しいという気持ちが人間の中にある限りはAIには負けないけれど、それがあまりにも便利や快適さっていうところに正しさが求められたら負けちゃう時がもしかしたら来るかもしれないとは思います。
『ファッションなんて無駄なだけじゃん』って言われた時に、『そんなことはない、あれはカッコイイじゃん』っていうのが理屈じゃ負けちゃうわけじゃないですか。その感情の部分というか、感性の部分っていうのを、啓蒙していく、つまり広く色んな人に分かってもらうっていうのが、必要なのかなって思います」
藤原
「割合じゃないかな?
チェーンがカッコイイと思う人が全体の何%くらいいるのかという。
ここにいる人たちはどちらかというとマイノリティな方で。そこにおける『居心地が良いファッション』だったりすると、企業だったりはそれを期待して売ろうとしますよね。
だからそこを期待し過ぎない方がいいのになって僕は思います。
ちゃんと雑誌の表紙で有名なタレントが出ていて、そういうのがあるからこそサブカルチャーやカウンターカルチャーが映える。なんか、クリエイティブなものに期待しすぎなんじゃないかなって思う。
『大きくなる』というのは『つまらないもの』でもあるわけだから。
ファッションのジレンマで、『お前らと違う格好をしているからカッコイイんだ』っていう人は実は『別の誰かと同じ格好をしていなきゃいけない』という。人と同じは嫌だって言いながら違うグループと同じ服を着たいわけだから。それってグループの大きさに過ぎない。そのバランスが左右するところかなって」
鈴木
「ジレンマであり、オモシロさでもあるという。そこが肯定的にみんな捉えられるようになればいいと思いますね。ファッションを拘っている方がカッコ悪いみたいになっちゃうんじゃないかな?っていう気がするんです」
藤原
「ノームコアですね」
鈴木
「ノームコアもそうだけど、もっと一般的なところで、ネットでのコミュニケーションですべて事足りるようになったら『家から出ないから、オシャレなんてしなくてもいいよ』っていう人も増えるでしょう。自己表現だったり、『カッコイイから、好きだから』っていう、感覚が残ってほしい」
光嶋
「逆に、投稿して『いいね』がつかないくらいがちょうどいいみたいな」
藤原
「そうは思いながらもちょっとは『いいね』をつけてもらえたらなぁっていう」
会場www
光嶋
「でもめっちゃついていたらそれはもう」
藤原
「分かってないじゃんってところがあるからね」
鈴木
「ヒロシさんたちが『いいね』つき過ぎちゃうと逆にヤバイなってなるけど、『これカッコイイな』と思ってやっていても全く『いいね』がつかない場合もあるじゃないですか?
僕としてはそっち側で、若いデザイナーもそうだけど、そういう人たちが幅広く世の中に受け入れてもらえたり、注目されたりなってくれないとファッション自体の影響力が低下してちゃうのかなって」
Appleの魅力。
光嶋
「おもしろいです。カッコよさとテクノロジーの関係性。ヒロシさんはどう思いますか?それこそスティーブジョブズさんとも交流があった方ですから」
藤原
「二回しか会ったことがないですよ」
光嶋
「でも、みんなは会ったことないですよww」
藤原
「年齢年齢ww」
光嶋
「どうですか?その辺り」
藤原
「Appleって、カルチャー的な会社と思われがちじゃないですか?でも、全然そうじゃない。ユニクロ以上に大きくて一般的。全員がiPhone持っているぐらいの勢いだから。
みんなが知っているものなのに、でも『カッコイイ』っていうのが僕たちの潜在意識の中にあるというのはすごいブランディングだと思いますね。
それは本当にすごいです。僕が考えるにそれを成し遂げているところってApple以外にないんですよ。ここまで一般的であり、尚且つ良いブランドというのは。
それってさっき僕が言った、『お前らは大きい方ででやっとけよ、俺はこっちで小っちゃいことやるから』っていうカッコ良さとは全く違って。サブカルチャー的要素を残しながらメインにいるという。僕はそういう風にはなれないだろうから、大きいものが大きく光り輝いている中で小さく違うものをやっていけたらなぁって思います」
源馬
「iPhoneとかも実際全てが最先端のテクノロジーじゃないっていう話で。
あまりにも最先端過ぎると使いにくかったりするじゃないですか。だからみんなが欲しがるちょうど良いものとしてデザインされている。そのインスティンクなもの(直感的なもの)っていうのを忘れちゃいけないのかなぁって思いますね」
藤原
「クリエイティブな仕事だったりとか、そういうのって一概にメジャーに認めてもらう必要って全くないと思う。だからこそおもしろいのであって、どこをメジャーとして考えるのかなのだけど、sacaiだってすごい売れているけどCHANELやLouis Vuittonに比べたら微々たるもので。そういう意味ではマイノリティだと言える。でも僕たちから見たら当然マジョリティなんだけど、そこのいい位置、いいバランス関係のところを保って仕事ができるならば、それが一番良いのではないでしょうか」
若者へ───。
光嶋
「若者目線で考えますが、突き詰めていくと何歳まで売れなくても良いと思いますか?」
藤原
「売れる大きさにもよるけどね。sacaiの大成功って遅いよね?」
源馬
「そうですね、今もう20年やってますから。僕が一緒にやっているのは11年目なんですが、11年前とは見ている景色が全く違いますね」
藤原
「でも、その年齢によってカッコよくできることとかの差はあると思う」
光嶋
「ざっくりとその20代前半とかいうのはどうでした?」
藤原
「20代前半なんていうのはまだまだお試し期間ですよ」
VERBAL
「僕は高校時代から、後にm-floを結成する☆Takuとバンドを組んでいて。デモのカセットテープをフジテレビの音楽番組に投稿して出演したりして。15、6歳くらいですかね。
それを含めると何気にキャリアは長いんですけど、大学に行って久しぶりに帰って来た時に、m-floを結成しました。
当時ヒップホップしか聴いていなくて、僕の20代はそればっかり、どうやったらカッコいい事できるかみたいなことを突き詰めていて、30代になると少し視野を広げて仲間を増やしていって、『どうやったら自分の思いを伝えられるか』というのがテーマでした。
今と昔は違うとは思うんですけど、20代の頃はがむしゃらに自分がカッコイイと思うものを付き詰めちゃう方が、ストーリーが伝わると思いますし、その人の味がすごく出てくる。
それこそヒロシさんが仰っている、あまり『いいね』の数とか気にしないで、とりあえず自分のカッコイイと思うものを突き詰めるっていうのが20代突っ走っていいんじゃないかなって思います」
中里
「3月で30になるんですよ。私がファッションをはじめたのが23、4くらいの時で。とにかく常に締め切りに追われていて、毎回何かがむしゃらにやっていくということ継続してやっていくことになると思うんですけど。でもその時に一回若干引いてみるという目線が大事なんじゃないかなぁって気付きました。
集中することはいくらでもできる。だけど、ある程度のところで一度引いて見てみることで物事を客観視できたり、そこで自分なりのオリジナリティだとか、それこそアートだったら文脈だったり、あと時代観というのを、捉えていくことが大事だと思います」
鈴木
「逆に今の20代の人って『売れたい』と思っているんですかね?」
前田〈S.U.C.C〉
「思っていますよ(即答)ww」
今田〈S.U.C.C〉
「ファッションの中で働きたいと思っているんですけど、売れたいというよりまだ自分の未熟さしかなくて『成長したい』っていう方があって」
藤原
「なんかね、『売れたい』と『認められたい』が微妙に違うんですね」
鈴木
「売れなくても認められたり、充実したキャリアとかっていうのができちゃう世の中になるのがこれからなんじゃないかなって気がするんですよね」
藤原
「売れるのはその後で良いよね。認めてもらいたい人に認めてもらう感じ」
鈴木
「音楽だっていくら良い曲を作って良い演奏をしていてもなかなかお金にならないっていうのが構造上そうなっていますよね。だけど今なら、たいしたお金になってなくても、たくさんの人たちが『日本で一番良いバンドはアイツのとこだよ』って言ってもらえるような現象って起こることがあると思うんですよ。そうしたら、その人にとってはお金よりモチベーションになるんじゃないかな」
VERBAL
「僕が90年代から00年代でやっていた時と違うのは、今だとすぐに海外のフェスなんかにブッキングして出演したりできるじゃないですか。『国内でウケないと』とか『どこかのプロダクションに入らないと』みたいなのがないというか。むしろ入りたくないというか、入る方が面倒くさい。よっぽど関係が良かったりじゃないと入る意味がない。いやらしい話ギャランティーも変わってきますし」
藤原
「そういうのって実際にあるんですか?コーチェラ・フェスティバル(カリフォルニア州インディオの砂漠地帯“コーチェラ・ヴァレー”にて開催される野外音楽フェスティバル)に自分たちで出たいって言って出れるものなんですか?」
VERBAL
「いきなり飛び込みは難しいかもしれないですけど、結構普通にブッキングされる過程とかが思っているよりもハードルが低いんだなっていうのが、特にここ数年の間で気付きました。
リアルな話ですけど売上の数%をもっていかれるけど、その代わり公演場所を10箇所決めてくれるみたいな、そういったエージェントと契約するとか。そういうことをして実際にツアーを組んだりとかしますし」
鈴木
「売れる選択肢が増えたっていうか、売れるパターンが増えた、という」

政田
「今の音楽の話を聴いていて、僕は画家ですが、自分が大学を卒業して青田刈りの時期に『画家は40歳から新人だ』と言われたんですね。『なんて時代錯誤なことを』と思っていたのですが、自分が40歳になってみて、腑に落ちる部分も確かにある。あと、自分が何を作りたいのかっていうのがどんどん見えてきたということもありますね。
『続ける』ということが大事だから。貧乏してでも続けていくと見えてくるものはある。40になって作りたいものが見えてきて、ライフワークも見えてくる。
そうした時に、あの時言われたことっていうのはそういうことなのかなぁって。この間なんとなく気付いた」
源馬
「僕も『続ける』ということが大事だなぁと思いますね。良い時も悪い時もある。気分が乗る時も乗らない時もある。だけど続けていってライフワークにできるかどうか。
僕は20代の頃、ファッションが好きだった。何をして良いのか分からないから、普通に洋服屋さんでバイトをしていました。そこで色々な洋服の知識も得たし、好きだから続けられた。プライベートと仕事のオンとオフ、つまり切り替えがほとんどないので、そういう風にしてライフワークになっていく得られるものが確実にある」
鈴木
「例えば『こういうのを目指して』とか『こういうストーリーで自分を持って行こう』というロールモデルを意識しなくても良い時代が近づいていると思う。ファッションデザイナーでも、ミュージシャンでも、自分なりのやり方を貫くほうが、一気に注目を浴びやすいんじゃないかな。それで、一番良い時期にすぐにやめちゃうのがカッコイイとなるかもしれない。『一般的にはこうですよ』っていうのから離れた人生の方が楽しくなるんじゃないかなって思っています」
“時間と継続は馬鹿にならない。
それは絶対に必要なものなんですよ。それによって人は認めてくれるし”
藤原
「今、僕はみんなの話を聴いていて『そりゃそうだな』って思うこともあって。それがメッセージになるかは分からないですが、時間と継続っていうのがとても重要なんですよ───。
例えば、僕がかなり絵が上手だったとして、今から絵を描いて発表したところで『なんか元DJみたいな人が絵を描いているだけでしょ?』って言われるんですね。『デザイナーみたいな人が絵を描いている、そんなの巧いだけで味がない』とか絶対にそういう風に言われるはずです。でも、それを20年続けたら認められます。
そこって結構時間と継続っていうのはすごく必要で、アーティストは特にそうだし、デザイナーとかも多分そうですよね、ミュージシャンもそうだと思うんですけど。

僕は実はそれが嫌いだったんですよ。
若い頃から好きなものを、好きな時に、好きなだけしたかった。
だからDJが好きだったらDJに没頭したし、同時にファッションも好きだし、洋服を作りたいとかあるけど、やっぱりどこに行っても自分の中で『認められていない感』、言い換えると『疎外感』があったんですね。オトナや先輩方からは『DJがTシャツだけ作ってそんなに売れてんの?ハハ』みたいな。僕がそういった悲観的な考えを持っていただけかもしれないですが、そういうのをすごく感じていたんですよ。
アーティストとかいうか、芸術家ではないですけど、僕らでもずっと同じことを長い時間やっていたらそれがどんどん認められていくという。そういうのがあったんだけど、その時間軸がとても短くなってきているっていうのは僕はとても良いことだと思っています。
別に長くやらなくてもいい。寿司を握るのに30年をかけるなんて阿保らしいことだと思う訳ですよ。
何歳だろうがデビューっていうのは美しいことで、別に30歳で売れても才能があれば当たり前だと思うんですね。だから、少しの時間と継続は必要なんだけど、そこに捉われないでやりたいことをやりたい時にやるのはすごい重要かなぁとは思います。
で、尚且つその歳だからできるカッコいい事っていうのは絶対にあって、良いタイミングでそれができる人は一番良いし楽しいかなぁと思いますね。そこをちゃんと見つけて、焦る必要はないです」
白熱したディスカッションはひと段落。
許された時間内での質疑応答がはじまった。
「我先に」と手を挙げる参加者、質問に答えるパネリストたち───。
Q.日本と海外の差はありますか?
ネット社会においてもまだ差があるもの、それは何でしょうか?
VERBAL
「日本にしかできないエディットはあります。
そもそも海外から取り入れた要素を日本がうまくリミックスして世界にまた輩出しているというのは日本独特で、それは韓国も中国も、他のアジアの人たちができていないところなので、特にそこは日本にあって海外にないものじゃないかなと思いますね。
今ビジネスは中国で、ということになっているのですが、中国はインフラがたくさんあるけど、コンテンツがそこまでない。かなりざっくりした言い方ですが。
なんだかんだファッションのおもしろいものを探しに行こうという時は外国にいる僕の周りの友達は東京に行って色々探しに行きたいと。東京に詳しい人は地方の工場へ直接行ったり。例えば『デニムの工場を紹介してよ、あ、岡山にあるんだ』みたいな話にもなったりする。日本にはそういったクリエイティブなロマンを感じる人は多いと思います」
光嶋
「エディットとリミックス」
藤原
「現在進行形でそれが日本にあって海外にないっていうことだけど。確実にあるのは、海外が良いものを最初に作るけど、その良さを海外の人は理解していない、ということ。
だから、ビンテージデニムもそうだし、ミリタリーにしてもそうだし、海外では普通に作って普通にあるものだけど、それをアンテナの敏感な日本人や日本のコレクターが見つけて、『ここのディティールがこんなに違うのは何年のこれしかない』みたいなそういうのを見つけ出すのが日本は得意ですよね。
そうやってリミックスだったり編集だったりして、また海外に送り出すというシステムが多分80年代とかにあって、それが一番大きかったことじゃないかなぁと思う。
それがまだあるかどうかは分からないですけど、どちらにしてもそういった『セレクトする目』みたいなものを日本の人は結構持っているんじゃないかなぁと」
光嶋
「地質学的にもやはり極東ですからね、この島国は。僕が子どもの頃に思ったのが、世界地図の中心に日本が描いてあるのがちょっと間違っているというか。あれで勘違いしているんですが、日本は世界の端なんですよ。そこの特徴はあるような気がします。だからこそ客観視して編集ができる」
Q.常識が更新されていく中で、「自分の中でブレないよ」というものは何ですか?
光嶋
「人間自体が一万年前から変わらないですものね。
考古学で発見された石板に『最近の若い奴は…』って書いてあったんですって。それはもう昔からそうなんですよ。人間の10年20年の経験というのは変わらない。
これTEDで見たんですが、iPhoneって石斧と同じサイズなんですって。材料一つに職人一人。それが一万年の歳月も流行している。だから普遍的なものっていうのはファッションにおいてもあるような気はしますね」
藤原
「自分の個人的なものじゃなくて世の中としてブレない、というか普遍的なものっていうのは、例えばスニーカーですね。これだけ流行ったけど、廃れるかと思えばちっとも廃れない。ちょっとした波はあるにしろ、絶対に残るものだったりすると思うんですよね。
その常識みたいなものって分かり易くいうとスニーカーとかはそうかもしれない」
VERBAL
「ニューヨーク現代美術館でファッション100年史みたいなテーマをやっていたんですけど、そこで100年間ブレなく残ったファッションみたいなものがあって、その中にスニーカーはありましたね。エアフォースワンが。
Tシャツとかジーンズって昔は作業員が着てきる服だったりしたのですが、今はファッションとして取り入れられて、一応まだ残っていて。ジーンズっていうのも、そういう意味では一生変わらないのかなぁと思いますね」
中里
「ブレないなぁと思うのはデパートの美術コーナーですね。デパートで美術品を扱っているところってありますよね。私が良いなって思うのは、自分の生きている時間軸じゃないような時間軸を感じられるもの。そういうものに対して美とかエレガントとか感じるんですけど。例えば、陶器の人形だとかめちゃめちゃ価値があってそれってある意味開き直って存在していて。どんなに時代が経っても、そういった時間軸が加えられているものってブレないものだと思います。あと、高級カーペットとかも」
藤原
「でも、Comme des Garçonsもそういう感じじゃないですか?ブレなくないですか?
僕自身でもそうですし、DJとかでもそうですけど10年後にあるのかなぁとか思っていても20年40年ずっとあったりするし、このままなくなっていかないのじゃないかなぁって思います。
デパートのアートコーナーとカーペット屋とComme des Garçonsが同列に並んでいるような感じがします」
Q.色んなものが好きで、自分の「コレ!」が分からないっていうことはありますか?
藤原
「いや、ないと思いますよ。それが多分僕と同じような感じで、僕も色んなことが好きで、その時に好きなことで嫌いには決してならない。熱が冷めることもあったけど、好きなものを好きな時にやれる人というか、そういう環境にあれば、特別これっていうものを選ぶ必要ってないんじゃないかなって思いますけどね。
僕らより上の世代って、何か一つのことを極めないとだめっていうか、そういう風潮があったと思います『〇〇バカ』じゃないといけないというか」
質問者
「それをよく言われます」
藤原
「そうですよね、それ無視してください。
好きなものを好きな時にやる」
鈴木
「『辞めたくなっているけどがんばるぞ』とかで続ける方がもったいないんじゃないかって思っちゃうんですよ。長くやるのは大事なんだけど、逆に言うと長くやれるものが大事というか」
藤原
「そうそう、長くやってそれがずっと好きでやっている人はそれはそれで素晴らしいし、その人の知識っていうのは代え難い良いモノがある。そういう人と話すのは僕もとても好きなんだけど。個人的にはその時好きなものに没頭していきたいので、キャパシティがなくなったら自然と多分、ふるいにかけて落ちるものもあるかもしれない」
VERBAL
「これがアドバイスになるかは分かりませんが、好きだったらとりあえず追求してやっていけばいいと思います。辞め時も見えてくると思いますし。
良い例か分からないですが、自分も大学に行って卒業した後、ミュージシャンをやろうと思ってやったんじゃなくて、行き当たりばったりでデモを作ったらデビューのきっかけになって『あ、いいじゃん。学費も払えるし』みたいな。それくらいのテンションではじめたんですけど、やっていくうちにもともと音楽が好きだったんで、一曲が二曲になって、それが四曲になってアルバムになって、気がついたらアルバム二枚目を作っていて、みたいな。
試しにやってみて、ハマらないものはまぁそれだけのものだったということでその時に離れれば良い。だからちょっとでも興味があったら飛び込んでいっちゃった方が良いのかなぁと」
光嶋
「その好きなことを2,3個やっているうちに特殊な職業になっていくと思いますし、こちらの方は皆さんクリエイティブ・ディレクターで、かなり色んなことのスキルを総合した職業に将来的になられているので、多分、そういう感じにはなる」

こうしてイベントは幕を閉じた。
最後にコーディネーターの光嶋崇氏が締めの言葉を飾った。
光嶋
「最後にまとめさせていただくと、自分の中から出てくるものをその時代のテクノロジーを使いながらやっていくというのが良いのかなと思いました。死ぬまでそれを続けるということですかね。
僕の先輩でヒロシさんのご友人でもあるECDさん(日本のヒップホップ・アーティスト)が最近亡くなられて。亡くなられる三ヵ月間ずっと音楽を聴いていたんですね。三ヵ月前にレコードを月に100万円分ずつ買って。で、最後二枚聴けないまま亡くなった。いくら音楽を聴いても最後まで聴けない。でも、それってある意味幸せな気もするんですよね。好きなことをやり続けてやりきれなかった、という。北斎も『あと五年生きればもうちょっと絵をうまくなれたのになぁ』みたいなことを言っていますよね。まぁ20代なんてあっという間ですから、『今を大切に』やりたいことをやってください」
あっという間の2時間───
同時に濃密な2時間だった。
記事を執筆しながら未熟な頭で色々考えた(それがこの教養のエチュードたる所以であるが)。
問題は、テクノロジーにはクリエーションとしての感性が鈍いというところだ。
しかし、人間の持つ知性と感性がテクノロジーに注がれれば、クリエーションにバイアスのかかったテクノロジーも生まれるに違いない。
サンローランがモンドリアンのコンポジションをファッションに取り入れたように。
現代アートからファッションへ、そしてテクノロジーからファッションへ、メロディアスに融合させる。
そんな未来の担い手が現れるのが私は楽しみで仕方がない。
それはゲルハルト・リヒターが写真というテクノロジーを絵画という手法に落とし込んだように、世界に波紋を投げかける。
不可解な現実を、あらゆる比喩を駆使しながら、美しく、時に極端に、社会へ訴えかける。
アートとは問題提起である。
そして、その新たな「問い」は別の世界の扉を開く。
テクノロジーには、私たちが理解を超えた描写力がある。
それは未だ潜在的な力であるが、それが花開いた時、私たちは理解不能な「美」に圧倒されるだろう。
そんな胸を躍らせるような未来が一早く来るための提案を一つ。
テクノロジーの研究には、サイエンスを専門とする研究者だけでなく、アートのスペシャリストを研究者チームに置くべきだと私は考える。
───例えば、クリエイティブ・ディレクターのような職業の人たちを。


