『千原さんのおはなし』の6回目です。
毎回、業界のトップ・オブ・トップをゲスト講師に迎えるれもんらいふデザイン塾。
これまでの講義を塾長の千原徹也さんの視点で解説します。
毎回、インタビューを通して目から鱗が落ちる体験が。
千原さんの視点からものごとを眺めてみると、思考の枠が広がります。
今回は、佐藤可士和さん、谷川じんじさん、She isさん、水嶋ヒロさん、そしておまけとして千原さんの奥さんのおはなし。
それでは、お楽しみください。
千原
僕たちアートディレクターの仕事をしている人間からすると〝伝説の人〟ですよね。
もはや「存在しているのか分からない」というくらいのレベルにいて。
アートディレクターという仕事に希望を与えている。
わかりやすいことで言えば「アートディレクターって稼げるんだ」ということだったり。
ある種、アイドル的存在でもあるので「裏方なのに認知されるんだ」ということとか。
可士和さんの地位にいると「日々をどのように感じながら仕事をしているのか」というところが気になるところではありました。
話を聞いていると、日々の悩みや仕事への向き合い方というのは、「実は僕たちと変わらないんだ」というところが大きな発見でした。
〝特別な人ではあるが、特別他の人と違う生き方をしているわけではない〟ということ。
みんなと同じように悩んだり、色の使い方を迷ったりしている。
それを知ることができたのは僕にとって価値があることでした。
嶋津
さまざま講師の方々が登壇される中で、千原さんはモデレーターとしていろんな質問をされてきたと思います。
可士和さんの回は、質問内容が特に具体的でした。
「このお仕事の、この部分は、どういうお考えだったのでしょうか?」など。
千原
そうですね。
僕も以前から疑問を抱いていたことをしっかりと聞くことで、みんなと同じ目線に立つことができるんじゃないかと思い、わりと考えてから講義に臨みましたね。
SMAPの広告キャンペーンなどは、僕自身の人生にとっても大きな仕事だったので、知りたいことがたくさんありました。
嶋津
千原さんの〝憧れ〟という部分が、ダイレクトにこちら側に伝わってきました。
千原さんがわくわくしている雰囲気が、会場に満ちていて、あの空気感がとても新鮮でした。
僕個人としては、そのような回を今後も味わってみたいという想いがあります。
千原
れもんらいふデザイン塾というのは、僕の立場からいうと二軸あるんですね。
「みんなに知ってもらいたい人」と「僕が個人的に会いたい人」という。
可士和さんの回は完全に後者ですよね。
その二軸で人を選んでいくと、それぞれの回によって動きが出ておもしろいんですね。
これは雑誌『ブルータス』の編集の方が言っていたのですが、「僕たちは毎週ファッションのことをやっているわけではない」と。
「雑誌というのは一定のカラーよりも、号によって差がある方が人気がある」という話が僕の脳みそに刺さっていて。
今週はコーヒー、来週はどんぶり、その次は建築だったり。
「号によって差が出る方がおもしろい」と。
れもんらいふデザイン塾の人選はそのことを意識しています。
千原
谷川さんは何度もれもんらいふ塾に出てもらってます。
先ほどのブルータス的編集でいうと、「年に一度は必ずやりたい号」ですねw
〝空間特集〟みたいな。
しかも、谷川さんは同じ〝空間特集〟でも去年の号とは違う内容を用意してくれるんですね。
毎年切り口を変えてくれるので、満足度が高い。
谷川さん自身の中でも仕事のアプローチが変わってきていて、コンサル的な内容が充実していたりする。
今回は、企業の未来についてのお話もあっておもしろかったですよね。
谷川さんの状況によって話す内容も変わってくると思うので、今後もお招きしたいですね。
《Vol.15 She is》
千原
れもんらいふデザイン塾のゲスト講師の方々って、キャリアのある方が多くて。
その中でも彼女たちは、年齢も若いし、サイト自体もまだ若い。
そういう意味では塾生たちのみんなと目線が近くて、いいんじゃないかな、と。
みんなそれぞれに悩みがあって、きっとそれは世代によって似た種類の壁だったりすると思うので。
彼女たちの言葉が、みんなにとってのアドバイスになればと思いお招きしました。
嶋津
確かに共感しやすい距離感なのかもしれません。
千原
共感もするし、クリエイティブの業界においても女性が多かったりする。
テリー伊藤さん、前田裕二さん、佐藤可士和さん、谷川じゅんじさん…と、男性が続いている中で、女性の働き方について語ることができるという意味では、とても良い回だったと思います。
千原
水嶋ヒロさんは俳優業からシフトされた方で。
俳優としての主な活動期間が実質3年ということでしたが、みんな(塾生)にとっても3年というのは悩む時期だと思うんですね。
「この仕事でいいのだろうか?」と。
実際にみんなからそのような相談をされることも多く。
きっかけがあるにせよ、彼の中で大きな変化があり、「自分がやりたいこと」にシフトしていったという意味は参考になる部分は大きいと思いました。
She isと水嶋ヒロさんに共通していたのは、2組とも「明確なビジョンがなかった」ということです。
「こういう人になりたい」ということではなく、「漠然とした目標の中でのやりたいこと」だったりする。
「あたたかい家庭をつくる」という意味では、リアルなことかもしれないけれど、仕事という意味では選択肢が多過ぎる。
それはShe isさんにしてもそう。
She is(女性)とくくったおかげで、仕事として形になっていますが、明確に「何の仕事」なのかは分かりづらかったりします。
「何をやりたいのか」を明確に決めなければ周りの人のサポートって難しいと思っていたんですね。
例えば「アートディレクターになりたい」と言われると、僕もやりようがあるのだけど、「何になりたいのかわからないんです」と言われると助けようがないんですね。
そういう意味では「仕事は明確にした方がいいよ」と言ってきたのですが、今日の2組はそうではなかった。
異なる概念から、それに合った仕事に繋げている。
僕にとっても新鮮な時間でした。
嶋津
《千原さんのおはなしvol.4》で、〝チャンスに対する考え方〟についてのお話で。
「ここに書かれたことは確かに真実だと思うけれど、〝これが好きだ〟というものを見つけている前提の話なんだよね」ということを仰っていて。
つまり、「自分自身のスタート地点を見つけていないとアドバイスできない」と。
この日の講義は異なる角度からの切り口でしたね。
千原
「She is」という括り方は、悩みからきているところもあると思うんですね。
明確であれば「デザインのサイト」や「映画のサイト」、あるいは「ファッションのwebマガジン」というのはわかりやすい。
「女性」という括りというは、何をやっているのかわかりにくいのですが、「その手があったか」という気がしましたね。
ここからは少しおまけのおはなし。
1月のとある日、僕は5時間にわたり千原さんのインタビューをさせてもらいました。
顔を覗かせる言葉たちは、みんないきいきしていて、心地良い響きを持っていました。
その中の一つを紹介したいと思います。
以前から僕は、千原さんのことを〝天性の物語作家〟と呼んでいます。
しかし、アートディレクター千原徹也の今の成功は決して本人だけの力だけではありません。
陰で彼を支える存在がいたからこそ。
そして、その存在が〝千原徹也〟に物語の種を蒔きます。
千原
この前、リニューアルされた藤子不二雄ミュージアムに行ったんですね。
(リニューアルする)前に行った時、藤子先生が結婚する時、正子夫人に伝えた言葉というものが展示されていて。
「一生に一度は、読んだ子供達の心にいつまでも残るような傑作を発表したいと思っています。」
この言葉ね、世の中に向けて言ったわけじゃないんですよ。
奥さま個人に対して伝えた言葉というところがすごく刺さった。
嶋津
すごく、すてきな物語ですね。
千原
その言葉に対して、(リニューアル後の)今回は新たな言葉が増えていました。
それは、正子夫人の言葉。
亡くなった藤子先生に向けて書かれていました。
「その後、どうしていますか?
何故と思う程、寸暇を惜しんで書き続けた漫画、
いまも変わらず子供達が読み、観てくれていますよ。
良かったですね。おもしろいんですよ。
優しく、マジメ、高い理想を持った貴方と過ごせた事、
これからも過ごすことが出来る事、
家族は感謝しています。」
嶋津
これはヤバイなぁ。
すごくいいですね。
千原
亡くなった今もなお、ドラえもんの映画もずっと続いている。
今も子どもたちの心に残る作品を世の中に届けているんです。
その話を聴きながら、僕と妻は目頭が熱くなりました。
妻はちょっぴり泣いていました。
涙を堪ながら、ふと千原さんを見ると、千原さんの目もちょっぴり赤くなっていました。
このままだとみんな泣いてしまうと思ったのか、千原さんは話しはじめました。
千原
3年前にも、奥さんと子ども2人を連れて藤子不二雄ミュージアムに行ったんですね。
手塚治虫先生にはじめてもらった手紙と、亡くなる最期にもらった手紙を両方並べてあったり。
いろいろ展示されている中で、画家の藤田嗣治(レオナール・フジタ)さんの絵が飾られていた。
説明書きを読むと、どうやら藤子先生が人生で初めて買った絵画だったようで。
おそらく、若い頃はお金がなくて。
フジタのことが大好きだった先生が、稼ぐようになって、自分で初めて買う絵は「藤田嗣治の作品だ」と決めていて。
その絵画を生涯自分の手元に飾っていた、と書いてあった。
僕はその絵を見ながら奥さんと一緒に「いいねぇ」なんて話していたんです。
僕もフジタの絵のタッチが好きなので、何も考えずに「欲しいなぁ」とか言っていたんですよ。
すると、その年の40歳の誕生日。
奥さんがフジタの絵画をプレゼントしてくれたんです。
「千原徹也がはじめて買うアート作品は、藤子不二雄先生と同じ、藤田嗣治の絵画にしてほしい」
しかも、その作品のタイトルが『四十雀』で、その年の僕の年齢と同じ数字なんです。
めちゃくちゃ高かったと思うんです。
画廊を次々と探し歩き、わざわざ仕入れてもらってまでして買ったらしいのですが。
「だから10年はもうプレゼントないよ」って言われましたw
でも、藤子不二雄ミュージアムに行って「いいね」って言っていた、その〝体験〟を立体的にしてくれたということはすごく嬉しかったですね。
妻にはいろいろ助けられています。
彼女の根底に「千原徹也をどう上げていくのか」ということが自分のミッションであると思っている。
とても感謝しています。
その絵は、今も事務所の机に飾っています。
佐藤可士和さんの記事を書くにあたり、可士和さんに関連する本をいくつも読みました。
その中で『佐藤可士和のつくり方』という、可士和さんの奥さまである佐藤悦子さんの著書が衝撃的で。
びっくりするほどおもしろくて。
〝佐藤可士和〟をどうブランディングして、大きくしていったか。
その試行錯誤と熱量には脱帽です。
その時、ふと思いました。
千原さんの奥さまのインタビューをいつかしてみたい。
『千原徹也のつくり方』は、すでに形になっているだろうから。