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千原さんのおはなしvol.4(読む「れもんらいふデザイン塾」番外編)


今回もはじまりました、『千原さんのおはなし』。

塾長の千原徹也さんにゲスト講師の関係性や講義の感想をお聞きし、そこからクリエイティブのヒントを掘り起こします。

塾生とお話する時、「講義レポートを書いている者です」と自己紹介すると高確率で「『千原さんのおはなし』楽しみにしています」という声をいただきます。

講義レポートのサブ企画としてはじめたこの『千原さんのおはなし』ですが、意外にもこちらの人気は高く。

兎にも角にも、喜んでいただけて嬉しいです。

今回は、〝チャンスに対する考え方〟

「人生にはチャンスは3度巡る」という言葉をよく耳にしますが、実際にチャンスはどのような形で訪れるのでしょう?

もし、その3回限りのチャンスを掴み損ねたら……果たしてそこで人生は終わりでしょうか?

そうであるならば、成功に対する期待、又は失敗に対する不安に押しつぶされて負けそうになります。

千原さんの〝チャンスに対する考え方〟は、もっと自由で、萎縮しそうな心を解放してくれます。

あらゆるきっかけを自分の物語として補強し、巡り合わせを形にする力。

この考え方ができれば、世の中はより豊かな色彩に輝いて見えるでしょう。

それでは、お楽しみください。

 

〈テリー伊藤〉

嶋津

第9回ゲスト講師のテリー伊藤さんでした。

〝テレビの人〟というイメージもあってか、普段のれもんらいふデザイン塾にない空気感でしたので、それを含めて非常におもしろかったです。

千原

テリーさんってもともと裏方の人ですけど、世の中の印象としては今やタレントやコメンテーターというイメージですよね。

「裏方だけ」という方の話は探せばそのような機会が結構あったりするのですが、テリーさんのような方の講演というのは滅多になく。

それが実現したというのはとても価値のあることだと思っています。

嶋津

講義の中でもお話されていましたが、出会ってからまだ間もないという。

千原

GATSBY CREATIVE AWARDSという若者がクリエイティブを競い合う場があり、その審査員として出演した時にご一緒したのが出会いで。

審査員は数名いるのですが、基本的に楽屋はみんな大部屋で。

テリーさんだけ1人部屋だったんです。

入りづらかったのですが、なかなかテリーさんとお会いする機会もないから、意を決してノックして挨拶に行ったんですね。

するとテリーさんは快く「ソファ座りなさい」と。

そこで、ゆっくりとお話してくれて。

嶋津

講義の中で、アワードでのテリーさんの話が刺さったというお話をされていました。

アワードの総括としてテリー伊藤さんは学生に向けてスピーチした。

2020年の東京オリンピック、あんなのオジサンたちに任せてしまえばいい。

それまでやって来た人のご褒美くらいでやらせておけばいい。

君たちの時代は2021年からはじまるんだ。

千原

僕自身、クリエイターでありながら次回のオリンピックとは何も絡んでいなくて。

なんとなく「もっとこうあって欲しかった」という想いはあるんですね。

クリエイターが集まってオリンピックに対して意見を出し合う会議があって。

僕も出席していたのですが、結局のところ具体的に行動に移せる人は決まっていて───それができるのはほんの一握りで。

「日本の素晴らしさってもっと違うところにあるのに、どうして取り壊してしまうのだろう」とか、それぞれの想いがある。

国や行政に対してもそうですが、そこには突破できない壁がどうしてもあって。

その時、テリーさんのあの言葉に僕自身も救われたんです。

日本で開催されるオリンピックに関わることができないことってクリエイターとしてどうなの?

そう考えていた人って、僕を含めてたくさんいると思うんです。

それよりも、「これから先、自分たちが輝ける場所はいくらでもあるんだよ」って。

そう教えられたような気がして。

テリーさんは学生たちに向けて話していたのですが、テリーさんの後ろにいた僕にその言葉が深く刺さった。

そういう話を聴くことができればと思いお声かけしました。

僥倖。

嶋津

テリーさんをれもんらいふデザイン塾にお呼びすることになったきっかけ───「今、ノックして挨拶しに行こう」という。

あるいは菊地凛子さんのHPを手掛けた時も、わざわざアメリカまでプレゼンに行ったという話もあるのですが。

千原さんの中で「ここ」という瞬間を意識されたりするのでしょうか?

千原

なんとなく日々生きているとチャンスっていくらでも転がっているんですよ。

きっとチャンスって毎日100個くらい転がっていて。

でも、97個くらい逃しちゃっているんですね。

そのたまたま掴むことができた3つのうちの1つだったように思っています。

菊地凛子さんの時もそうだし、テリーさんの時もそう。

初めて自分の仕事が世に触れて、一番バズったのって装苑の表紙でCHARAさん。

れもんらふデザイン塾vol.1より(未公開内容)

千原

装苑っていう雑誌の表紙を初めてやった時、CHARAさんが表紙なんですが。

その依頼が来た時になんとなく「がんばらなきゃな」っていうのはありました。

それまではファッションでもカタログの仕事が多かったのですが、普通に編集長に言われた通りに作っていくと、〝アートワーク=編集長のもの〟になってしまうので。

「ここはがんばらなきゃいけないところだ」と気付いて、結構自分の意見をしっかり伝えるために闘った記憶があるんですよね。

おかげで認知されるきっかけになりました。

装苑の表紙って色んなアートディレクターが毎号やっているんですけど。

僕の作ったものが世の中に出た時、「これをやった人は誰?」っていう話になったんですね。

装苑の表紙で「アートディレクターが誰か?」という話題になることはその後もあまりないことで。

「あ、なんか異物感があったんだな」って。

僕がやったっていうことを世の中に理解してもらえたことが大きかったですね。

*****

千原

あの時もなんとなく、「ここ大きなチャンスになるかも」と思った。

CHARAさんの表紙ということは、装苑サイドとしてもCHARAさんが出ているだけでもういいんですよ。

CHARAさんをスタイリングして、格好良ければもう合格なんです。

クリエイターもたまに忘れがちになるのですが、「CHARAさんを撮影できるということで盛り上がってそこに喜びを感じてしまうと、自分をそこに反映させる───爪痕を残すということを忘れがちになる。

「これ、誰のデザイン?」というところまで持って行かないといけませんよね。

あの時はそのことに気付くことができた。

嶋津

勝負所───ある種の勘のようなものが働くのですか?

千原

勘───まぁ、勘ですね。

結局、僕たちはほとんど逃しちゃってるんです。

何個か当たったうちの1つで。

振り返った時に、「あれはチャンスだった」と気付くのですが、実際のところはほとんどチャンスを逃しちゃっているんです。

何個が当たって、今がある。

みんなそうだと思います。

嶋津

気付けていないチャンスの方が多い。

「この一点に勝負をかけないと」というよりも「もっともっとチャンスがある」という考え方、という。

千原

そう、〝たまたま〟ということですね。

テリーさんの部屋をノックして挨拶に行けたのもたまたまで。

ノックしないでやり過ごすことだってできるわけですから。

緊張しなくて済むしw

あの時はね、たまたま行けたんだよね。

結局チャンスって「これを見逃していたら終わりだった」ということでもないと思うんですよ。

たくさんあるうちの1つを拾えたり、見逃したりしているだけで。

ほとんどは気付くこともできていなくて。

でもそれによって人生が大きく変わっていくのは本当だと思います。

もしあの時あれをやっていたら、今の自分が逆にないと思うとそれも怖いじゃないですか。

 

チャンスは日々、どこにでもある。

そこにアプローチをかけるか、ただただ見過ごすか。

そう考えて日々を観察することができれば、ゴミの山だって宝に見えるだろうし。

成功も失敗も、〝自分の人生〟というストーリーの中に取り込んでしまえば、全てが力に変わる。

千原さんの頭の中にはいつだってカメラが回っています。

俯瞰で映したり、ズームしたり。

僥倖(思いがけない幸い)は結果論だし、そこに気付けるか、そして近づく勇気があるか。

そう考えると人生は楽しいものですね。

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