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読む「れもんらいふデザイン塾」vol.7


今回のゲスト講師はチャラン・ポ・ランタン。

ももさん(唄/平成生まれの妹)と小春さん(アコーディオン/昭和生まれの姉)による姉妹ユニット。

結成10周年を迎える2019年へ向けて、新しく走り始めた彼女たち。

10年の軌跡と、その中で進化していくそれぞれの個性。

個性が磨かれることで、より堅く2人の絆は結ばれる。

2人の才能が離れれば離れるほど、チャラン・ポ・ランタンは幅を拡げ、より一層強い1つの生物になる。

「どんな変化が起ころうが、あくまでもチャラン・ポ・ランタン」

そう言ったももさんの言葉が印象的だった。

2人の全てはこの言葉に集約されるような気がする。

そして、2人の言葉は〝注射〟を思い出させる。

小春さんの言葉は注射針のように鋭く、ももさんの言葉はその後のふんわりとしたガーゼのように優しく包んでくれる。

注射器の中に入っているのは彼女たちの世界観、哲学、美意識。

深くまで注入するのは小春さんだし、それを優しくあたたかく包むのはももさんだ。

10年の軌跡を辿る前に。

チャラン・ポ・ランタンの原液となる言葉の数々を紹介したい。

この講義の中で現れたパンチライン。

どの言葉にも力強さと熱がある。

小春さんの鋭い感性がゆえの尖った言葉を、ももさんがやわらかくフォローする二人のコンビネーションを含めて楽しんで頂きたい。

※不躾ながらここからは敬称略で進めてまいります。

 

小春

全部が得意な人なんて一番つまんないですからね。

何かが突き抜けていて、その他が全然ダメっていう方がいい。

人間ってきっと所有できる数字っていうのは誰もが一緒で。

多分、私はアコーディオンが70であるがゆえに、人間関係をうまくやる能力が30しかなくて。

多分、その数字を均等にできる人というのが普通の会社で、普通に仕事をこなすことができる、普通の人なんじゃないでしょうか。

ももちゃん

なんか、多くの知らない誰かをディスってない?

会場www

小春

むしろ私からしたら全部平均的にいられる人って相当頭ヤバイ。

だから「すごいなぁ」って思って。

尊敬します。

あんなの私、無理無理。

小春

一年一年経つほどに、「自分を信じるしかない」と思うようになりましたね。

例えば「こういう曲を作った方が絶対にウケるから」みたいなことを言われて、その通りに曲を作ってみたとしても、それでハズれたとしたら「一体誰のせいなんだ?」って話じゃないですか。

自分が〝やりたい〟っていう曲じゃないとダメで。

自分の責任で自分が作る。

〝自分の作品〟を作らないと、それは誰のものにもならないですから。

千原

そうだよね、人に言われちゃうとその人のせいにしちゃうよね。

小春

作品自体が誰のものでもなくなっちゃって。

ただ時だけが過ぎていくんですよ。

今、言えることは「とにかく自分がやりたい、自分が自信があって、自分が最高だ」っていうのだったらどれだけ酷評されても全然平気です。

千原

その作品に想いを乗せることができるからね。

「自分がやりたいことをちゃんとやっていかないと」ってことだよね。

小春

「本当に向き合ってやりさえすれば、ちゃんと返って来るんだな」って思いますね。

生半可に〝なんとなく〟で作ったものって、やっぱり〝なんとなく〟の返事しか来ないんですよ。

曲でもライブでも、全体的にそうなんですよ。

曲は自分たちの鏡みたいなもので、どんどんどんどん私みたいな性格の曲が増えていくのだと思います。

ももちゃん

小春ちゃんがいて、小春ちゃんのアコーディオンがあって、小春ちゃんの思い描いている世界があって。

そこに私がいて、そして私が歌うことでチャラン・ポ・ランタンだっていうのが改めて感じています。

たくさん歌いたいし、たくさんの人に見てもらいたいです。

 

2つの異なった個性が見せる独自の世界。

音によって、言葉によって、ファッションによって、それらがメロディとなることで紡がれる。

***

それでは、チャラン・ポ・ランタンのはじまりの、はじまりから。

それは、小春7歳、もも2歳の年───

母の手に連れられ、シルクドソレイユの『アレグリア』を観に行ったのがきっかけだった。

小春

生演奏のサーカスなんですけど、とにかくパフォーマンスが圧巻で。

そこではじめてアコーディオンと出会いました。

お母さんに「あれが欲しい」と言ったら、「私持ってないから、サンタさんにお願いしたら?」って。

クリスマスの日、サンタさんから届いたプレゼントがアコーディオンだった。

小春

届いたは良いのですけど、それが小さなオモチャのようなもので。

おそらく、予算の問題で。

ももちゃん

そういうこと言わないの。

小春ちゃんの身体にベストフィットのものをサンタさんは選んでくれたんですよ。

小春

時を経て、私のサンタは「アマゾンでこれ2000円くらいだよ」って教えてくれたんですけどw

7歳の時の私はピュアだったので、「サンタマジすげぇ!」って思って、年がら年中弾いていました。

要約するとその時にはじまり〝今〟に至る───って感じです。

シルクドソレイユで見たあの頃の〝ときめき〟が、今なお続いている。

小春の身体が大きくなるにつれて、年々アコーディオンも大きくなっていった。

転機が訪れたのは小春が17歳の頃───。

当時、高校二年生だった小春は、誰もがその時期に選択を迫られるのと同じように将来のことを考えた。

小春

周りは「大学に行く」とか色々言っていて。

自分の性格も分かっていて、〝集団で何かを学ぶ〟という立ち位置ではないだろうっていうのは分かっていました。

今までやってきたものが、私にはアコーディオンしかなかったので。

ももちゃん

小春ちゃん、今はこんなにたくさん喋っているんですけど、当時は家族にも「あ」とか「う」とかくらいしか喋らなかったんです。

小春

その上、屁理屈大魔神。

人と関わる絶対数が少なかったから、何て返事をすれば良いのか分からない。

褒められても殴ってましたからねww

例えば、髪型を褒められたとしても、「嬉しい」という感情を相手にどう伝えれば良いのか分からずに〝殴る〟という。

そりゃうまくいかないわけですよ。

なるべく人と会話をしないでお金を稼ぎたい、と。

私は本当にアコーディオンしかできなかったので、そこで見つけたのが〝大道芸〟だったんです。

目の前に缶を置いて、黙ってパフォーマンスをしていれば稼げるかな、と。

それで大道芸人になろうと決めたんです。

東京都生活文化局が管理しているサービスがあって、そこで大道芸のライセンス(ヘブンアーティスト)が取得できます。

そのライセンスがないと公共施設や民間施設でパフォーマンスできないんですね。

ももちゃん

〝ストリートミュージシャン〟っていうのとまた少し違って。

大道芸の人は〝職業:大道芸人〟なんですよ。

ちゃんと事前に電話で場所を押さえて、パフォーマンスして、お金を稼いで、それでごはんを食べていってるんです。

小春

そのライセンスを取得したら路上でパフォーマンスしても警察に捕まらないんだと思って。

「ライセンスを取ろう」と。

とはいえ、大道芸のライセンスを取得するのはかなり難易度が高い。

厳重なビデオ審査の後、一般客と審査員の前でパフォーマンスをする。

小春がライセンスの試験を受けた時、応募者は1000名を超えていた。

その中で合格したのはたった9組───その中に小春はいた。

───小春、17歳。

千原

すごい。

そんなに狭き門なんだ。

小春

「これで喋らなくとも生涯安泰だ」

そんなことを思いながら、上野公園でパフォーマンスをはじめました。

若い子が通ればディズニーメドレーを。

年齢の高めの方が通ればロシア民謡を。

お金持ちが通ればシャンソンを。

ももちゃん

投げ銭箱に「パリに行きたいです」って書いて。

小春

そうそう、嘘だけどね。

会場www

小春

「アコーディオン弾きの小春です。

パリに行きたいです、よろしくお願いします→」

って書いて。

喋らないから、自己紹介も紙に書いて。

するとたまに、腕にじゃらじゃらと宝飾品をつけた貴婦人が「パリに行った頃を思い出すわ」ってお金を入れてくれたり。

その頃、妹のももはまだ中学生だった。

姉の小春とは性格は正反対。

人付き合いが上手で、友達が多く、部活と遊びの繰り返しで毎日を楽しく過ごしていた。

チャラン・ポ・ランタン結成のきっかけ

小春

二十歳の時に〝親知らず〟を抜くことになったんです。

その手術が長くて長くて。

気分を紛らわせるために、その間、頭の中で曲を作っていたんですね。

幸か不幸か、医者は小春の歯茎の中に隠れている〝奥歯〟に手こずった。

曲が完成しても、まだ手術は終わらなかった。

時間を持て余した小春は、その曲に歌詞をつけていった。

それまでに何曲も創作してきた小春だったが、歌詞を考えたことは一度もなかった。

そしてついに、曲だけでなく歌詞まで完成した。

せっかく歌詞付きの曲ができたので「誰かに歌ってもらおう」と。

知り合いにボーカリストはいないし、どうしよう?

なんて思っていたら家にすごく暇そうな人がいて…

ももちゃん

それが私なんです。

同じ家に住んでいながら置かれた立場として全く違うところにいました。

小春ちゃんはもうすっかり外の世界でアコーディニストとしてバリバリ仕事をしていて。

私はごくごく一般的な中学3年生で。

部活と遊びで毎日わいわい。

千原

社会的な位置が全然違うもんね。

ももちゃん

部屋にいると「おい」って声をかけられて。

唐突に「歌、歌える?」って。

姉はコミュニケーションが苦手で、なんてことない話みたいなことができないんですww

必要最低限のことしか喋らない。

「まぁ、友達とカラオケとかは行くけど」って答えると「作ったから、歌、よろしく」みたいな。

それからすぐにチラシとか作り始めちゃって。

〝ゲストボーカルが来るよ!〟ってww

言われるがまま、やることになりました。

小春

当時、一緒にバンドを組むっていう時に、こだわっていたのが〝巧さ〟よりも〝暇さ〟で。

当たり前ですけど巧い人って忙しいんですよ。

練習の回数が少なくなるより、ちょっと下手だけど一緒にやっていくうちに巧くなるであろう、という〝伸びしろ〟の方を見て組んでいたところがあって。

で、ももさんがすごく暇だ、と。

千原

暇だと色々都合つくもんね。

小春

あと、練習もするし。

ユニットに対して練習時間を費やしてくれるじゃないですか。

だから「暇です」っていう基準で選んだところがあります。

ももちゃん

小春ちゃんのプロデュース力が本当にすごくて。

自分のやりたいことがはっきりしていて、つくりたいモノのヴィジョンを明確に持っている人だから。

初めてステージに立った時、私は何も分からない中学生で。

知らない大勢の大人が一斉にこっちを見ているのが、まだちゃんと受け止め切れていなくて。

小春

オロオロしてるんですよ。

緊張しているし、何より立ち方がダサくて。

これはヤバイと思って。

ショートカットのももの髪に、おかっぱのズラを被らせた。

緊張のため泳いだ目には、ハート型のサングラスを。

棒立ちで歌う佇まいをごまかすために、豚の人形を持たせた。

何か顔のついている人形を持たせたら、ヤバイ素人みたいな立ち居振る舞いのボーカルの顔を見る回数が減るんじゃないかと思って。

顔、豚、豚、豚、顔…みたいにww

視線を送る対象がばらける。

この豚の人形は、ステージに立った初日から持たせているんです。

おかっぱに豚の人形という今ではお馴染みのもものルックスは、初ステージで既に小春から演出されたものだったのだ。

ももちゃん

小春プロデューサー曰く〝手持ち無沙汰〟からの〝手持ち豚さん〟って。

小春

今は時が流れて手放す時期を逃した人形っていう感じではあるんですけど。

誘われた翌月───2009年5月、初ライブ。

ソロ以外でもインストバンドを組んでいた小春は、馴染みのライブハウスで2ヵ月に1度、ワンマンライブを開催していた。

そのバンドでのゲストボーカルとして、ももは初めてのステージに上がる。

ももちゃん

「歌え」って言われたら歌う、「下がれ」って言われたら下がる、MCの時も全く喋らない。

千原

あ、喋らなかったんだ。

ももちゃん

もう何を喋って良いのか分からない。

多分お客さんも「アイツは一体何者なんだ?」っていう感じだったと思います。

小春

〝妹〟とは絶対に言いたくなかったんです。

身内をバンドに出すのってどうかと思っていたのでw

だから紹介の時も「空から降って来たももちゃんです」みたいな感じで。

ももが参加したステージは成功し、そしてその2ヵ月後のワンマンライブで正式にももが小春とユニットを組むことを発表した。

2009年7月、チャラン・ポ・ランタン結成。

小春とももの進化論。

千原

小春ちゃんって7歳からずっとアコーディオンを続けてきたんだよね?

それもすごいよね。

それくらいの年齢だったら飽きたりしそうじゃない?

小春

これは本当に性格だと思います。

友達がいなかったから。

家に帰ってもこれしかやることがなかったんだもの。

小学生の時が最も友達との楽しみ方が分からなかった時期で。

ずっと「一人の方が楽しい」って思ってましたからw

アコーディオンは一人で完結するから尚更で。

私たちの家庭って、両親が絵描きなんです。

その影響もあって私も絵を描くのですが、絵もアコーディオンも両方孤独な作業なんですね。

だから本当に言葉が上達しないまま大人になって。

今、こうやってみんなの前で喋ることができるのも必要に迫られたからなんです。

喋った方がお客さんの足が止まる───つまり、お金が入るんですよw

ももちゃん

生き抜くための知恵なんですよね。

妹ながら「ああ、人間ってこういう感じで進化していくんだ」って思いました。

全く喋らなくてもいいように、最初は紙に自分の名前まで全部書いていましたから。

小春

あがり症だとか言っている人は窮地に立ったことがないんだと思います。

〝喋らないと死ぬ〟みたいな。

ももちゃん

お小遣い稼ぎで大道芸人をしていたんじゃなくて、小春ちゃんのアコーディオンは本当に生き抜くための仕事で。

そのお金で何台もアコーディオンを買っていますからね。

小春

お母さんとかにお金を借りたくなかったんです。

というのも交渉ができないんです。

「いついつまでに頑張って返すから、お金を貸してちょうだい」っていう、そういう駆け引きができないんです。

だから全部自分で稼いだ。

千原

発想として「サラリーマンになる」とか「大学に進学する」っていうのは全部違うよね。

小春ちゃんは最初から〝自分でお金を稼ぐ〟ってことをやってるんだもんね。

小春

意地ですよ。

お母さんにお金を借りる交渉ができない意地。

千原

それが本当に大事で。

〝サラリーマン〟ってよくよく考えてみると不思議な仕事で。

まだ何も能力がないのに、いきなり20万とかもらえるんですよ。

会社はその人にこれから教えることがたくさんある上に、可能性も何も分からないのに最初からお金を渡していて。

本当はマイナスから入るのが本当だと思うんですよ。

新入社員は仕事を教わっているわけだから。

小春ちゃんは「最初から稼いでる」っていう。

稼ぐために喋るというスタイルに変更したっていうことかな?

小春

本当にそうなんです。

明日ごはんを食べるお金が欲しいがために、結婚式場の関係者の人たちにあまりよく知らない曲でも「弾けます」とか言っちゃったり。

その代わり、本番当日までにはとことん練習して必ず弾けるようにしますからね。

それが自分のためになっていたりするんですけど。

ももちゃん

私は小春ちゃんがひいてきたレールに途中から参加した者なので。

最初は言われるがままに「こういう風に歌え」っていうのに「はい」ってなんとなくやっていて。

「一生歌で生きていくんだ」とか「こんな風には歌いたくない」っていう自分の意思が全くなかったんです。

特別なやりがいがあったわけでもなかったですし。

お父さんもお母さんも「小春ちゃんにはアコーディオンがあるから」って言っていました。

「とにかくあの子はアコーディオンを弾かせれば、今後の人生、大丈夫だから」って、自信を持って。

それを当たり前のように聞いていたのですが、突然淋しくなった瞬間があったんです。

中学2年生の時に、それまであんなにわいわに楽しく遊んでいた友達が急に進路のこととか話しはじめて。

毎日遊んでいた友達が「こんなことやりたい」とか。

私は本当に何も考えていなくて、一人になったら「何も持っていない」ということに気付いたんです。

「私には何もないんだ」

それまでずっと「私は小春ちゃんとは違う」と思って生きてきたけど、その時にすごく小春ちゃんのことが強く思えて。

小春ちゃんにはアコーディオンがあるけど、一人ぼっちになった私には何もない。

アピールできるものも、自信を持てるものも、何も。

だから、本当に小春ちゃんが〝親知らず〟を抜いてくれてよかったんです。

たまたま「これを歌って」と言われて。

この〝たまたま〟に出会えたおかげで今がある───。

〈今年、東京・NHKホールにて開催された『大拍乱会』の模様〉

歌いはじめて半年経った頃くらいから、だんだん自分の中で自信が芽生えてきて。

小春ちゃんが〝わたしの歌〟を必要としてくれていることを感じた時、そこではじめて生きがいを感じて。

自分の存在意義というか、人に必要とされている素晴らしさみたいなものを感じるようになってきて。

そこではじめて「歌で生きていきたい」というのが自分の意思として生まれました。

千原

小春ちゃんにとっての〝アコーディオン〟がももちゃんにとっての〝歌〟という。

ももちゃん

そこからだんだん、自分の感情が「こういう風に歌いたい」「こういう風に見せたい」というのが出てきました。

〝自分に自信が持てるものこそ大切だな〟と。

小春

こういうタイプの人って多い気がします。

ももちゃん

小春ちゃんが特殊なんですよw

7歳からアコーディオンを弾き続けることができる人の方がイレギュラーですから。

小春

文集とかにも「アコーディオン弾きになります」って書いてありますからねww

だから私の話はみなさんにはあまり参考にならないかもしれません。

千原

もしかしたら、ももちゃんはチャラン・ポ・ランタンの共感しやすいポイントなのかもね。

ももちゃん

好きなことや興味のあるものはたくさんあったんですけど、「これ」っていうのがなかったんです。

小春

こういうタイプの人って、どんな場所でも器用だから、どのバイトでも重宝されるし。

すぐに辞めて、新しく次の環境に行っても、うまくやれちゃうんですよね。

反対に私は〝ここじゃなきゃ〟っていう、自分のステージみたいなところがあって。

千原

対照的だね、本当に。

小春

だから今、歌を続けられているのが奇跡のような状態ですよ。

ももちゃん

生きてることと歌っていることくらいしか続いていない。

本当に歌って楽しいんですよ。

とにかく楽し過ぎて。

毎日歌っても、「こんなに楽しいか!」っていうくらい心底楽しい。

小春

色んなところに所属して、そして辞め。

色んな人たちと関わって、そして辞め。

男性と恋愛して、そして別れ。

そういうことを重ねていく度に、「自分たちだけでもやっていける」という気持ちがどんどん強くなっていきました。

ももちゃん

チャラン・ポ・ランタンの結束が強まったっていうか。

「相方さえいれば」っていう。

二人は道端やカフェで演奏し、イベントがあれば出演し、パフォーマンスできる場所があればどこへでも行き、何でもやった。

2014年、エイベックスからメジャーデビュー。

小春のディレクター視点

もものアクトレス視点

小春こそがチャラン・ポ・ランタンの世界の創造主だとももは語る。

その世界の中で小春のイメージの枠を超えて輝くのが、ももだ。

その天真爛漫さが、ロジックを超えた輝きをステージに与える。

小春の描く世界観を誰よりも理解し、美しく、華やかにステージを彩るもも───まさに女優。

圧倒的なテクニックでプレイヤーとしても、そして演出家としても、総合的に空間を創造していく小春。

チャラン・ポ・ランタンは、2人で1つ。

小春

自分がやりたいというものに対して

〝ここは自分でやらないとマズイ〟という部分はすごいスキルを修得できますけどね。

〝ここは人に頼んでも大丈夫かもしれない〟又は〝自分より得意な人に頼んだ方が良い作品ができる〟という場合はガンガン人に頼みますね。

例えば、私も結構絵を描くことが好きで、よく描く機会があるのですが、CDのジャケットまで「自分で描きたい」とは思わないんです。

「自分がやること=最高の作品」という式が成立していなかったら、私は関わらなくても全然構わないですね。

ももちゃん

小春ちゃんほど、私は何も考えてないのかもしれないなぁ。

小春

うん、ももさんは考えてない、絶対に考えてない。

会場www

小春

最近は効率のこととか考えちゃいますね。

例えば「この期日までに私がこの作業にかかりきりになる」となった時に他の部分がおろそかになるのではなかろうか、という謎の計算が入ってくる。

ももちゃん

私はその〝謎の計算〟が全くできないので、生きている中でおもしろいかおもしろくないか───心が躍るか踊らないかだけで判断していますね。

難しいことは全く考えていません。

千原

さっき、一緒に組みたいのは〝暇そうな人〟っていうワードが出たけど。

他に基準となるポイントってあるのかな?

小春

〝私のことを好きかどうか〟ですね。

プロジェクトの核の人物のことが好きかどうかですよね。

「プロジェクトが好きかどうか」よりも「その人のことが好きかどうか」だと思います。

〝好きであるがゆえに別の意見を出す〟ということであれば建設的な話し合いになるんです。

ただ〝コイツのこと全然理解できない〟と思われながら別の意見を出されたところで、何も膨らまない。

ももちゃん

小春ちゃんのつくりたいものがあって、ヴィジョンがはっきりとしていて、小春ちゃんを軸に動くという大前提ですよね。

千原

そうだよね。

お互いがお互いのことを好きかっていうのは大きいよね。

小春

色んな人たちと一緒にツアーを回ったりだとか、私たち2人以外はみんなサポートミュージシャンですから、そのメンバーにも出入りがあって。

色々な人たちとの組み合わせを経て思うのが、やっぱり〝巧いだけじゃ成り立たない〟ってことですよね。

音楽と言えど、(ライブ中)ステージ上で人間関係のキャッチボールが苦手な人っていうのは周りのことを把握できていないんですよね。

「こういう曲で、こういうゴールに向かって10人でやっていこう」って思っていても、一人だけでも解釈がおかしいと全てがうまくいかない。

曲だけでなく、ステージ全体に関わってくるんです。

千原

技術どうこうより信頼関係っていうところなんだね。

小春

そうですね。

〝ミスらない〟というより、ハートの問題ですよね。

千原

うちの会社でも、新規採用の時は面接をしますが、〝高い技術がある〟というよりも〝僕が好きになれるか〟っていうところの方が大切かな。

小春

それも、ここにきてようやく気付けたっていう感じですね。

一時期は「やっぱりクオリティだろ」って思った時もありました。

今さらながら〝キャッチボールが必要なんだな〟っていうのはありますね。

ももちゃん

昔、誰とも喋れなかった人とは思わないでしょ?

会場www

これからのチャラン・ポ・ランタン。

千原

これからはどんな感じですか?

結成10年以降は。

ももちゃん

ここに来てどんどん小春ちゃんとの仲が良くなってる。

今が一番良い状態で。

それまでが別に仲が悪かったわけではないんですけど、この一年間でより仲良くなり、この間の夏フェスで、さらによりいい状態になり。

とにかく「演奏を、コンビネーションを見て欲しい」っていう気持ちになっています。

聴いたら、ファンになってくれるに違いないっていう自信に溢れています。

小春

一人でやっていない分、得意なことをお互いがやればいいんだっていうことが分かりました。

ももちゃん

安心して相手に任せられるじゃないけど、お互いにこう、「ここは小春ちゃん、ここは私」っていう信頼関係が強くなっています。

千原

それぞれがそれぞれの個性を生かしてソロでやったりとかもあるよね?

小春はMr.Childrenのコンサートでサポートミュージシャンとして加わり、レコーディングにも参加している。

ももは来年の春に公開される映画『麻雀放浪記』に女優として出演する。

バンドをやりながら、それぞれの個性を生かした仕事も出てきている。

小春

全部チャラン・ポ・ランタンに返ってきますけどね。

ももちゃん

あくまでもチャラン・ポ・ランタン。

 

どこまでも対照的な2人。

賑やかで友達の多いもも、孤独な時間を大切にする小春。

飽き性だけど好奇心旺盛で色んなものにアプローチをするもも、コツコツと積み上げるように一途にアコーディオンを愛し続ける小春。

どんなことでも「イエス」と受け入れるところからはじめるももと、警戒心が強く危機管理能力が高い小春。

本当は2人も、似ているところはあったのだけど。

10年という歳月をかけて、お互いが〝伸ばす力〟と〝捨てる力〟を選んでいった。

「一人でやっていない分、得意なことをお互いがやればいいんだっていうことが分かりました」

そう小春が言ったように。

チャラン・ポ・ランタンの共感性という横幅はももがつくり、創造性という縦に進む深さは小春がつくる。

お互いが縦と横に力を拡げていくから、チャラン・ポ・ランタンはまだまだ可能性を拡げていく。

もちろん、ももにも創造性はあるし、小春にも共感性はある。

おもしろいことに、講義の中でお互いが大切に思っている点を挙げたのが、ももは〝チャラン・ポ・ランタンの圧倒的な世界観〟であり、小春は〝キャッチボール(コミュニケーション)〟であった。

これは、そこへベクトルを向ける自分自身への課題でもあると同時に、暗に相手に対する敬意を意味しているのではないだろうか。

素敵。

お互いがリスペクトし合う、理想的なチーム像だ。

※当記事の写真は伏見歴堂氏のものを使用しています

《チャラン・ポ・ランタン》

もも(唄/ 平成生まれの妹)と小春(アコーディオン/ 昭和生まれの姉)による姉妹ユニット。 2009年に結成、2014年にエイベックスよりメジャーデビュー。 これまでに8枚のオリジナルアルバムを発売。最新作は「ミラージュ・コラージュ」(2017年11月1日発売)。 バルカン音楽、シャンソンなどをベースに、あらゆるジャンルの音楽を取り入れた無国籍のサウンドや、サーカス風の独特な世界観で 日本のみならず、海外でも活動の範囲を広める。 チャラン・ポ・ランタンとしての活動のほか、映画/ドラマへの楽曲提供、演技・CM・声優・イラスト・執筆など活動の範囲は多岐に渡る。

≪塾長:千原徹也≫

デザインオフィス「株式会社れもんらいふ」代表。広告、ファッションブランディング、CDジャケット、装丁、雑誌エディトリアル、WEB、映像など、デザインするジャンルは様々。京都「れもんらいふデザイン塾」の開催、東京応援ロゴ「キストーキョー」デザインなどグラフィックの世界だけでなく活動の幅を広げている。

最近では「勝手にサザンDAY」の発案、運営などデザイン以外のプロジェクトも手掛ける。

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