読む「れもんらいふデザイン塾」vol.7


今回のゲスト講師はチャラン・ポ・ランタン。

ももさん(唄/平成生まれの妹)と小春さん(アコーディオン/昭和生まれの姉)による姉妹ユニット。

結成10周年を迎える2019年へ向けて、新しく走り始めた彼女たち。

10年の軌跡と、その中で進化していくそれぞれの個性。

個性が磨かれることで、より堅く2人の絆は結ばれる。

2人の才能が離れれば離れるほど、チャラン・ポ・ランタンは幅を拡げ、より一層強い1つの生物になる。

「どんな変化が起ころうが、あくまでもチャラン・ポ・ランタン」

そう言ったももさんの言葉が印象的だった。

2人の全てはこの言葉に集約されるような気がする。

そして、2人の言葉は〝注射〟を思い出させる。

小春さんの言葉は注射針のように鋭く、ももさんの言葉はその後のふんわりとしたガーゼのように優しく包んでくれる。

注射器の中に入っているのは彼女たちの世界観、哲学、美意識。

深くまで注入するのは小春さんだし、それを優しくあたたかく包むのはももさんだ。

10年の軌跡を辿る前に。

チャラン・ポ・ランタンの原液となる言葉の数々を紹介したい。

この講義の中で現れたパンチライン。

どの言葉にも力強さと熱がある。

小春さんの鋭い感性がゆえの尖った言葉を、ももさんがやわらかくフォローする二人のコンビネーションを含めて楽しんで頂きたい。

※不躾ながらここからは敬称略で進めてまいります。

小春

全部が得意な人なんて一番つまんないですからね。

何かが突き抜けていて、その他が全然ダメっていう方がいい。

人間ってきっと所有できる数字っていうのは誰もが一緒で。

多分、私はアコーディオンが70であるがゆえに、人間関係をうまくやる能力が30しかなくて。

多分、その数字を均等にできる人というのが普通の会社で、普通に仕事をこなすことができる、普通の人なんじゃないでしょうか。

ももちゃん

なんか、多くの知らない誰かをディスってない?

会場www

小春

むしろ私からしたら全部平均的にいられる人って相当頭ヤバイ。

だから「すごいなぁ」って思って。

尊敬します。

あんなの私、無理無理。

小春

一年一年経つほどに、「自分を信じるしかない」と思うようになりましたね。

例えば「こういう曲を作った方が絶対にウケるから」みたいなことを言われて、その通りに曲を作ってみたとしても、それでハズれたとしたら「一体誰のせいなんだ?」って話じゃないですか。

自分が〝やりたい〟っていう曲じゃないとダメで。

自分の責任で自分が作る。

〝自分の作品〟を作らないと、それは誰のものにもならないですから。

千原

そうだよね、人に言われちゃうとその人のせいにしちゃうよね。

小春

作品自体が誰のものでもなくなっちゃって。

ただ時だけが過ぎていくんですよ。

今、言えることは「とにかく自分がやりたい、自分が自信があって、自分が最高だ」っていうのだったらどれだけ酷評されても全然平気です。

千原

その作品に想いを乗せることができるからね。

「自分がやりたいことをちゃんとやっていかないと」ってことだよね。

小春

「本当に向き合ってやりさえすれば、ちゃんと返って来るんだな」って思いますね。

生半可に〝なんとなく〟で作ったものって、やっぱり〝なんとなく〟の返事しか来ないんですよ。

曲でもライブでも、全体的にそうなんですよ。

曲は自分たちの鏡みたいなもので、どんどんどんどん私みたいな性格の曲が増えていくのだと思います。

ももちゃん

小春ちゃんがいて、小春ちゃんのアコーディオンがあって、小春ちゃんの思い描いている世界があって。

そこに私がいて、そして私が歌うことでチャラン・ポ・ランタンだっていうのが改めて感じています。

たくさん歌いたいし、たくさんの人に見てもらいたいです。

2つの異なった個性が見せる独自の世界。

音によって、言葉によって、ファッションによって、それらがメロディとなることで紡がれる。

***

それでは、チャラン・ポ・ランタンのはじまりの、はじまりから。

それは、小春7歳、もも2歳の年───

母の手に連れられ、シルクドソレイユの『アレグリア』を観に行ったのがきっかけだった。

小春

生演奏のサーカスなんですけど、とにかくパフォーマンスが圧巻で。

そこではじめてアコーディオンと出会いました。

お母さんに「あれが欲しい」と言ったら、「私持ってないから、サンタさんにお願いしたら?」って。

クリスマスの日、サンタさんから届いたプレゼントがアコーディオンだった。

小春

届いたは良いのですけど、それが小さなオモチャのようなもので。

おそらく、予算の問題で。

ももちゃん

そういうこと言わないの。

小春ちゃんの身体にベストフィットのものをサンタさんは選んでくれたんですよ。

小春

時を経て、私のサンタは「アマゾンでこれ2000円くらいだよ」って教えてくれたんですけどw

7歳の時の私はピュアだったので、「サンタマジすげぇ!」って思って、年がら年中弾いていました。

要約するとその時にはじまり〝今〟に至る───って感じです。

シルクドソレイユで見たあの頃の〝ときめき〟が、今なお続いている。

小春の身体が大きくなるにつれて、年々アコーディオンも大きくなっていった。

転機が訪れたのは小春が17歳の頃───。

当時、高校二年生だった小春は、誰もがその時期に選択を迫られるのと同じように将来のことを考えた。

小春

周りは「大学に行く」とか色々言っていて。

自分の性格も分かっていて、〝集団で何かを学ぶ〟という立ち位置ではないだろうっていうのは分かっていました。

今までやってきたものが、私にはアコーディオンしかなかったので。

ももちゃん

小春ちゃん、今はこんなにたくさん喋っているんですけど、当時は家族にも「あ」とか「う」とかくらいしか喋らなかったんです。

小春

その上、屁理屈大魔神。

人と関わる絶対数が少なかったから、何て返事をすれば良いのか分からない。

褒められても殴ってましたからねww

例えば、髪型を褒められたとしても、「嬉しい」という感情を相手にどう伝えれば良いのか分からずに〝殴る〟という。

そりゃうまくいかないわけですよ。

なるべく人と会話をしないでお金を稼ぎたい、と。

私は本当にアコーディオンしかできなかったので、そこで見つけたのが〝大道芸〟だったんです。

目の前に缶を置いて、黙ってパフォーマンスをしていれば稼げるかな、と。

それで大道芸人になろうと決めたんです。

東京都生活文化局が管理しているサービスがあって、そこで大道芸のライセンス(ヘブンアーティスト)が取得できます。

そのライセンスがないと公共施設や民間施設でパフォーマンスできないんですね。

ももちゃん

〝ストリートミュージシャン〟っていうのとまた少し違って。

大道芸の人は〝職業:大道芸人〟なんですよ。

ちゃんと事前に電話で場所を押さえて、パフォーマンスして、お金を稼いで、それでごはんを食べていってるんです。

小春

そのライセンスを取得したら路上でパフォーマンスしても警察に捕まらないんだと思って。

「ライセンスを取ろう」と。

とはいえ、大道芸のライセンスを取得するのはかなり難易度が高い。

厳重なビデオ審査の後、一般客と審査員の前でパフォーマンスをする。

小春がライセンスの試験を受けた時、応募者は1000名を超えていた。

その中で合格したのはたった9組───その中に小春はいた。

───小春、17歳。

千原

すごい。

そんなに狭き門なんだ。

小春

「これで喋らなくとも生涯安泰だ」

そんなことを思いながら、上野公園でパフォーマンスをはじめました。

若い子が通ればディズニーメドレーを。

年齢の高めの方が通ればロシア民謡を。

お金持ちが通ればシャンソンを。

ももちゃん

投げ銭箱に「パリに行きたいです」って書いて。

小春

そうそう、嘘だけどね。

会場www

小春

「アコーディオン弾きの小春です。

パリに行きたいです、よろしくお願いします→」

って書いて。

喋らないから、自己紹介も紙に書いて。

するとたまに、腕にじゃらじゃらと宝飾品をつけた貴婦人が「パリに行った頃を思い出すわ」ってお金を入れてくれたり。

その頃、妹のももはまだ中学生だった。

姉の小春とは性格は正反対。

人付き合いが上手で、友達が多く、部活と遊びの繰り返しで毎日を楽しく過ごしていた。

チャラン・ポ・ランタン結成のきっかけ

小春

二十歳の時に〝親知らず〟を抜くことになったんです。

その手術が長くて長くて。

気分を紛らわせるために、その間、頭の中で曲を作っていたんですね。

幸か不幸か、医者は小春の歯茎の中に隠れている〝奥歯〟に手こずった。

曲が完成しても、まだ手術は終わらなかった。

時間を持て余した小春は、その曲に歌詞をつけていった。

それまでに何曲も創作してきた小春だったが、歌詞を考えたことは一度もなかった。

そしてついに、曲だけでなく歌詞まで完成した。

せっかく歌詞付きの曲ができたので「誰かに歌ってもらおう」と。

知り合いにボーカリストはいないし、どうしよう?

なんて思っていたら家にすごく暇そうな人がいて…

ももちゃん

それが私なんです。

同じ家に住んでいながら置かれた立場として全く違うところにいました。

小春ちゃんはもうすっかり外の世界でアコーディニストとしてバリバリ仕事をしていて。

私はごくごく一般的な中学3年生で。

部活と遊びで毎日わいわい。

千原

社会的な位置が全然違うもんね。

ももちゃん

部屋にいると「おい」って声をかけられて。

唐突に「歌、歌える?」って。

姉はコミュニケーションが苦手で、なんてことない話みたいなことができないんですww

必要最低限のことしか喋らない。

「まぁ、友達とカラオケとかは行くけど」って答えると「作ったから、歌、よろしく」みたいな。

それからすぐにチラシとか作り始めちゃって。

〝ゲストボーカルが来るよ!〟ってww

言われるがまま、やることになりました。

小春

当時、一緒にバンドを組むっていう時に、こだわっていたのが〝巧さ〟よりも〝暇さ〟で。

当たり前ですけど巧い人って忙しいんですよ。

練習の回数が少なくなるより、ちょっと下手だけど一緒にやっていくうちに巧くなるであろう、という〝伸びしろ〟の方を見て組んでいたところがあって。

で、ももさんがすごく暇だ、と。

千原

暇だと色々都合つくもんね。

小春

あと、練習もするし。

ユニットに対して練習時間を費やしてくれるじゃないですか。

だから「暇です」っていう基準で選んだところがあります。

ももちゃん

小春ちゃんのプロデュース力が本当にすごくて。

自分のやりたいことがはっきりしていて、つくりたいモノのヴィジョンを明確に持っている人だから。

初めてステージに立った時、私は何も分からない中学生で。

知らない大勢の大人が一斉にこっちを見ているのが、まだちゃんと受け止め切れていなくて。

小春

オロオロしてるんですよ。

緊張しているし、何より立ち方がダサくて。

これはヤバイと思って。

ショートカットのももの髪に、おかっぱのズラを被らせた。

緊張のため泳いだ目には、ハート型のサングラスを。

棒立ちで歌う佇まいをごまかすために、豚の人形を持たせた。

何か顔のついている人形を持たせたら、ヤバイ素人みたいな立ち居振る舞いのボーカルの顔を見る回数が減るんじゃないかと思って。

顔、豚、豚、豚、顔…みたいにww

視線を送る対象がばらける。

この豚の人形は、ステージに立った初日から持たせているんです。

おかっぱに豚の人形という今ではお馴染みのもものルックスは、初ステージで既に小春から演出されたものだったのだ。

ももちゃん

小春プロデューサー曰く〝手持ち無沙汰〟からの〝手持ち豚さん〟って。

小春

今は時が流れて手放す時期を逃した人形っていう感じではあるんですけど。

誘われた翌月───2009年5月、初ライブ。

ソロ以外でもインストバンドを組んでいた小春は、馴染みのライブハウスで2ヵ月に1度、ワンマンライブを開催していた。

そのバンドでのゲストボーカルとして、ももは初めてのステージに上がる。

ももちゃん

「歌え」って言われたら歌う、「下がれ」って言われたら下がる、MCの時も全く喋らない。

千原

あ、喋らなかったんだ。

ももちゃん

もう何を喋って良いのか分からない。

多分お客さんも「アイツは一体何者なんだ?」っていう感じだったと思います。

小春

〝妹〟とは絶対に言いたくなかったんです。

身内をバンドに出すのってどうかと思っていたのでw

だから紹介の時も「空から降って来たももちゃんです」みたいな感じで。

ももが参加したステージは成功し、そしてその2ヵ月後のワンマンライブで正式にももが小春とユニットを組むことを発表した。

2009年7月、チャラン・ポ・ランタン結成。

小春とももの進化論。

千原

小春ちゃんって7歳からずっとアコーディオンを続けてきたんだよね?

それもすごいよね。

それくらいの年齢だったら飽きたりしそうじゃない?

小春

これは本当に性格だと思います。

友達がいなかったから。

家に帰ってもこれしかやることがなかったんだもの。

小学生の時が最も友達との楽しみ方が分からなかった時期で。

ずっと「一人の方が楽しい」って思ってましたからw

アコーディオンは一人で完結するから尚更で。

私たちの家庭って、両親が絵描きなんです。

その影響もあって私も絵を描くのですが、絵もアコーディオンも両方孤独な作業なんですね。

だから本当に言葉が上達しないまま大人になって。

今、こうやってみんなの前で喋ることができるのも必要に迫られたからなんです。

喋った方がお客さんの足が止まる───つまり、お金が入るんですよw

ももちゃん

生き抜くための知恵なんですよね。

妹ながら「ああ、人間ってこういう感じで進化していくんだ」って思いました。

全く喋らなくてもいいように、最初は紙に自分の名前まで全部書いていましたから。

小春

あがり症だとか言っている人は窮地に立ったことがないんだと思います。

〝喋らないと死ぬ〟みたいな。

ももちゃ