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読む「れもんらいふデザイン塾」vol.9


今回のゲスト講師は演出家であり、テレビプロデューサーであるテリー伊藤氏。

数々の伝説的な番組を世に送り出し、テレビの一時代を築き上げた。

裏方と表舞台───その垣根を自在に行き来し、活躍の場に捉われることなく、ただただ〝おもしろい〟を追求する。

講義の冒頭で話したテリー氏の言葉が印象的だった。

テリー

まず一つ、注意点として。

私、これから一時間半ペラペラしゃべりますけど、鵜呑みにしないでくださいね。

ほとんど嘘ですから、信用しないでください。

世の中ってそういうものです。

芸能界はほとんど嘘で固まっています。

本当と嘘を見極めながら、聴いて下さい。

本気とも冗談とも言えるこの言葉に、会場は笑いに包まれた。

「本当と嘘を見極めながら」

この言葉にこそ真実があり、エンターテインメントの本質を端的に物語るフレーズではないだろうか。

100:0の〝本当〟ではなく、100:0の〝嘘〟でもない。

いつだって、一つの作品には本当と嘘がない交ぜになっている。

その本当と嘘の割合を〝見極めて〟、僕たちはモノづくりをする。

先ほどの発言に、その場にいた皆が笑ったのも「本当であり、嘘である」から。

見せ方という編集───演出を入れた時、それはすでに嘘になる。

ただ一つ言えることは、その中に本当がなければ、嘘は輝かない。

自他ともに認める〝天才〟が自身の企画・演出論を語った。

 

千原

まずはテレビの世界に入る前のことをお伺いしますが。

テリーさんってどんな学生でした?

あるいは、どういった夢を持っていたのか。

テリー

寝ても覚めてもおもしろいことを考えていました。

「どうすれば今日一日が楽しくなるか」

私は今も慶応義塾大学で心理学を学んでいますが、20歳前後の頃は日大(日本大学)に行っていたんですね。

当時は日大闘争の只中で授業がなかった。

学校にも行かないし、「こんな殺伐とした学生生活も嫌だな」と。

何かおもしろいことはないかと。

当時の日大は男ばかりでしたから、つまらない。

そこで「自分たちでコンサートを開こう」と。

女子大生の集まる場所へ行き、人を集めました。

他にもクラブのような場所を貸し切ってパーティを開いたり、色々なイベントを企画しましたね。

イソップ寓話の『アリとキリギリス』でいうとキリギリスのような人生。

開けても暮れてもバイオリンを弾いて遊んでいるような日々を送っていました。

あと、ファッションに興味があり、おもしろい洋服をいつも探していました。

千原

最初にお会いした時もおもしろいファッションでしたね。

「これ、どこのジャケットですか?」って聞いたら、「洋服の青山で買ったジャケットだ」って。

ボタンをカスタムして、ワッペンを貼って全く別の服にアレンジされていました。

テリー

そうそう、当時からそういうことが好きだった。

まだ日本にロンドンブーツがなかった頃に、自前で作っていましたね。

千原

そこからテレビの世界に行こうと思っていたんですか?

テリー

大学を卒業して、仲間が次々と華やかな世界に就職をしていく中、私は何もせずにフラフラと街を彷徨っていました。

プー太郎ですよね。

実家は築地の卵焼き屋。

従業員が住み込みで働いている。

同年代の彼らは夜中の2時に起きてせっせと働き始めるのに対し、自分は仕事も何もしていない。

その環境に居づらくなったテリー青年は、家を出て当時付き合っていた彼女の家に転がり込む。

テリー

彼女は彼女で働いているので、家の中でずっと一人でいるの。

夕方、仕事を終えて帰って来るまでずっと待ってるわけ。

この切なさ。

だから、引きこもりの子の気持ちがよく分かる。

今だと〝オタク〟といって一つの文化でしょ?

当時はそういう言葉もない。

仲間はネクタイ締めて華やかな世界で働いている。

「こんな人生でいいのかな?」って。

その時、自分の人生を振り返った。

今までの人生で楽しかったことを箇条書きにした。

黙々とノートにペンを走らせていた時、大学時代に自分たちで作ったコンサートの光景が思い浮かんだ。

その時、演出をしていた自分の姿───コンサートがフィナーレを迎える中、ゆっくりと緞帳が降りていく時に流した涙。

23年間の人生で、自分が能動的に泣いたことって、それしかなかったんです。

それまではテレビを見て泣いたとか、ジャイアンツが勝って泣いたとか、映画を観て泣いたとか…つまり、受け身の涙はありました。

自分の意志で行動して、感動したという経験はあれしかなかった。

「演出の仕事がしたい」

そう思いました。

みなさんにもこういう瞬間が訪れるかもしれませんが、人間ってね、「将来何をすればいいのか分からない」という時に〝人生で楽しかったことを言葉にする〟ということは決して悪いことではありません。

天才の要素

思い立ってから、行動に移すまでの時間は早い。

テレビ局は募集をかけていなかったので、とある制作会社に就職した。

そこでの様子にテリー氏は驚いた。

テリー

出来の悪い連中ばかりなんですよ。

私は当時から自分のことを天才だと思っていましたので、「何てレベルの低い会議をやっているんだ」と思った。

会場www

みんな笑ってますけど、千原さんも最初そう思ったでしょ?

千原

…思ってました。

会場www

確かに「こんな話していてもしょうがないな」っていう時間は結構ありましたよね。

テリー

仕事に対する姿勢として重要なことは1つあります。

「人生舐めてかかって、真面目にやる」

これ、大事なことです。

私はずっとそう思って仕事を続けてきました。

テレビの世界のことをあまりよく分かっていない間から「勝てそうだな」と思って取りかかる。

でも、一生懸命やった。

最初から「何がなんでもがんばります!」という姿勢では、上に行くまで時間がかかってしまう。

成功するアスリートも大体そうです。

大谷翔平にしろ、イチローにしろ、もちろんあの人たちはとても優秀です。

でもね、メジャーリーグに行った時も「メジャーなんて大したことないよ。ガム噛みながら試合やってんだろ?」という気持ちなんですよね。

でも、仕事は手を抜かずに一生懸命やる。

舐めた態度と仕事に対する誠実さの両方を心の中に持ちながら、新しいことにチャレンジすると成功します。

千原

躍起になって「がんばります!」というだけでは、相手からも必要以上に下に見られちゃいますものね。

余計に押されてしまいますよね。

テリー

社会に出た瞬間から、ギャラが発生しているわけですよね。

教習所の生徒ではない。

ギャラをもらっている分、そこでしっかり仕事をしないといけない。

千原

結果を出さないとダメですよね。

その制作会社で数をこなすようにテレビ番組を作っていった。

新人なので企画自体は小さな規模のものではあったが、その枠内でクオリティの高い番組を次々と送り出して行った。

その仕事ぶりに目に留めた上層部から声がかかる。

「日本テレビで、正月特番をやらないか?」

テリー

それでまた、ヘンテコなのを作ったんですよ。

ちょうどその年が申年で、『申年万歳』という番組で。

もぐら叩きの要領で、本物のサルが穴から出てくるところをピコピコハンマーで叩く、という。

そうしたら、大クレームが来まして。

会場www

おもしろいでしょ?

おもしろいのですが、クレームがたくさん来た。

もう一つは大分県に幸島という小さな島があります。

そこにはサルしか住んでいないんですよね。

「そこでドキュメンタリーを撮ってこよう」と。

サルしかいない島で10日間ほどカメラを回しました。

1km離れたところに本島があって、そこで寝泊まりして、朝になるとまた幸島へ…それを繰り返す。

一週間いても同じ画ばかりでつまらないんですよ。

千原

なかなか変わったことは起きなさそうですもんね。

テリー

ある日、島民の方から「実はね、幸島のサルは武者修行に行く」という話を聞いた。

若サルは一年ほど本島に武者修行に行って、海を渡って帰って来るらしいんですね。

「そういう映像が撮れたらいいなぁ」って向こうの人が言うわけですよ。

「いいですね、それ!」

私の中の悪魔が叫びました。

幸島にいるサルを袋に詰めまして、舟に乗って沖まで行き、そこから思いっきりぶん投げたんですよ。

そうしたらサルは必死になって海を泳ぎながら島へ帰って来るんですよ。

それを長回しでじっと撮っている。

すると良い画が撮れるんですよ。

会場www

そこへ感動的な音楽を挿入して、良い声のナレーションで「今、一年ぶりに若武者のサルが帰ってきました」って。

OAされると朝日新聞が「めったに見ることができない、最高の映像だった」と。

会場www

非常に高い評価を得て、ですね。

今だったら私追放ですよ。

日本にいられませんよ。

会場www

乱舞する天使と悪魔

「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」

映画監督の巨匠黒澤明が残した有名な言葉。

映画作りだけでなく、モノづくり全般において僕たちはこのアティチュードを忘れてはならない。

一見、大胆な部分が印象的なテリー氏であるが、実は企画作りにおいて(又は演出において)の向き合い方は実に細心である。

常にブラッシュアップを繰り返す───その試行錯誤の結晶がはじめてそこで形になる。

天才の中ではいつでも、天使と悪魔が乱舞している。

紆余曲折あり、テレビ東京を主戦場としたテリー氏は快進撃をはじめる。

テリー

当時のテレビ東京は、今でいうところのユーチューバーのような感じで、自分のやりたいように好きなことができた。

そこから私は本当の〝天才ディレクター〟になっていきました。

・寝ている雌ライオンを黄色と黒色のスプレーでトラにする

・下剤と便秘になる薬を飲むとどうなるか

・原宿の交番前を泥棒の格好をして何回通ることができるか

あとね、たこ八郎に東大生の血を輸血しました。

単に輸血するだけじゃテレビとしての演出が弱いので、東大の赤門の前で東大生をとっ捕まえてきて、全身に血が回るようにその場で縄跳びさせて…

会場www

画がおもしろいでしょ?

すごく出来が良かった。

すると日本医師会からクレームが来まして。

会場www

テリー氏の企画は毎回世間を賑わせた。

その方法はシンプルだった。

「おもしろいことを突き詰める」

それを続けていると、驚異的な結果が訪れた。

日曜日の20時───視聴率がNHKの大河ドラマと並んだ。

テリー

向こうは当時、一本撮るのに1億円くらい制作費がかかっているんです。

私たちはせいぜい500万円くらいですからね。

そうしたら、「お前、腕を上げたな」と日本テレビの方に言われまして。

再度日本テレビに戻ってきまして、そこから『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ねるとん紅鯨団』を作りました。

そのような演出家時代でしたね。

企画・演出論。

テリー

今、話していて大事なポイントは、タレント名が出てこない

たこ八郎さんの名前は出てきましたけど、別の人に換えても十分おもしろいですよね。

実はここがとても大切なんです。

タレント名が先に出ると、そのタレントさんを頼ってしまう。

千原

なるほど。

「この人が」ってなると、タレントさんのパーソナリティによって「おもしろい」と感じてしまうんですね。

テリー

放送作家志望の子に企画書を書かせると、大体みんな「マツコ・デラックスが~で」とか「ダウンタウンが~をして」という風にタイトルの頭にタレント名が来てしまう。

タレント名を入れないように制限を与えると急にみんな書けなくなる。

それでも続けて考えさせるでしょ?

するとみんな泣きそうになってくる。

するとね、その中の一人が「母親が浮気した」とか書き始める。

会場www

「それなんだよ」と。

タレント名に頼っていたら、いつまで立っても同じ位置から成長できない。

今あなたが書いた〝お母さんが浮気している〟ということはあなたしか知らないんだ。

企画というのはそういうものなんだ、と。

もう一つポイントがあって、私が挙げた企画って、たった今来日したばかりの外国人にも分かる笑いなんですよね。

これが大事なんです。

〝言葉で時間を埋めない〟

千原

見た目で分かる。

テリー

あと、感性を問うものはあまり好きではないですね。

これはそれぞれに好みがある要素だけど。

例えば、クレープってオジサンやオバサンは食べないですよね?

そういうものを題材にするよりも誰もが食べるラーメンやカレーに焦点を当てた方が数字が残りやすい。

番組を作る上で視聴率を取ることは大事なことですからね。

つまり、〝田舎のおばあちゃんにも分かるようなもの作る〟ということ。

テレビはタダで見ることができるものだから。

《質問》

「昔のテレビはおもしろかった」「最近のテレビはおもしろくない」という言葉をよく耳にしますが、これからの時代テレビに求められることとは何でしょうか?

また、テレビを作る側としてコンプライアンスに対してどうあるべきでしょうか?

テリー

私は、コンプライアンスはあって当然だと思っています。

例えば、修学旅行って門限もあるし、先生も傍にいますよね。

その中で楽しいことを考えるということが大切で。

フリーで旅をしていることと修学旅行では大きく違う。

「最近のテレビがおもしろくない」というのは、私はあまり感じない。

テレビって時代と添い寝していると思っていて。

今の世の中だからこそ、という番組作りになりますよね。

正直言って、今お笑いの人がおもしろ過ぎます。

芸人さんたちの能力が群を抜いて高い。

IQも高いは、気配りはできるは、おもしろいは。

とても良いことなんだけど、番組の制作側が優秀な芸人さんたちを頼り切ってしまうことにも繋がる。

例えば、ユーチューバーって自分で全部やるでしょ?

そうすると自分自身を消費していくことになる。

演出家というのは相手を飛ばす力が求められるんです。

一つの石にタレントさんや芸人さん、さらには演出を乗せて遠くへ飛ばす。

全部一人だと飛ばないからね。

飛ばす能力がある人は演出家に向いています。

相手の力を利用しながら飛ばす力のある人が優秀な演出家だと思います。

みなさん、覚えておいてください。

どの仕事でも同じだと思うのですが、勝利の方程式というのはいくつもあって。

世の中には〝おもしろい人〟と〝おもしろくない人〟がいます。

でも、〝おもしろくない人〟を10回やると、それがおもしろくなるんです。

「自分は、会議でおもしろいことが言えない」

「想像力がないし、みんなみたいに優秀ではない」

そう思っていても、それを4回、5回とやっていくと化学反応を起こしてそれがおもしろくなってくるんです。

2021~

千原

GATSBY CREATIVE AWARDSという若者のクリエイティブを競い合う場があり、その審査員として出演した時にテリーさんとご一緒したんですね。

そのアワードの最後に、総括としてテリーさんが若者たちに向けてお話になった。

その時に「それまでやって来た人のご褒美くらいでやらせておけばいい。君たちの時代は2021年からはじまるんだ」って。

壇上に立って話すテリーさんの背中で僕はその言葉を聞いていて、深く刺さった。

テリー

オリンピックはオジサン、オバサンたちに任せておけばいい。

オジサンたちはね、フルマラソンでいうところの42.1kmのところまで来ているんですよ。

走り切った後に倒れる選手のように、2020年が開けるとオジサンたちはみんな倒れてしまいます。

そこで死に絶えます。

その後に何をするか。

そこからがあなたたちの時代です。

2020年以降に大切になってくのは〝人間が作ることができないものを作ること〟です。

今、大学で心理学を学んでいます。

人間とはおもしろいもので、1日に10分、人間の手では作ることができないものを見ることが大切なんです。

つまり、花や鳥、星や月、川の流れや雲の流れ…

そういったものを見ると人間の感性は研ぎ澄まされていきます。

もう一つ大きな効果があります。

人間が作れないものに対して、人間は嫉妬しないんです。

僕はテレビマンだから人が作った良い番組を見るとやっぱり嫉妬しますよね。

「先にやられた!」とか「ちくしょー!」とか、腹が立って仕方がない。

〝自然をどういう風に自分の中で構築していくか〟ということが大きいと思います。

 

「本当と嘘を見極めながら」

〝嘘〟を〝本当〟に見せることは確かに嘘だが、〝本当〟をより〝本当〟っぽく見せることもまた嘘である。

そう考えてみると、エンターテイメントは全てが嘘で、同時に全てが本当なのかもしれない。

飽くなき〝おもしろい〟への探求心。

今尚現役として、〝天才〟は世の中へ笑いと驚きを届けてくれる。

《テリー伊藤》

1949年 東京築地出身 演出家 早稲田実業中等部、高等部を経て日本大学経済学部に入学 大学卒業後、テレビ番組制作会社“IVSテレビ”に入社 「天才たけしの元気が出るテレビ」「ねるとん紅鯨団」などヒット番組を手掛ける その後独立し、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」を総合演出、 「サッポロ生搾り」「ユニクロ」「プロピア」「MGローバー」等 数々のテレビ番組やCMを演出

《塾長:千原徹也》

デザインオフィス「株式会社れもんらいふ」代表。広告、ファッションブランディング、CDジャケット、装丁、雑誌エディトリアル、WEB、映像など、デザインするジャンルは様々。京都「れもんらいふデザイン塾」の開催、東京応援ロゴ「キストーキョー」デザインなどグラフィックの世界だけでなく活動の幅を広げている。

最近では「勝手にサザンDAY」の発案、運営などデザイン以外のプロジェクトも手掛ける。

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