Sinonの世界

May 14, 2018

ずっと変わらない部分。

「誰かに届けたい」という気持ちではなく、ただ歌が好きで、歌いはじめた。

 

何も考えず───ただ歌が好きだから。

『Trunity』『Mariage』と精力的にアルバムを世の中に送り届けるアーティストSinon。

 

彼女のオリジナリティあふれる世界観。

歌うことに対してどこまでもピュアで、真摯に向き合い続ける。

それは信念であり、ある種の信仰にも近い求心力を感じた。

歌うことに魅了され、歌うことを〝生きること〟と重ね合わせるSinon。

 

彼女のシンガーとしてのルーツに迫る。

 

お月さまとお星さまが特別だった

 

戦争が終わった後、おじいちゃんが開墾した土地にわたしたちは住んでいました。

今ではずいぶん家も建ちましたが、この間までは辺りにぽつぽつとあるくらいで。

 

私が幼かった頃は、じゃり道で、すぐそばには牛がいて。

トトロの映画に出てくるような街灯。

夜は真っ暗。

 

 

幼稚園から帰ると、荷物を置いたらすぐに外に出て、おじいちゃんと一緒に畑で遊んだ。

お父さんとお母さんは仕事に出かけていた。

だから、わたしは畑仕事をしているおじいちゃんのところへ走って行った。

 

 

畑に座って、おじいちゃんの真似をした。

畑に種を植えるのを見て、わたしは種のかわりに石を埋めた。

いつまで経っても、芽は出なかった。

 

「しのちゃん、山を見てごらん。

お日さまが沈むから、お家に帰ろうか」

 

家に帰ると、どろんこのあんよをおじいちゃんが拭いてくれる。

それからおばあちゃんがお風呂に入れてくれた。

 

山を見て、時を知る。

天気だってそう。

 

「今朝は曇ってるから、しのちゃん傘をもっていきなさい」

 

雲の形を見て「今日はあたたかいよ」とか「今日は寒いよ」とか。

空と山を見て、全てを学んだ。

 

わたしはおじいちゃんっ子で、ずっと後ろについてまわっていた。

畑から帰ったそのままの姿で走り回るわたしを、きれい好きのおばあちゃんはいつもプンプン怒っていて、おじいちゃんはそれをほっほっと笑っている。

 

 

家には大きな柿の木が二本あった。

たくさん実がなると、それを近所に配った。

干し柿をつくる。

おじいちゃんはカモシカが食べることができる高さに干してあげる。

そんな優しいおじいちゃん。

 

 

雪がふる。

大根、人参、白菜───畑ではいろんな野菜をつくっている。

 

カモシカが顔をのぞかせる。

カモシカのためにおじいちゃんは、あまった野菜を彼らのために置いてあげる。

 

 

下北半島に春がくる。

はじめに咲く花はクロッカス。

 

クロッカスの蕾が雪を「えいっ」って押し上げる。

 

「わぁ、出てきたね」

 

おじいちゃんが雪をぴっぴっと指で払ってあげる。

蕾が顔を出しやすいように。

 

おじいちゃんとの思い出はたくさん。

 

「ハスキーは目が青いんだよ」

 

お父さんは、わたしが寝る前にいつも話を聞かせてくれた。

どうやらお父さんは、犬が飼いたかったみたい。

 

宮沢賢治が詩を書いた『星巡りのうた』という歌がある。

 

怒られて泣いた日はいつも、おじいちゃんが歌ってくれた。

 

 

 

あかいめだまの さそり

ひろげた鷲の  つばさ

あをいめだまの 小いぬ、

ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ

つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは

さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに

五つのばした  ところ。

小熊のひたいの うへは

そらのめぐりの めあて。

 

(宮沢賢治『星巡りのうた』より)

 

 

 

「あをいめだまの小いぬ」というフレーズがかっこよかった。

 

お父さんの「ハスキーは目が青い」という言葉が重なった。

 

「ハスキーが歩いてきますように」

 

お父さんと一緒に毎日お星さまにお願いした。

 

ハスキー犬を探して、お父さんは青森じゅうを訪ね歩いた。

すると一件だけ見つかった。

 

会いに行ったら、心を掴まれた。

 

「もうこの子しかいない」

 

赤ちゃんのハスキー。

そのまま一緒につれて帰った。

 

〝シータ〟という名前を贈った。

 

その瞬間から動物が大好きになった。

 

「歌、じょうずだね」

 

3つ上の姉がいた。

ビバリーヒルズ高校白書が好きで、彼女の夢は「字幕なしでそれを見ること」だった。

いつもお姉ちゃんにくっついていたから、わたしも英語が好きになった───わたしが幼稚園の頃。

 

 

わたしたちの娯楽は、畑に行くか、公園に行くか、あとはレコードプレイヤー。

チャイコフスキーからボブ・ディランまで。

カーペンターズと古今亭志ん生がお気に入りだった。

 

 

『Yesterday Once More』を覚えた。

カレンさんが歌っている同じ声の出し方、同じトーン、聴こえてくるままに歌っていた。

息継ぎの場所から何もかも全て同じでありたいと思った。

 

 

耳で覚えていた時は全て歌詞を覚えていたのだけれど、歌詞を読んだ時から覚えることができなくなった。

「覚えなきゃいけない」と思ったことは一度もなかった。

ただ、カレンさんと同じように歌いたいと思っていた。

歌詞に意味があることを知り、謎が深まった。

 

 

高校時代、演劇部に入った。

 

クリスマスソングを歌う舞台があった。

その時、『サイレントナイト』を歌った。

 

わたしは滑舌がよくないし、台詞を覚えるのが苦手だった。

何も見ずにあれだけ歌うことができた『Yesterday Once More』も、歌詞を見た瞬間から諳じて歌えなくなったように。

 

わたしたちは県大会に出場した。

大会ではCD音源(効果音を含め)の正確なクレジット表記を提出しなければいけない。

わたしたちの舞台を見た審査員の方々が、「曲のクレジットが入っていないのでマイナスです」と告げた。

最初、何のことを言っているのかわからなかった。

 

審査員の方々は、わたしが歌った『サイレントナイト』をCDの音源だと勘違いしていた。

 

わたしの歌が褒められた。

 

 

「しのが歌いたい曲、歌ってよ」

 

ピアノを弾くのが好きな子がわたしにそう言った。

わたしは彼女と二人で体育館の舞台袖にあるピアノでこっそりセッションをした。

 

そうしているうちに、絵を描くのが好きな子が一人、顔を出すようになった。

最初は見に来ていただけだけど、その子が私たちの音楽を聴きながら、絵を描きはじめた。

とてもすてきだった。

 

昼休みになると三人で体育館の舞台袖に行き、ピアノを弾き、歌をうたい、絵を描いた。

 

 

ある日、昼休みにこっそり集まっているわたしたちを不審に思った担任の若菜先生が、あとをつけて体育館に見に来た。

 

そこで音楽をしているわたしたちの姿を目にした。

先生も感動してくれた。

それから、たくさん褒めてくれた。

 

「歌、じょうずだね」

 

その日から先生も毎日体育館に来るようになった。

 

 

NHKの音楽番組でオーディションがあった。

それに受かると47都道府県から1組ずつ出場できる。

 

出たかった。

 

お母さんに「出たい」と言った。

 

「知りません、お父さんに言いなさい」

 

毎晩、お父さんの肩たたきをしながら「出たい」と言えず、もじもじしていた。

 

 

***

 

 

ある夜、電話がかかってきた。

 

「しのちゃんをこの番組のオーディションに出させてあげてください」

 

若菜先生からだった。

お父さんはこっくりと首を縦に振った。

 

若菜先生のおかげでオーディションを受けることができた。

先生の優しくて一生懸命なところと向き合って、お父さんの心は雪解けしたみたいにうららかだった。

 

オーディションを通過し、わたしはNHKの番組に出ることになった。

 

テレビデビューはその時だった。

 

シータは12年生きた。

 

亡くなる前、血便が出た。

「シータを助けたい」という想いで、動物病院の専門学校へ進学した。

 

学校は千葉にあった。

それは青森を出ることを意味していた。

 

 

歌をうたうことが好きだった。

はじめて借りた部屋で歌をうたっていると、隣から「うるさい」と言われた。

一人でカラオケに行くと、「利用できるのは二人からです」と断られた。

 

駅前に行くと、みんな路上で歌っていた。

 

「外で歌っていいんだ」

 

その日、ラジカセとCDを買って行った。

CDに入っているカラオケをバックに歌った。

 

 

続けていると、NHKの番組でお世話になった人が見に来てくれた。

そこから噂になって、いろんな事務所の方々が見に来てくれるようになった。

 

「絶対に言わないでください」

 

外で歌っていることをお父さんに知られると、青森に帰らされる。

それだけが心配だった。

 

たくさんの事務所の方から名刺をいただいた。

とある人が契約書を持ってきた。

両親にも連絡をとってくれた。

 

そこではじめてメジャーと契約した。

音楽は楽しいもの。

原風景から紡がれるSinonの世界。

 

様々なアーティストとコラボレーションしたり、プロデュースをする中で彼女は気付きを獲得していく。

彼女はまだまだ進化している。

 

───鎧がとれた感じがした。

まるで脱皮したみたいに軽くなった。

 

昔から、わたしの歌のことを人から言われるのがあまり好きではなかった。

歌は、発されたら相手のものになるけれど、それまでは自分のもので。

 

「自分の身体から発するものは自由にさせてほしい」

 

自分よがりだったかもしれません。

今は「全てがそうではない」ということに気付きました。

歌ったら、それは歌った人のものになる、ということが分かってきた。

 

プロデューサーの方が求めることを理解することで、わたし自身の幅が広がっていく。

───今まで知らなかった自分を発見できる。

 

 

青森では冬は長靴をはいて過ごした。

雪の中を歩くために、重たい長靴を持ち上げて学校へ通った。

 

春になると雪解けがはじまる。

その頃、わたしたちはようやく短靴に履き替える。

 

短靴を履いた時の足の軽さ。

一年に一度、その感覚を味わうことが待ち遠しかった。

 

春になれ、春になれ。

 

ちょろちょろちょろ。

道路に山のきれいな雪解け水が流れてくる。

まだ氷の残るその中で、つくしんぼが顔を覗かせる。

それがキラキラしていて。

その光景を短靴の軽やかさと共に、心が晴れやかになる。

 

 

新しい自分を発見するのは、あの感覚に似ている。

春になって、短靴に履き替えた時の気持ち。

 

だから、新しい人と一緒に作品をつくることは私にその清々しさを与えてくれる。

 

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