top of page

読む「れもんらいふデザイン塾」vol.17


今回のゲスト講師は株式会社スマイルズの代表取締役社長、遠山正道さん。

『Soup Stock Tokyo』や『giraffe』などの事業の他にも、新たに『アートスティッカー』などのアーティストを支援するサービスもはじめた。

『れもんらいふ』の名付け親でもある。

アートとビジネスを綴れ織りにして、新しい世界を育む。

遠山さんのおはなしは、絵本の中の言葉のみたいで、とてもやさしく、楽しく響く。

それは教訓めいた寓話ではなく、心の真ん中にタッチしてそのままどこかへ飛んでいく、詩のようなもの。

すがすがしい見晴らし、言葉への愛おしさ。

心が洗われた不思議な体験だった。

それを、そのまま、味わってもらいたくて。

遠山さんの紡ぐ、絵本のような世界をお届けできればと思って書きました。

それでは、希望に満ちた2時間の講義をお楽しみください。

 

アートとビジネスの結節点は「全てはじぶんごとである」というところ。

今日は、それだけを言いたい感じかな。

 

見えないトリガー

わたしは、アートのことを「見えないトリガー」と呼んでいる。

トリガーというのは引き金という意味。

ふと思うことがある。

じぶんたちが見えているもの、言語化できているもの、触れることができるもの。

それらは世の中の10%くらいのことなんじゃないだろうか。

残りの90%は日の当たらない暗闇の中にある。

そして、きっと、この90%のほうにこそ。

まだまだその価値のようなものがたくさんあるんじゃないだろうか。

そんな、わたしの仮説。

じっと目をこらして、何かを見つけようとする。

アート───つまり「見えないトリガー」は、この90%のところにあって。

アーティストがキャンバスの上や、インスタレーションで表現することの意味。

それは、さまざまなコンテクスト、あるいは美意識の中から、それを具体化して提示していく作業なんだと思うんだ。

そんなことを想像しながらも、わたしたちはどうしても目に見えている10%に目がいってしまう。

わたしが盲人だとしたら、手探りで何かを探して、手に触れたものを頼りにするよね。

たとえば、目の前にあるテーブルのように、感触があるものにすがりつく。

目が見えているならばなおさらのこと、目に映るものを頼りにする。

要するに、「見えていないこと」を自覚すること自体が難しい。

 

目に見えない90%の方は、じぶんから仕掛けない限り、1mmもそちらの方には動かない。

 

アートには上司はいない。

あるいはお客さんもいない。

明日何時に起きようが、朝まで飲んでいようが、だれも文句を言わないし、注意してもくれない。

じぶんで考えて、じぶんでやるしかない。

そこがアートのすてきなところ。

クライアントワークが悪いわけじゃない。

サラリーマンは会社(上司)がクライアント。

起きる時間も、会社がはじまる時間から逆算してきめている。

いろいろなことが会社の都合で決まっていて、行けば仕事が用意されている。

これはある意味、やりやすい。

クライアントワークには2つの宝物がある。

1つは課題。

もう1つはお金。

課題があると便利。

だって「やること」が決まっているのだから、ブレストしたり、調査したり、プレゼンしたり、テストしたり、ああだこうだすればいい。

その上、お金もクライアントから用意されている。

クライアントワークには最初から〝都合〟がある。

だから「じぶんが何をやりたいか」を考えるタイミングって実はないんだよね。

 

小さな経済の時代

あらゆる解体が進み、もうこれ以上わけることができない〝個人〟という最小単位がユニットになっていく。

これからを生きる人は、この3つのどれかです。

A.プロジェクトを自ら仕掛ける

B.プロジェクトにお声がかかる

C.仕掛けもせず、お声もかからない

20世紀というのは経済が発展して、産業が豊かになり、大きな集団で分業していました。

これからはもっと細分化して、一つ一つがプロジェクト化していくでしょう。

その時にBとしてお声がかかる。

Bとは具体的にどういう人なのかというと、技術や経験があったり、あるいはチャーミングであるとか。

当然Cにはなってほしくない。

Bにしろ、いっしょうけんめいやらないとお声はかからない。

 

「成功すればじぶんのおかげ、失敗すればクライアントのせい」

かなり刺激的なタイトルだけど、なんとなくありそうな話。

うまくいけば、じぶんが価値を提供していることになる。

失敗すれば、クライアントのせい。

それは世の中の都合かもしれない。

つまり要因はたくさんあるのだから、じぶん以外に責任を負わせることはできるわけだ。

 

ずっとクライアントワークをしていると、気持ちがいい。

みんなが「ありがとう」って言ってくれるし、お金も入ってくる。

「これをやりたい」

そういうことを知らないまま気が付くと60歳になっている。

「あれ?どうするんだっけ?」

だから60歳になる前に、それだけじゃない働き方、生き方、感じ方を持っていた方がいい。

じぶんの発意となる仕事(A)とクライアントワーク(B)を行ったり来たりした方がいいんじゃないかな。

ちなみに、わたしは社長をやっているんだけど、数字が苦手。

その他にも、人事、マネジメント、契約、折衝…

レジを打てないし、スープも注げない。

「うーん、得意なものないな」

「特別なことができる」ということがないので、誰からもお声がかからない。

だからね、じぶんでやるしかない。

 

「プロジェクトを立てること自体が大変なことなんだ」

Aをやってみると気付くことがある。

そういうことを知っていると、Bでクライアントワークをする時も、相手(クライアント)の立場も分かってくる。

すると、それぞれのビジネスの仕組みが見えてくる。

 

じぶんの発意

例えば、会社では打ち合わせの時にお茶を出す。

「将来、田舎でオーベルジュのような小さな宿をやりたいな」という人が働いていたとする。

ルイボス畑でルイボスティー作りながら、のんびりとした田舎で、レストランのある宿を開く。

と、言いながらも、わたしはルイボスティーのことをよく知らない。

ルイボスって葉っぱかなぁ?

やめた、黒豆茶にしよう。

わたし、黒豆茶が好きなんだ。

お茶なのに豆が入っていて、芳ばしくって、うれしい気分になる。

将来、宿を開いた時に「黒豆茶を出したいな」と思っていたとする。

じゃあ、会社に来てくれたお客さんに出すお茶を黒豆茶にしてみちゃう。

「おいしいね」

「うちの実家が奈良県で、将来、宿をやってみたらこういうのを出したいんですよね」

そういう話をしていると、相手がそのことをおぼえていたりすることがある。

「田舎が好きなんだ」とか「宿をやりたいんだ」とか、ゆくゆくはつながっていくかもしれない。

そうやっていろんなことを試していけばいい。

「打ち合わせのお茶を黒豆茶にかえちゃいけない」なんていうルールはないのだから、思いついたことをやっていけばいい。

黒豆茶代800円はじぶんで出せばいい。

総務部に請求してもいいかもしれないね。

 

「やりたいこと」のとっかかりみたいなことを、日常や仕事の中にひそませていく。

 

ビジネスだって、じぶんごと

昔、本田さんという人がいた。

奥さんが自転車で大きな荷物を運んでいる姿を見て、大変そうだったので自転車にエンジンをつけてあげた。

そこからホンダははじまった(Wikipediaにそう書いてあった)。

あるいは、ザッカーバーグさんという人は「女の子と遊びたい」という想いから、Facebookという出会い系サイトをつくった。

チェスキーさんとゲビアさんは、家賃が払えないので、友人を泊まらせて家賃をシェアさせたことが、Airbnbへとつながった。

じぶんたちの中にとっかかりがあって、じぶんごとからビジネスはスタートしている。

アートはビジネスじゃないけど、ビジネスはアートと似ている。

全ては「じぶんごと」というところが似ているのかなって。

ここに集まっているみなさんは、どちらかというとアート寄りの人たちだと思うのですが。

ビジネスをやる時も、ものおじせずにじぶんたちの思うことをドーンと出せばいい。

 

アートも事業も経営も

「こどもの眼差し×おとなの都合」

「こどもの眼差し」というのは内側のこと。

じぶんの言葉に正直なことや、好き嫌いのこと。

「おとなの都合」というのは外側のこと。

成立するのかを考えたり、あと忖度とかね。

これも、どちらか一つだけだとしんどい。

世の中のビジネスを眺めていると、「最初から最後までおとなの都合」というよりも、本田さんやザッカーバーグさんのように「こどもの眼差し」がきっかけになっていたりする。

スタート地点はこちらの方が大事なのかもしれないね。

その両方を行ったり来たりできると、Bの人(声のかかる人)になってくるのかなって。

あるいは、Aになって、じぶんで仕掛けることもしやすくなるんじゃないかな。

 

アートは「じぶんごと」として考えやすいけれど、どうしてビジネスだと「しきたり」任せになってしまうのだろう?

不思議。

 

わたしの話を少しだけ。

1985年に三菱商事に入った。

そこで一生懸命はたらいて、10年経った時に「このまま定年を迎えたら、じぶんは満足しない」というきもちになった。

「何かをやりたい」

そう思って、なぜだかわからないけど、絵の個展を開いた。

商社マンは忙しい。

上司にも「どうして、そんなことをやるの?」と聞かれた。

家庭も家庭で忙しい。

2歳になったばかりの子どもがいて、猫の手も借りたいくらい。

奥さんからも「好きなことばっかりやって」と言われた。

誰に頼まれたわけでもない。

八方ふさがりの中で、どうしてこれをやっているのか、じぶんでもよくわからない。

「なぜ、やったのか?」

それは未だに、合理的には説明できない。

わたしはそれでよかったと思っている。

合理的な説明ができるということは、異なる合理的な説明で打ち返されてしまうから。

いらだちだとか、焦りかもしれない。

ときめきや夢のようなものかもしれない。

何かしら、そういうものがないとやらないよね?

うまく説明できないのだけど、頑丈な扉をこじあけながらやった。

そこで、いくつかのものを手に入れた。

少しカッコよく言うと、3つくらいある。

1つめは、はじめて意思表示をしたこと。

それまでは生まれてからというもの何不自由なく、暮らしてきた。

大学を出て、商社に入り、とても楽しい人生を謳歌していたんだよね。

「じぶんの発意」をはじめてカタチにした。

2つめは、はじめての自己責任。

これもカッコいい言葉だから照れてしまうのだけど、せっかくなので最後まで話そう。

親のせいにも、上司のせいにも、奥さんのせいにもできない。

じぶんが「やる」と決めたことは、誰のせいにもできないんだ。

だから、カタチになった時、とてもうれしかったのだろうね。

何かしらの手ごたえをじぶんの中に掴むことができた。

3つめ、Soup Stock Tokyoが生まれた。

「とにかく食やリテールや手触り感のあるものをじぶんたちでつくって提示したい」

そんな欲求に駆られた。

わたしはこれを〝何かやりたいんじゃないか病〟と呼んだ。

当時は商社の情報産業グループという部署にいたのだけど、むりやりケンタッキー・フライド・チキンに出向させてもらって、そこでいろいろ考えた。

すると、女性がスープを飲んでほっとしているシーンが思い浮かんだ。

その時、すごく大事なものを見つけた気がしたんだ。

それから3ヵ月かけて、わたしは物語を描いた。

全て、過去形で書かれたおはなし。

映画の脚本に近いかもしれないね。

1枚の絵に全てを描くとなると情報量が多い。

例えば、店がどの場所にあり、どんなインテリアで、どんなメニューの、値段がいくらで、どういったお客さんが、スタッフはどんな人で…

全てが決まっていないと、1枚の絵では描けない。

物語から、企画書をつくった。

その内容は、一言でいうと「共感」について。

「Soup Stockはスープを売っているが、スープ屋ではない」

 

わたしたちには〝作品性〟という言葉がある。

作品のようにスープをつくり、世の中に提案し、お客様や世の中との「共感」という関係性を築くことができれば、それが他の食べものにかわったり、物販だったり、別のサービスになったり。

共感の関係性がもっともっと増えていくんじゃないかなって。

「共感」のための重要な軸がスープなんだ。

 

お金のこと

誰もが気になるところ。

誰もが考える。

だから考えればいい。

ひとりで考えたり、誰かに質問したり、意見に耳をかたむけたり。

あとはね、勇気。

普通のビジネスはたいてい、お金勘定からはじまっちゃう。

「どうすれば儲かるか」みたいな話。

お金の匂いのするところに寄ってたかって、ああだこうだと意見を言う。

それって、なんかおもしろくない。

だから、お金は最後でいいんじゃないかな。

お金のことが得意な人はたくさんいる。

上司とかコンサルだとか、教科書だってたくさんある。

放っておいても常に向き合うことになるから、それ以外のことを考えた方が良い。

「どうしてやりたいの?」とか「何が大事なんだっけ?」とか。

寝ても覚めても考える。

そうすると、自ずとビジネスとのつじつまみたいなものが見えてくる。

〝カタチにする価値〟を見つければ、マネタイズする方法は後からでも辿り着くことはできると思う。

 

「行動には神様がおまけをつけてくれる」

わたしが22年前に絵の個展を開いた時に書いた言葉。

行動は何かを誘引する。

人間って、あらかじめリスクに対して距離を置きたい生き物だと思うんだ。

失敗して死んじゃったりしないために、未然に回避するというセンサーがたくさんある。

「未来のことをやる」ということには、「どうなるのかわからない」という恐怖があるんだよね。

「これだ!」というものに頭からつっこむということには勇気がいる。

 

レストランに行った時に出てくるメニュー。

メニューってだいたい必要なことが書いてある。

料理名や値段。

でもね、大事なことはそこじゃない。

メニューだけではおいしいかどうか分からない。

素材の鮮度、レストランをはじめたオーナーの想い。

シェフがフライパンで頭を叩かれながらもがんばってきた積み重ねとかね。

あるいは、お客さんが誰と来て、どういう話をしているのか。

その空間、おいしいという感動。

そういうことが大事だよね。

だけどビジネスになると、なぜかメニューの方ばかりを気にしてしまう。

会議室の中で決められたことを優先させる。

数字なんかの具体的な話。

でも、想いとか、キラキラとか、ドキドキとかも大事だよね。

会議室で「これはドキドキが」なんて言っても上司には説明しづらい。

「そのドキドキは結局、回収できるの?」って。

その両方を、お互いにたすきがけする。

だから「デザインやアートが得意な人が経理の仕事をしている」───そういうのはいいよね。

 

両方のフレーバーを持っていれば、お互いのピースがはまっていく。

それぞれがどちらかに偏り過ぎてはいけない。

 

分母と分子のあいだがら

森岡書店

5坪でたった一冊だけの本を売る、本屋をつくった。

檸檬ホテル

瀬戸内国際芸術祭で作品として、一日一組だけのために、小さなホテルをつくった。

檸檬ホテルでは、れもんのお洋服を売っている。

お客さんの反応は2種類。

「何これ?」と「かわいい!」。

「何これ?かわいい!」とうっかり買う。

東京に帰って友達にあげると「かわいい!何これ?」と言われる。

そこでこう答える。

「れもんのお洋服よ」

うちの会社はこんな感じだといいなって。

「れもんのお洋服が売れるにちがいない」という発想は、少なくともマーケティングからは出てこないよね。

森岡書店も、檸檬ホテルも分母が小さい。

リスクが少ないから、こういった思い切ったことができる。

「5坪で1冊」

それが150坪で5000万円かかっていたら、1冊の本を売る本屋なんてできないよね。

小さいからユニークにできて、そのぶん、遠くまで響く。

こういったプロジェクトが重なっていくような仕事ができたらいいなって思っています。

 

個人のアイディア、センス、コミュニケーション、情熱、リスクがそのまま仕事と全て重なってくる───仕事と人生が重なる。

プロジェクト化していく中で、「個人」という単位に分断されていく時代。

一人ひとりの個人として、なんとかじぶんで価値を生み出して、世の中に出していかなきゃいけない。

仕事と人生が、否が応でも重なってくる。

「じぶんは、会社の中で何ができるのだろう?」ということを客観的に見て、AやBになるための、じぶんの棚卸なり、じぶんの履歴書なり、じぶんのプロモーションなりを、知っておく必要がある。

 

ザ・チェーンミュージアム

アートスティッカー

小さくてユニークなミュージアムというものを世界にたくさんつくっていこうと思っています。

わたしたちスマイルズはチェーン店をやっています。

チェーン店とアートってお互いに相容れない存在で。

少なくとも、アート側からは出てこない発想だよね。

おもしろかったので、「いっそのことミュージアムのチェーン店のようなものをつくろう」と。

まずは「ザ・チェーンミュージアム(The Chain Museum)」という言葉だけが生まれた。

2年前に行ったバーゼルのアートフェア。

バーゼルで出品されているものは、基本的には2億円以上のものばかり。

ところせましと作品が置いてあって、手をのばせば触れることができる距離。

「これいくら?」と聞くと「3億」という感じで。

そこでちょっと疎外感があった。

10億円の規模ならば、5人くらいが作品を買えば、アートフェアが成立してしまうようなものだよね。

それはそれでいいのだけれど、じぶんたちの接点のようなものをカタチにできないかなと思った。

それがアートスティッカーにつながっていく。

美術館ではできないようなことを、日常にとりいれていく世界。

鑑賞者がアーティストを直接支援できるしくみ。

小さな革命。

 

「これって、なんだかおもしろそうだ」というところから広げていって、そこから「こうやってみたらもっとおもしろいんじゃないかな?」と育てていくことが楽しいんだよね。

10%に含まれる常識、ルール、しきたり。

その中をかいくぐって「何かをやる」ということは大変。

だけど、目に見えない90%のところに点を打って、そこへ向かうと意外なもので。

しゅしゅしゅっと最短距離でたどりつく感覚がある。

 

村上春樹さんが何かで書いていた言葉がね、とてもすてきだった。

「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。」

この一文を書いて、引き出しに入れておいたらしい。

それがすごく気になって、2年後くらいに取り出してきて、そこへ一行書き足した。

彼は、そこから一行ずつ書き足していくんだ。

ネジをしめるようにていねいに、ていねいに。

結果、『スプートニクの恋人』という小説ができた。

「だから、主人公もストーリーも後からやってきた」

とかなんとか言うんですね。

いいなって思った。

その基準は〝美しさ〟なのかもしれないね。

気になる文章を一つ一つ組み立てていくように、とにかく自分が気になるものをカタチにしていく。

 

Soup Stock Tokyoを立ち上げる時に「スープのある一日」という物語の企画書を書いた。

そうすることでブランドの顔立ちがはっきりとしてくるということもあったのだけれど、人と共有できたり、巻き込むことができたりすることにも有効だった。

事業がスタートしてからも、無数の意思決定がある。

レシピ開発、作業工程、インテリアをつくること、何にしても。

ちなみに、物語の中にはSoup Stock Tokyoを擬人化して「秋野つゆ」さんという人物が登場する。

わたしはよく会社やブランドを人物に置き換える。

そうすると、その人物に寄り添って日々のジャッジをする助けになる。

たとえば、ドアの取っ手ひとつにしても、猫足の装飾がいいのか、シンプルなものがいいのか。

それは、その人物の好みを考えれば、自然と見えてくる。

 

夢の中で出会う

最近の趣味は早寝。

23時くらいにベッドに入る。

すると朝4時くらいに夢うつつのような感じでアイディアが浮かんでくる。

それをメモするのが楽しい。

そうやって、気になっていることをじぶんの中、あるいは潜在意識の中で解決していく。

そういう時って楽しいことしか浮かばないんだよね。

うきうきしているようなことと出会えていると、その感覚が加速していく感じがある。

それはね、夜明けの湖に釣り糸を垂らしていることに似ている。

静かに待っていると、魚がぴゅっ!と、どこかから出てくる。

日中になっちゃうとざわざわしていて、魚がかくれたままで全然でてこない。

わたしの場合だと、「アートとチェーン店は相容れないけどおもしろそうだぞ」みたいなことが、静かな湖で思いつく。

そういうところからいろいろと紡いでいく。

 

わたしの中では「言葉」は重要で。

思いついた考えやキモチを言葉にすると、顔立ちがはっきりするんだね。

言葉を重ねていけば、プロジェクトが実現していくんだ。

わたしはね、将来、美大生みたいな人たちが社長をやって、それを東大生やお金に強い人が周りで支えるようなことになると思うんだ。

映画監督みたいな人。

「こういうのをつくろうよ!」と言える人が新しいビジネスや生き方をどんどん生み出していくんじゃないかなって。

 

おわり

遠山さんのおはなしはこれでおしまい。

ここからはぼく(嶋津)の感想です。

この記事を書いている間、ぼくはずっとうきうきしたキモチでいることができた。

かわいい響きをもつ遠山さんの言葉たちと、遊ぶように一行一行整えていった。

楽しくて楽しくてしかたがなかった。

こういう体験を幸せと呼ぶのだろう

遠山さんのおはなしと千原さんのおはなしを紡いで、一冊の絵本をつくりたい。

本のタイトルは「れもんらいふ」がいいな。 

また一つふえた。

ぼくの夢。

《遠山正道》

1962年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、85年三菱商事株式会社入社。2000年株式会社スマイルズを設立、代表取締役社長に就任。現在、「Soup Stock Tokyo」のほか、「giraffe」、「PASS THE BATON」「100本のスプーン」「刷毛じょうゆ海苔弁山登り」等を展開。「生活価値の拡充」を企業理念に掲げ、既成概念や業界の枠にとらわれず、現代の新しい生活の在り方を提案している。

《塾長:千原徹也》

デザインオフィス「株式会社れもんらいふ」代表。広告、ファッションブランディング、CDジャケット、装丁、雑誌エディトリアル、WEB、映像など、デザインするジャンルは様々。京都「れもんらいふデザイン塾」の開催、東京応援ロゴ「キストーキョー」デザインなどグラフィックの世界だけでなく活動の幅を広げている。

最近では「勝手にサザンDAY」の発案、運営などデザイン以外のプロジェクトも手掛ける。

bottom of page