Baton001

May 11, 2017

 

バトンは渡る。

 

中枢性羞明(ちゅうすうせいしゅうめい)という難病を患った矢野康弘さんに関わったあらゆる人へ。

 

矢野の現状を知ったれもんらいふ代表、アートディレクターの千原徹也さんは立ち上がった。

 

2018年9月19日───

千原さんはサザンオールスターズ結成40周年を祝福するサザンファンによるトリビュートイベント『勝手にサザンDAY』を主催した。

サザンファンという繋がりから、千原さんは矢野さんとプロジェクトを共にする。

ステージでは矢野さん率いる『桑田研究会バンド』が前座として、会場を賑わせた。

 

 

千原

『勝手にサザンDAY』の頃は、お互いに楽しくやっていたので矢野さんの病に対してそこまで深刻なイメージは持っていませんでした。

どこかで「治るんじゃないかな?」と思っていたところがあります。

 

イベントを終え、しばらくしてからFacebookで矢野さんの深刻な様子を目にした時に「これはダメだ」と思った。

自分ができることをやらなきゃいけない。

それが僕の人生にとっても、大事ななことだと。

 

最後まで何か手伝いたいと思いました。

 

 

この『Baton』というインタビューの企画も千原さんの声からはじまった。


「矢野さんのことを記事にしたい」

 

矢野さんの現状を、世の中へ届ける必要があった。

 

 

矢野

僕がはじめて千原さんを知ったのは2006年に東京ドームで開催されたサザンのコンサートでした。

妻が、「おもしろいTシャツを着ている人たちがいる」と。

『葡萄』というアルバムのツアーだったのに、『檸檬』というTシャツを着ている集団がいて。

 

それが千原さんでした。

 

その時「サザンファンなんだ」ということを知り、後に『がらくた』のアートディレクションをした時は衝撃でした。

自分ごとのように嬉しかった。

 

「ヤバイ!あの『檸檬』の人だ!」って。

 

「あの人、夢を叶えたなぁ」って妻と話していました。

 

千原

ある意味、〝生きていく〟ということは「お金」ではなく、「人との出会い」なのだと思います。

僕も矢野さんご夫婦と出会い、『勝手にサザンDAY』に関わってもらった。

あのイベントも最終的には「よかったね!」ということになっていますが、楽しいことばかりではなかった。

途中はつらくて、つらくて、正直なところ精神的にも堪えました。

 

イベントを立ち上げる上で、ファンの人から反対されることが何よりも怖かった。

包み隠さず言うと、叩かれたこともあります。

「桑田さんが来ないことをやっても、誰も響かない」って。

 

その時に矢野さんが「オレは千原くんが本気だということを分かっているよ」と言ってくれた。

その言葉が僕には支えになっている。

 

 

反対する言葉を投げかけてくる人がいる中で、「僕ずっとサザンが好きで、ファンの人たちと〝好き〟を共有したいんだ」と強く思うことができたのは、矢野さんの言葉があったから。

 

だから、つらい日々も前を向いて闘うことができた。

 

出会いのバトン

 

千原

「お金がない」という話もありますが、それは違うと思います。

〝出会う人〟が一番の財産なんじゃないかって。

 

こうやって一緒に手伝ってくれる人が出てきている。

矢野さんの人柄が、これまで出会ってきた人たちが、これからの人生を支えていくのだと思うんです。

 

今は苦しいかもしれませんが、「それを支える友達はいっぱいいるよ」って。

 

 

インタビューの中、矢野さんはこのような話をしました。

 

 

矢野

僕にはプライドが高い部分があって。

「売れたタレントさんに頼る」って何か違うんじゃないかと思っていました。

 

僕が仲良かったのは、あくまで彼らが売れる前の話で。

シアターDは100人ほどしか入らない小さなキャパの劇場だったので、売れたらもう出なくなってしまう。

僕の役目は「巣立つための場所を与えること」で、それが終わればもうそれっきりだから。

 

それが彼らにとっては良いことだから。

 

 

でも、「自分の嘘をつかずに生きていこう」と思った時に、恥を忍んで相談することに決めたんです。

 

 

まずは『勝手にサザンDAY』でお世話になった千原さん。

そして、僕が信頼する友人が3人いて。

 

 

一人が小林賢太郎くん。

電話で事情を説明すると、彼はこう言いました。

 

人工的な光が苦手で、焚火は大丈夫なのか。

ナチュラリストの究極だな。

必ずふさわしい居場所があるはず。

今ツアー中なのですぐには駆けつけられないから、考える」

 

 

そして、枡野(バカリズム)くん。

 

「とりあえず、落ち着いて。

俺たちの仲間は誰も矢野さんがそういう状態になっていることを知らない。

陽気な矢野さんのイメージしかないから、きっと伝わりづらいと思う。

 

第一に、奥さんにブログを作ってもらって、今の状況を言葉にして。

それをTwitterにあげてくれたら、俺たち仲間で拡散するから。

そうすれば矢野さんのことを知っている仲間に届くから。

とりあえず、一歩一歩着実にいきましょう」

 

 

もう一人はスピードワゴンの小沢くん。

 

「分からないけどさぁ、太陽光は大丈夫なんでしょ?

来週の水曜日に花見をするから、昼だったらいけるでしょ?

とりあえず花見においでよ」

 

 

彼らの言葉が三者三様で。

どの言葉も優しくて、的確で、嬉しかった。

本当に助けられた想いです。

 

 

***

 

 

千原

最近、『キストーキョー』というプロジェクトをやっていて、ロゴマークで東京という街のイメージをつくり上げようというものなのですが。

 

いろんなタレントさんにキストーキョーのTシャツを着てもらって、広告キャンペーンを打っているんですね。

先日、とある関係者の人が「企業がこれだけのタレントを集めて、フリーペーパーを撒いて、これだけの広告を打って、やろうと思うと1億円くらいかかるんですよ」って言っていて。

 

「これはね千原くんが1億円の価値を人脈に見出しているわけだから、それをお金に換算してプラスに転化させないといけないよ」って。

そこには「利用されちゃダメだよ」とかそういった意味も含まれていましたけど。

 

今、お金がないにしても、それだけの価値を生んでいることがある。

 

矢野さんがお金に困っていたとしても、実はやってきたことの財産というのは驚異的なほどあるんです。

小林賢太郎さんやバカリズムさんやスピードワゴンの小沢さんと信頼できる関係性を築いているということは、いくらお金を積んでも得ることができない価値なんです。

たとえば、100万円を積めば電話で話を聞いてくれるかもしれないけど、矢野さんは100万円を積まなくても、そういった人たちが話を聞いてくれる価値があるんです。

 

その計算をしていけば、矢野さんはすごくお金持ちなんですよね。

 

矢野

本当にそうかもしれない。

それまであんまり気付かなかった。

賢太郎くんって、彼は何も言わない人だけど、シアターDのロゴをデザインしてくれたり、図面を描いて内装を設計してくれたり、今までにもいろいろしてくれていました。

それは彼が売れた後でもずっと。


千原

僕にしても東京ドームで出会ったきっかけとか───その瞬間は何もなくても、どこかで支え合う瞬間はくるわけで。 

 

 

『作文45』を聴いて

 

病による葛藤の中からオリジナル楽曲をつくった矢野さん。

誰よりも早く、矢野さんは千原さんへその曲を送った。

 

 

千原

矢野さんの生き方が伝わってきた。

決意表明でもあるけれど、その中には不安や淋しさのようなものもあった。

 

病気のことを相談された時は、どうすれば良いのか具体的には分かりませんでした。

でも、この曲があれば僕もどうやっていけばよいのかが見えてきた。

 

わかりやすく言えば、「この曲を世の中にどのようにして広めていくか」という課題を解決すること。

 

この曲ができた瞬間から、矢野さんは〝サザンのコピーバンド〟ではなく、オリジナルとして生きていく〝アーティスト〟に生まれ変わった。

 

 

バトンを手にしたら、次の人に渡すためのもの。

出会いというのはそういうものなのかもしれない。

 

 

矢野

シアターD(劇場)が軌道に乗るまでは明日食べることも大変でした。

3万8000円の風呂なしアパートに住んで、食べるためのお金もないから友人に食べさせてもらって。

一生懸命働いて、借金を返していき、1年後にはもう一度渋谷で住めるようになった。

 

またあの頃のことを思い出します。

 

でも今は、違う。

もう一人じゃない。

 

 

バトンは002と続く。

 

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