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Green Day003


『GreenDay』はGREEN SPACEが主催するトークライブ。

集客にこだわらず、SNS映えしない、自分たちが本当に好きなものを。

誰に対しても媚びないスタイルで空間を築き上げる。

前回の模様は《Green Day001》から。

3回目となる今回は、ファッションについて。

【ゲストプロフィール】

《STORE One 北村大樹》

1977年 大阪生まれ 高校卒業後、古着屋、セレクトショップで働いたのち

24歳で独立後 アメリカに行き古着の買い付けをスタート。

27歳に相方と古着卸"king size box"をスタート。

相方と解散後、一人で古着卸業を続け

32歳にTHE UNION/THE ONE SHOWをスタート 買い付け担当とリメイク部門。

その後2013年に"STORE One"をオープンし、今に至る。

《WEGO代表取締役 園田恭輔》

2000年入社、販売員、店長、エリアマネージャー

物流、MD、PR販促など様々な部署、ブランド立ち上げを経験後

2012年より取締役WEGO事業部長

2018年より代表取締役

 

古着とアメリカ

24歳、北村さんはお金を貯めて一人でアメリカへ渡った。

航空チケットの取り方も分からない、レンタカーの借り方も分からない。

英語も話すことはできない。

そんな中、ロサンゼルスに到着した。

北村

当時は、〝メイドインUSA〟に力がありました。

セレクトショップで働いている時にその価値観を叩き込まれたのですが、ふと「アメリカに行ったことがないよな」と。

その想いから、アメリカに行くことを決心しました。

とある古着屋の社長が「困ったら電話してこい」と一枚のメモ書きをくれていて。

それだけを頼りに。

ロサンゼルスに到着したはいいけど、公衆電話の掛け方も分からない。

今となってはどのような経緯だったかは覚えていないのですが、結局その社長と会うことができたんですねw

〈北村大樹〉

その時の感触が心地良かったのだと思います。

「一人で来たんだ」という。

全身の毛が逆立つ瞬間のような。

そのイメージが強くて、三ヵ月後に再度アメリカへ渡りました。

知り合いが買い付けをしていまして、「旅費を全部出してやるから手伝え」と。

その時にアメリカを横断しました。

アトランタからシカゴ、デンバー、テキサスのダラスまで下りてきて、そこからまたアトランタへ帰るというルート。

服の見方は分かっているので、問題は〝どこで買えばいいか〟。

ローズボール(LAの最大級のフリーマーケット)への地図を買うところからはじまって。

あと、寄付で集まった服が眠っているスリフトと呼ばれるマーケットへ足を運んだ。

園田

キリスト教は寄付の精神で、「家の中にある不必要なものを預ける」という感覚があるんですよね。

それらが回収されてスリフトへ集まる。

北村

Tシャツならば1ドル、デニムは5ドル、ジャケットは10ドル…

格安のマーケットで服を選んでそれを日本に持って帰る。

100円で買ったものが2000円で売れる。

簡単に言えば〝儲かる仕事だ〟と思いました。

北村さんはアメリカへ行きはじめて2年。

デッドストックの山に当たる。

北村

ボストンのある東海岸、少し外れた場所。

なんてことのない小さな町へ、早朝たまたま出かけました。

古い町並みがいいなと思っていると、一軒の店が目に留まった。

廃れた風貌で、どうやらたたみかけの店らしい。

ウィンドウから中を覗くとメイドインフランスのスーパースターやコンバースが転がっていた。

隣にあったダイナーに入り、そこのマスターに尋ねると「その店のオーナーならそこで食事しているよ」と教えてもらった。

話しかけて「中を見せて欲しい」というと開けてくれて、そこでほぼ一軒丸ごと買い占めたということはありましたね。

コウゾウ

店主は靴の値打ちを分かっていなかったということ?

北村

そうですね。

もう店をたたむという雰囲気だったので、一足20ドルで買えるだけ買いました。

コウゾウ

そこでの交渉はどういった感じで?

北村

基本的には表情に出さずに淡々と話す。

「これ、買っていい?倉庫にはまだあるの?」と。

コウゾウ

当時はそういうものを欲しがるのは日本人が多かったということ?

北村

多分。

アメリカ人は「新しいものが欲しい」という印象でしたね。

古いものは求めていない。

コウゾウ

ウィンドウからは何が見えて、「いける」と思ったの?

北村

プーマの緑色のケースとアディダスの青色のケースですね。

園田

分かる。

北村

年代やモデルで価値がある程度決まってくる。

その体験をした時に「こういうことか」と気付いた。

それから、このようなケースがあるという買い付けの選択肢が増えましたね。

当時、そういうものを名古屋に全て買ってくれるビンテージ屋さんがあった。

一足20ドルで当時2000円くらい。

それを一足2万円で全て買い取ってくれる。

だから一回の買い付けで数百万という額にはなる。

25歳にしてしっかり稼ぐという感覚ができましたね。

フリマからスリフト、デッドストック探し、そしてラグハウス(ウェアハウス)へと買い付けを掘り下げて行った。

園田

スリフト(寄付)に集まった後、最後にラグに集まる。

アメリカ中の古着が一旦スリフトを介して、売れなかったものが回収されて集まる場所ですね。

北村

27歳でそういう場所に辿り着いた。

そこで仕事をはじめた。

倉庫の中には果てしない量の古着が詰まっている。

コウゾウ

そこでのセレクトというのはどうやっているの?

何が判断基準なのか、という。

北村

最終的には手触りで判断していました。

コットンかポリエステルか。

それではじいていく。

古いという意味ではコットンの方がいい。

二朗

慣れたら分かるものなの?

北村

分かりますね。

king size boxをやっている時は全国どこでも片っ端から営業をして、引っかかったところに全部卸していました。

32歳で一人でやりはじめた時にリメイクをスタートしました。

卸しをやっていても、結局欲しいものはみんな一緒で、良いものは一軒で収まってしまう。

数が集まらない。

30歳で35歳くらいのことを考えていて、35歳で40歳くらいのことをずっと考えていた。

その人生設計の中で35歳で「一度店をしてみたいなぁ」と。

歳を重ねた時に説得力が出てくるんじゃないかと。

買い付けたものに対しても、何をするにしても。

それで今に至ります。

 

古着じゃないと続かないと思った。

200近い店舗数を誇るWEGO。

香港への海外進出も果たした。

代表の園田恭輔さんの古着、そしてWEGOとの出会い。

園田

高校時代から古着屋で働いていて。

19歳の夏、友人に誘われてロサンゼルスに行きました。

行きと帰りのチケットだけを取って。

ローズボールもスリフトも全部回って、「こういう感じがいいな」って。

好きなことじゃないと仕事は続かないと思って。

我慢ができないのでw

こういうことを仕事にしたいと思いました。

〈園田恭輔〉

アメリカから帰って来た時に、以前一緒に働いていたビンテージショップのメンバー5人と再会した。

その頃というのは大ビンテージブームで。

16、7の年齢で501のXXをはいて、ビンテージのスエット着て、スカジャン着て、腕にはロレックス、手には携帯電話を持って。

「何だこいつら、同い年なのに」

興味を引かれましたね。

その中の1人がWEGOで働いていて。

彼らが「東京で店を出したい」とオーナーに直談判して。

そして下北沢に一店舗できた。

それがWEGOの東京進出の最初でしたね。

僕も誘われたけれど、東京に興味がなかったので「じゃあ大阪で働く?」と。

それでWEGOに入りました。

コウゾウ

どうして、そんな16歳の子たちがそんな良いものを着ていたの?

園田

単純にめちゃくちゃ働いていたので稼いでいたんですよね。

あと、先輩たちが古着屋で働いていたのでいいものをたくさん持っていた。

「これカッコイイですね」とかいうと次の日にポーンとくれたり。

「これくらい着とかなあかんやろ?」みたいな。

すごく安く譲ってくれたり。

店頭は22歳くらいまでしか立っていなくて、そこからは倉庫。

入って半年で買い付けに行っていたので。

それこそ、ダラス、テキサス、ヒューストンなど。

僕たちが北村くんとやり方が違うのは、一つ一つピックしていくピース買いではなく。

例えば、ネルシャツを買いたい場合、倉庫の中にぎっしり詰まったネルシャツを全て見るのではなく。

何千枚の中から100枚選ぶとなると、それは価値のあるものだから一枚10ドルという価格になる。

僕たちの場合は、倉庫いっぱいのネルシャツをがんばって見て3分の1、粗い時は5分の1も見ない割合でしかセレクトしない。

重さ買いで仕入れて、日本に戻ってから価格別に仕分けるという手法ですよね。

ジージャン何トン、ネルシャツ何トンみたいな感じで買っていました。

コウゾウ

大人買いだ。

園田

業界の中でもその方法をとっているところはほぼなかった。

マックスの時で日本の総輸入量の3分の1はうちでした。

───海外から入ってくる古着の3分の1がWEGO。

そこから10坪ほどの店で「一人一人の接客して」というスタイルから、100~200坪の店舗で「接客せずに1000~2000円の商品をセルフで選んでもらう」というスタイルに。

原宿に店舗ができた頃、僕は物流───バイイング、プライジング、つまりアメリカから大量に運ばれてきたものを仕分けして値段をつけていくことをやっていました。

あまり良い状態ではないものが入ってくるので、それらを仕分けしてからクリーニングに大量に出す。

20人くらいでやるのですが。

〈タツミコウゾウ〉

園田

ビンテージブームが過ぎると稀少価値の高いものがあまり売れなくなりました。

既に価値のあるものには絶対数として限りがありますから。

そこで〝レギュラー〟と呼ばれるあまり価値のないものが広がった時代があった。

大量に並んでいるものの中から選んで、「いかに個性的な格好をするか」というような。

僕たちの中でもその頃「どうしてこんなサイズのジージャンが売れているんだろう?」ということはよくありました。

それが過ぎると古着自体が売れなくなりました。

コウゾウ

そこからどのようにして会社は切り替えていったの?

園田

「古着は売れないから新品を作ろう」と。

韓国へ行き、生地を選ぶところからはじまった。

デザインを決めて、工場に発注して…というような。

コウゾウ

WEGOのオリジナルの商品をつくりはじめた。

園田

古着のバイヤーをやっていた子がいて、その子自体が途中から古着を着なくなっていたんですね。

「もう古着は売れないし、興味もないので、新品を作ろう」とその子が言い出したのがはじまりですね。

多少の誤差はあるかもしれませんが、今では古着は3%ほどで、他はオリジナル商品ですね。

コウゾウ

古着は売れない?

園田

売れないというか、集まらない。

「欲しがられるものが集まらない」

みんなの欲しいものが一緒なんですよね。

二朗

売れるものが明確だから、みんなそれを狙っているんだ。

コウゾウ

日本だけでなく、今ではアメリカも価格が上がっていないですか?

僕も先日ローズボールに行ったのですが、日本と同じくらいの値がしていて驚いた。

世界が統一の価値になっているというか。

園田

まさに。

eBayなどのネットサービスによって、「今、世界的にいくらで売れる」というのが共有された情報になってしまった。

コウゾウ

時代の流れとして、日本独特の価値基準がなくなった。

買い付けに行くことのおもしろさみたいなものはもうないのですか?

園田

そうですね。

ただ、その反面でアパレル業界全体が厳しい状態なので、みんな売れるものしか作らなくなっている。

だから服が同質化している傾向にある。

本当にファッションが好きな子たちがショップへ見に行ってもつまらないから、そういう子たちはみんな古着にもう一度戻っている感じはありますね。

この5年くらいですね。

〈辰己二朗〉

 

審美眼

庭も、古着におけるファッションスタイルも、経年変化に魅力がある。

ある種のほつれ具合やダメージ感がポジティブに作用する。

植物でも古さに情緒のようなものを感じたり、神聖さを感じたり。

新しいものに対する目ではなく、古くて良いものを感じ取る力。

それらの審美眼はどのようにして磨かれたのだろうか。

4人へ向けて質問を投げかけた。

コウゾウ

僕たちも、自然と人工のせめぎ合い───どこで手を加えることを止めるかということが重要で。

それは自分の中の感覚しかないので、ぜひとも二人に聞いてみたいことです。

北村

古着に関しては〝見る〟

どれだけ触るかというところからはじまっていて、数を何万着と触ってくることで得るものがありますね。

僕の中では藤原ヒロシさんという人の存在が大きく、古着と新品を合わせた感覚に影響を受けました。

小学生の頃、家の近くに10歳ほど年上のお兄ちゃんが住んでいて、その人が着ていたスタジャンが衝撃的でした。

スタジャンにジージャン、今でいうローファーをはいて、遊びに出かけている様子がかっこよかった。

そのお兄ちゃんが宝島を読んでいた(当時藤原ヒロシ氏が連載していた)。

服について何も分からないなりに、そういう人物がいることを知った。

ただ、あの人が選んでいるものはハイスペックで無駄がない。

そこが僕の感覚と少し違ったので、古着の方へどっぷり行ったというのがあります。

その中で「全身古着を着る」というよりは、「古着の中に自分の好きなものをチョイスできたら」と。

それは自分の個性なのではないかと思いますね。

園田

感覚としては「たくさんものを見ていたら」というだけですね。

僕たちの商売でいえば、一万点十万点を狙って販売していくことが必要になります。

その上で、ストレートにやっていくと単なる量販と同じになってしまう可能性が出てきます。

「あえて、こういう風にしよう」とか、いかにひねくれてずらしていくかということを考えますね。

フェノメノンのオオスミさんが「最も死んでいるものを探している」と言っていて。

それがすごく分かりやすいなって。

みんなが知っている「死んでいるもの」を新しい形で出された時に光るというか。

知っているから使いやすいということもある。

MA-1の流行にしても昔のトム・クルーズの映画『トップガン』に一度世の中でイメージが出来上がったもので。

今になってビッグサイズのストリートの子が着だした時に、おもしろいものになった。

当時の感覚とはまた違うけれど、でも難しいものではない。

使い回しの利く普遍的なものが、新しい概念とミックスされることで新たな命が吹き込まれる。

日本自体がミックスすることがうまいので、欧米のものも日本のものも全て関係なくミックスさせることができる。

そしてオリジナルへもリスペクトがある。

そこが日本の良さだと思いますね。

普遍性にしても数を見ていなければ見分けがつかないので、とにかく数を見ることですね。

良いものというのは大きく分けて2種類ある。

世の中の「良い」とされているものと、自分が思う「良い」というもの。

この問いを投げかける前、トークセッションの中で4人のこのようなやりとりが印象的だった。

コウゾウ

例えば、道に良いジーンズが落ちていたら、それが良いものかといどうかということは分かる?

園田

分かりますね。

コウゾウ

どこを見ているの?

裾の折り返しの部分とか?

園田

それはそうですけど…言葉にはできないな。

北村

あるんですよね、その〝感じ〟というのが。

園田

レプリカでは絶対にできない。

ほぼほぼ再現できているけれど、完全にはしきれていない。

コウゾウ

写真でも分かるということ?

園田

分かりますね。

コウゾウ

何、それは、形?

北村

いや、何ですかね。

「すごくいいな」っていうのを感じるんですよ。

園田

分からないですね。

二朗

そもそも何がいいの?

園田

ほとんどは世間的に「良い」とされているから「良い」という切り口じゃないでしょうか。

ほとんどの人がそうだし、僕たちもそうだった。

「イエローステッチ(リーバイス)だから」ということで、価値は上がったとしても外からは見えなかったりしますからね。

それが綿であれば色も抜けていくし。

二朗

別段、履き心地が良いということでもない?

園田

ないですね。

世間的な「良さ」と自分の中での「良さ」。

世の中の評価を度外視した部分での「良さ」に対する感受性はどのように養ってきたのだろうか。

また、それは世の中とリンクしているのだろうか。

さらに深堀りしていく。

北村

「リンクさせたい」というところが大きかったですね。

───世の中でまだ「良い」とされていないもの、広めて行きたいという。

園田

今北村くんが着ている服自身がまさにそれを象徴しているのではないでしょうか?

USの軍モノのインナーを日本っぽい襟に仕立て直している。

こういうものに持って行くことができるのが北村くんのセンスですよね。

古いものを知っている───それこそアメリカのものも日本のものも両方合わせることができる感覚。

そこに〝らしさ〟を感じますね。

古いものを知っているからこそ、〝今〟をつくることができる。

どう着れば良いのかも含めてナチュラルに頭の中にある。

コウゾウ

先ほど「広める」と言いましたが、具体的にはどのような方法をとるのでしょうか?

SNSでメインに出さず、ちらっと映り込んでいる感じでしょうか?

北村

そういうのが理想ですね。

「この映り込んでいるものなんですか?」「それならありますよ」というコミュニケーションで売れていくのが一番おもしろいですね。

コウゾウ

でも、実際には気持ちとしては売りたいわけですよね

あえて大々的に宣伝しない。

そこをブレーキ踏む感覚というのは?

二朗

そもそもブレーキを踏んでいる感覚というのがあるのか、という問題でもあるよね。

北村

売れた方がもちろんいいですけど、数がまず集まったら全然そういうこともあるかもしれない。

また、売れないものはいつまでも売れないので、その中でリメイクできればもう一度蘇らせることができるのではないか、と。

二朗

みんなが見向きをしないものに対して新しいアプローチをかける。

北村

そこが考えるポイントではありますね。

タンスにないものを増やしていけば買ってくれる。

去年は世の中で白のTシャツばかりだったから、タンスには白が溢れているだろうから違う色を出す、とかね。 

 

マーケティング論

園田

社会に対して会社が何をしているのか?

その会社に参加しているみんなは何のためなのか?

そこをより明確にしていく必要があります。

給与と時間だけではお客様を含めた〝人〟を巻き込んでいくことが難しくなっていく。

社会に対してどういった働きかけがある会社のか。

目的に紐づくのであれば行動に移すし、いくら儲かってもそこに繋がらないのであればやらないという判別がある。

僕は柳井さんの大ファンなので、ユニクロでいうと「服を変え、常識を変え、世界を変えて行く」という企業理念があります。

一番大きいのは〝ライフウェア〟という概念を作ったところですよね。

ファッションとして服を着る人それぞれの中身───ライフスタイルが滲み出てくる。

人の個性を邪魔しない、ベーシックで品質の高い服を世界中に届けている。

一見、ファストファッションと同一視されがちですが実は違う。

世界のコレクショントレンドを最速で模倣して、最速で安価なものとして世の中に出す───ZARA、FOREVER21、H&Mに代表されるようなモデルではなく、必要なものをより良い品質でより安く提供していくという。

全く異なるジャンルの強さがありますよね。

より良い社会になる仕組みというのが大前提にあって。

欧米ではその価値観が進んでいるのですが、日本はまだ遅れています。

企業の理念を支持するかどうかで購買を選択する。

一番わかりやすくて行動が速いのがpatagonia。

patagoniaはどこで作られていて、世の中が正しく回るためにどうのような方法をとっているかが明確です。

エシカルであり、サスティナビリティがある。

それを実践できていて、社会で共感を生んでいる会社というのはなかなかない。

そういったきれいごとはともかく、目の前の事業を回すということを含めて精一杯だったりします。

その中で、できるだけ正しく、目的意識を持って行けるかが課題だと思います。

ブランドの思想をより端的に、いかに伝えるか。

共感してもらえることができれば購買に繋がるし、新鮮な切り口であればそこから多くの人に気付きを与える力がある。

そういったものがマーケティングの根本にないと、いくらSNSで情報を発信しても垂れ流しに終わってしまいます。

WEGOのポジショニングとしてはファッションエントランス───はじめてのファッションに興味を持った子たち(男女ともに)が、気軽に買いにいけるお店として10代に特化しています。

〝服〟をフロントに持ってくるよりも、その世代の新しい子たちの生き方や考え方を前に出したい。

モデルに状況説明したり感情表現を求めるアプローチではなく、好き勝手やっているストリートの若い子、そのままのスタイルに───新世代の子たちをフックアップして服を着せ込んでいきたい。

それは演じているものではないからリアルで。

そういうやり方をしています。

目標が目的にならないように。

会社が社会に存在する意味を考えて行きたいです。

 

時代の変化

園田

ある意味、服自体にパワーはないと思っていて───僕らみたいな量販に関しては。

昔でいうとアメリカ村や渋谷など、それぞれの街にそれぞれのカルチャーがあり、そこへ人が集まった。

その場所に行かなくては分からないリアルがあった。

それが今ではウェブ上で、世界的に趣味嗜好が固まってきている。

固まり過ぎて価値観が均一化しているんですね。

一見違うことを探しに行っているつもりが、探しに行っている者同士が同じになっているというおかしな状況が起きています。

変な言い方かもしれませんが、僕たちはその状況を捉えやすい。

こういうものが好きな子は、どのSNSを使い、どのタイミングで、どういうことを求めているのかが分かる。

違うものを求めて、Instagramなり視覚的なコミュニケーションを求めれば求めるほど、世界的に均一化するという状況が起きている。

グローバル戦略の中で僕が考えているのは「ローカライズし過ぎない」ということ。

行き過ぎたローカライズは均一化していき、負けることになる。

「フロムニューヨーク」と言っていたものが、結果どこでもあるという風になると価値がない。

世の中は多様化しているようで、していないんですよ。

北村

自分が「おもしろい」と思っているものを、どうやっていくかということですね。

そういった画像なりを見れば見るほど自分もハマっていく感覚が分かるので、あえてそこから離れていっていますね。

人と同じところではないところに目線を持って行くようにはしています。

一回引いた位置から見る。

古着と一緒で、光が当たっていなかったり、売れていないものをどうすれば売れるかということを日々考えていますね。

それも自分一人では無理なので、どれだけ周りを巻き込むことができるか。

そういうことは常に考えていますね。

それがファッションなのか、カルチャーなのか。

何かをはじめる時に、一つでもブームをつくることができたらと思っています。

 

庭とファッション。

「佇まい」に本質は宿る。

服、植物、そのものではなく、それが纏うオーラ。

組み合わせの妙により醸し出すもの。

言葉にはならない部分をいかに感じ取り、あるいは提示することができるか。

審美眼だけでなく、誰も発見していない〝美〟を見つけ出し、それを世の中に問いかけることもまた彼らのアートなのだ。

世の中に届きやすい形に直したり、フックを仕掛けることもクリエイティブな行為だと言える。

もちろん、カッコイイものを身につけたり、手入れをすることは心地良いだろう。

しかし、彼らにとって本当の意味での快楽は、既にあるもの、あるいは価値がなくなったものを蘇らせて、再び光を当てることなのではないだろうか。

0から作るのではなく、人が見向きもしなかったものに価値を与えること。

審美眼だけでなく、価値創造が加わることによってカリスマが生まれる。

彼らは世界中で宝探しをしているのかもしれない。

《GREEN SPACE》 兄:辰己耕造(庭プロデューサー・76年生まれ)弟:二朗(庭師・79年生まれ) 造園を生業とする家に生まれ、2015年から父がつくった会社である㈱グリーンスペースの 代表 に。 主に個人邸や店舗の庭をつくること、そしてつくった庭をお手入れすることを中心に活動。その 他に も「たくさんの方に庭に触れていただきたい、植物に興味を持っていただきたい」という思いから、庭に関する講演・苔玉づくりなどの ワークショップ・古庭園案内ツアー・トークイベント・室内空間でのインスタレーションなど、庭や緑に関する様々な活動を行う。

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