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広沢タダシ×ケイスケサカモト

2019年1月5日。

《WOW MUSIC 新春SPECIAL PROGRAM》と題しアーティストの広沢タダシとケイスケサカモトによるTALK SHOW & LIVEがアリオ八尾のレッドコートにて開催された。

前回の『広沢タダシ×花*花』に続いて第2弾となる企画。

家族が集まるショッピングモールの明るく賑やかな雰囲気と〝広沢タダシ〟というアーティストの醸す芸術性の高い空気感───「モールとギャラリーの間」───明るく静謐な空間を演出する。

それではトークショーの模様をお楽しみください。

 

うっとりした。

広沢タダシの音楽を聴いていると美術館の中にいるような感覚になる。

美術館という場所はとても静かですが、そこには絵画の情熱で満ち満ちている。

静かであるのに、揺れ動くエネルギーを感じる。

それがとても心地良い空間を作り出す。

嶋津

お二人の出会いは昨年とお伺いしました。

お互いの印象はどのようなものでしたか?

ケイスケ

広沢さんがデビューされた時、僕はちょうど二十歳くらいで。

当時、車を運転するアルバイトをしていて。

車内に流れるラジオで広沢さんの曲をよく聴いていました。

その時から18年経って去年初めてお会いしました。

一方的に僕が好きで───憧れの人ですよね。

だからお会いする時はとても緊張していたのですが、広沢さんはナチュラルで。

「あ、緊張しなくても大丈夫な人だ」ってww

広沢

自然になれたんですかね。

基本、自然でいようとは思っていますが、ケイスケくんの印象も皆さんが抱いているのと変わらない〝いい人〟が滲み出ていたので。

昔から知っているような安心感があった。

何より、「音楽が好きな人なんだろうな」っていうのがありましたね。

嶋津

第一印象から分かるものなんですか?

広沢

分かりますね。

「この人音楽好きだ」って。

「何かあったら辞めるだろうな」という人と「何があっても続けるだろうな」という人に分かれます。

ケイスケくんに対しては、ずっとこの人は歌っていくだろうし、最初に音楽をはじめた時のテンションで今も歌っているんだろうなって。

それは最初に思いました。

ケイスケ

ありがとうございます。

〈旅立ちのうた〉

2018年9月2日。

ケイスケサカモトはニューアルバム『旅立ちのうた』をリリースした。

プロデューサーは広沢タダシ。

制作にあたり濃厚な時間を過ごしたと話す2人。

嶋津

ケイスケさん、ライブでもニューアルバム『旅立ちのうた』より数曲披露してくださいました。

こちらの作品についてお2人にお話をお伺いします。

仕上がりはいががでしょうか?

ケイスケ

今までにないCDができました。

僕の声ってわりと低いんですよ。

「そこに良い成分がある」と言って、広沢さんが引き出そう、引き出そうと尽力してくれました。

「この曲がいいかな、あの曲がいいかな」ということを色々とディスカッションをして二人三脚で制作を進めていきました。

フレーズの一つ一つも「こういう言葉はどうだろう?」など、アドバイスをいただきながら。

そういった濃密な時間を共に過ごしたので、レコーディングが終わった時はすごく淋しかったです。

嶋津

歌詞の世界観や言葉の響きやそこにある世界観を、曲作りの段階からディスカッションをして拡げていった、と。

そのような方法というのは一般的なのですか?

広沢

色んな方法がありますが、僕は〝種の段階から一緒に作っていく〟というのが好きです。

でも、それはお互いを信頼していなければできないことなんですね。

嶋津

アーティストを素材として見て、より良い部分を引き出すこともプロデューサーの手腕にかかってくるものだとイメージします。

先ほど〝低音の響き〟という要素も出ましたが、広沢さんから見てケイスケさんの魅力をお聞かせいただけますか?

広沢

彼、こういう感じじゃないですか。

会場www

楽屋でもずっとこういう感じなんですよ。

裏表がない。

それが歌に如実に出ていて。

それってすごくリアルなもので。

彼の歌は〝歌っている人そのものだ〟と───つまり、嘘がない。

それを最初に感じた。

そのポイントをうまく伸ばしていけばいいと思った。

「こっちの方が売れるんじゃないか」ということではなく、単純にケイスケくんの持っているパーソナリティや人生そのものをうまく引き出したい。

今、まだ彼の中に眠っている人間的魅力を引っ張り出すことに注力しました。

嶋津

おもしろい。

潜在能力を引き出すように。

広沢

アーティストは曲を書いた時に、自分の中では「100%出し切っている」という感覚があるのですが、実はそこにはリミッターがかかっていて。

その外し方が自分では分からないものなんです。

これは僕自身も経験があります。

どうやれば今ある壁を突き抜けることができるのか分からない。

その背中を押すのがプロデューサーの役割です。

嶋津

外からの視点というのが枠を外す助力になる。

ケイスケ

まさにドンピシャにハマった作品だと思います。

ケイスケサカモトの求心力。

チョコレートのような声。

甘く、芳ばしく、深いところで響く。

耳を通り抜け、心に届いた時、多幸感が訪れる。

いつだって、どこだって、明るく、楽しく、やさしくて。

おもしろいことに、ステージの上に立つと尚のこと───その輝きが踊るように光を放つ。

広沢タダシが「人間性の魅力を引き出したい」と言った。

その言葉を疑う者はいないだろう。

インタビューの中で興味深い話が顔を覗かせた。

曲作りの上でアーティストとして心(内面)を豊かにするための習慣について質問した時だった。

ケイスケ

音楽を聴いたりするだけではなく、絵画や映画を観たり、色々なものに触れるようにはしています。

例えば絵画の世界ならばゴッホが好きです。

作品に惹かれ、彼の自伝書も読みました。

有名な話ですが、生涯で売れた作品はたった一枚。

しかも若くして亡くなっている。

彼が有名になったのは彼が亡くなった後のことです。

とても歯がゆい世界だなぁ、と。

これは想像の話ですが、ゴッホって多分、ただただ素直に絵が好きだったと思うんです。

もちろん「売れたい」とか「お金が欲しい」という想いはあったのだと思います。

でも、シンプルに「絵を描いている時が何より幸せだったんじゃないか」って。

彼の作品を眺めていると、無欲でキャンバスに向かい、胸を躍らせながら絵筆を走らせていたのではないかと思います。

嶋津

作品を通して、ゴッホの気持ちがそこに感じ取ることができる、と。

ケイスケ

そうですね。

だから、美術館に彼の作品を見に行った時、すごく不思議な気持ちになりました。

彼の絵を目の前にして「今、自分が立っている場所にゴッホがいたんだ」と。

すごく感動したのを覚えています。

アーティストの心象や息遣いをイメージする。

臨場感を伴った想像力、そしてその瑞々しい感性にケイスケサカモトというアーティストの魅力が垣間見える。

人の心───喜びや哀しみ、そして幸せに対する寄り添い方。

そして、それら全てを包み込む人としてのあたたかく、大きな何か。

創作と教育。

嶋津

ニューアルバムのリリースという話題から、せっかくですのでお2人に曲作りについてお伺いしたいと思います。

ケイスケ

僕はわりと時間がかかる方なんです。

クリエイティブの話の時に「曲が降りてきた」という言葉ってよく耳にしますよね。

僕、一回も降って来たことなんてないんですよww

どちらかと言うと僕は難産タイプで───降って来るというイメージではなく、絞り出している感じですね。

「作ろう」と思わなければ作ることはできない。

嶋津

逆説的に言えば「作ろうと思えば作ることができる」ということですよね。

ケイスケ

そうですね。

そこには苦しみは伴いますが、ただ「作ろう」とさえ思えばいくらでも作ることはできます。

嶋津

確かに〝生みの苦しみ〟というのは想像に難くありません。

広沢さんの音楽は、メロディと歌声と詞が絶妙な一体感を織り成して、別次元へ運んでくれますよね。

勝手に脳内で映像が流れる。

それは自分の記憶の中の映像かもしれないし、夢で見た光景かもしれない。

広沢

言葉を大切にしているので、そこに秘密があるのかもしれません。

〝現在を書く〟というよりも〝真実を浮かび上がらせる〟ということを意識していて。

嶋津

さらに言えば、僕は広沢さんを見ていて、新しい作品をリリースする度に難易度が上がっていると感じます。

広沢さんって、同じことを繰り返すことを好まないですよね?

名曲でも歌い過ぎると分かりやすく飽きますしw

アルバムにしても新しいものに取り掛かる時は今までにないアプローチを見せる。

常に新たなチャレンジをされているので、その分だけ難易度が上がっていく。

広沢

そうかもしれません。

〝どのような内容の作品を作るのか〟ということもそうですが、加えて〝どのような形で〟というところもテーマとなってきます。

具体的に言えばCDなのか、それとも別のメディアで配信するのか。

また、例えば〝毎週一曲ずつ出す〟ということも表現の一つだと思うし。

どこで録るのか、誰と作るのか、だけでなくそういったところも考えています。

時代に合わせてメディアも変化していく。

今はCDというものがだんだん減ってきていて、ストリーミングやネット配信が主流となってきていますよね。

逆に言えば、〝世界に届けるチャンスはある〟ということでもあるのですが。

ただ、僕は日本語が好きですし、この形でどう届けるかということを考えます。

基本的にはライブで直接届けに行くということを軸で考えてはいますが。

広沢タダシはおもしろい。

話し始めるといつもその独自の世界観へ惹き込まれる。

それは奥深く、彼の哲学の中へ。

この時間が心地良く、尊い。

インタビューの中で広沢タダシのクリエイティブについて迫った。

「そのクリエーション、そして哲学は教育可能か?」という点について。

広沢

一応、大事にしているものを、例えば「一時間で教えて」という限定されたものの場合はできるかもしれません。

それを教わったところで、同じようにできるとは思いませんが。

つまり、授業はできるけれど、それを同じように再現するのは難しい。

ずっとそばにいて生活をしていればもしかしたらできるかもしれませんが。

嶋津

ケイスケさんの印象についてお話になられた中で〝テンション〟という言葉が出てきましたが、そういった〝心〟に関してはいかかでしょうか?

広沢

それは無理ですね。

その人がやりたいかどうか、なので。

〝やらない〟ことが決して悪ではありません。

〝やらない〟ことを含めてその人の自由なので。

そこは教えるものではありません。

〝やる〟も〝やらない〟もその人の人生です。

「音楽のすばらしさ」のようなものは伝えることはできるかもしれませんが、それが〝できる、できない〟は別問題ですね。

時代が変わる中で、表現の方法も変わっています。

そこに宿る温度感も微妙に違ったり。

僕たちがやっていることを押し付ける必要はなく、自分が「おもしろい」と思えることを追求していきたいですね。

あらゆるものは時代の変化に伴って形を変えていきますが、普遍的なものは確かにあります。

つまり、時代に左右されない普遍性

そこは自信を持っています。

その部分に共感してくれる人が増えれば嬉しいとは思いますね。

嶋津

広沢さんの話を聴いていると、〝たまたま音楽だった〟という印象を抱きますね。

もちろん音楽というのが広沢さんにとっての人生のテーマではあると思うのですが、それが偶然音楽だっただけで。

もしかするとそれが絵を描くことだったかもしれないし、それが料理だったかもしれない。

ただ、やっていることは〝普遍性〟を表現しているという意味では全く同じことであるような気がします。

広沢

そうかもしれませんね。

嶋津

先ほど広沢さんが「ケイスケさんの人間性を引っ張り出す」と仰ったように、習うというより、ご自身を磨いていく───パーソナリティを拡張するということがヒントになるような気がします。

広沢

パーソナリティも作品も全て繋がっていると思っています。

はじめて産み落とした瞬間。

嶋津

お2人が最初に曲を作った時のお話をお聞かせください。

ケイスケ

僕は高2の時はじめて自分のオリジナル曲を作りました。

歌詞は…

もう戻って来てくれないの?

もう戻って来てくれないの?

もう戻って来てくれないの?

これが続きます。

広沢

切ない。

会場www

ケイスケ

「一体、何があったんだろう?」ってなりますよねw

ギターをはじめたのが高校一年生の時。

野球をやっていて//

広沢

そう、彼はね、本当に野球がうまかったんです。

藤川球児というスター選手がいますよね?

あの球児からホームランを打ったんですよ。

ケイスケ

ホームランではなく〝実は〟ホームランですw

一打席目、球児の球がキャッチャーミットに収まった瞬間、あまりの速さにベンチを見て思わず笑いましたw

何球目かにバットを振ったら、ボールを捉えました。

それがピッチャーに向かい飛んで行った。

球児がバーンと取ってピッチャーライナー。

「あぁ、アカンかった」と。

二打席目。

前の打席の様子を察知してキャッチャーがライトに向かって「このバッター危ないから、後ろへ下がれ下がれ」と合図を出した。

「お、分かっとるな」と。

会場www

何球目かに内角高めにボールが来た。

思い切りバットを振ったら芯を捉えてスコーンと飛んで行った。

「これは絶対に入った」

そう思ったらライトがフェンスをよじ登ってキャッチした。

嶋津

超ファインプレーですね!

ケイスケ

だからキャッチャーがいなかったら〝実は〟ホームランだったんです。

広沢

相手のチームのキャッチャーは偉かった。

ケイスケ

そうなんですよ。

嶋津

全然違う話になりましたw

会場www

少し話を整えましょう。

それくらい野球の腕がすごかった、と。

ケイスケ

高1の時に少し落ち込む時期がありまして。

学校も野球も辞めて「働こうかな」と思った時期があった。

その時、友達が目の前で長渕剛さんの『東京青春朝焼物語』をギターで弾き語りしてくれた。

「わ、こんな世界があるんだ」

メロディを内面の歌詞にのせて歌う世界があった。

それを見て、すごくかっこよくて。

内面の言葉やメロディを自分から生み出せる。

「オレもギターやりたい」って、その足ですぐに天王寺の近鉄百貨店にギターを買いに行きました。

今でも忘れない2万5千円のタカミネ。

広沢

いいね。

ケイスケ

音楽に救われたという想いがあります。

だから自分も音楽で表現することで、格好良く言えば〝恩返しをできれば〟と。

あれは、衝撃的な一日でした。

嶋津

人生のターニングポイントになるような。

その日、以前と以降では目に映る景色が全く違って見えるような。

ケイスケ

そうですね。

嶋津

広沢さんの場合はいつでしょうか?

広沢

二十歳の時に初めて曲作りをしました。

当時、専門学校で音響を学んでいて。

それが自分の中でおもしろくなくて。

バイトばかりしていて学校には全く行っていなかったんです。

すると先生から電話がかかってきて「このままじゃ単位が足りない。卒業できないから来なさい」と。

そこで久々に学校に行ってみると、僕の知らない間に「曲を書こう」という授業ができていたんです。

元々ギターを弾くことができたので、その時に何の気なしに一曲作ったんです。

そうすると先生が「いいね」って褒めてくれた。

その言葉が嬉しくて、「仕事にする」という気持ちもなく、作ることが純粋に楽しくなって、2年後にメジャーデビューが決まってしまった。

ケイスケ

すごい。

嶋津

その時の衝動の延長線上にいる、と。

ケイスケ

その頃の曲はまだ歌っているんですか?

広沢

本当に初期のものはもう残っていないですが、先ほど歌った『サフランの花火』はちょうど二十歳くらいの時の曲です。

今歌っているものの中であれが一番古いですね。

ケイスケ

あんな名曲をその若さで。

嶋津

お2人とも誰に習ったわけでもなく独学で楽曲を作ってこられた───ご自身の衝動によってメジャーアーティストになられた。

そう考えると「〝教育〟って何なのだろう?」と大きな疑問が残りますね。

結局は話が最初に戻って、〝人間性〟(広沢さんがケイスケさんの魅力について述べた)───パーソナリティを磨くことが最も大切なのかもしれませんね。

まだまだお話を聴きたいですが、お時間がいっぱいとなりました。

本日はどうもありがとうございました。

会場 拍手

 

美しく、あたたかい時間が過ぎて行った。

広沢タダシとケイスケサカモト。

さらにパーソナリティを大きくして、休むことなく進化していく2人。

新しい世界を見せてくれるのが楽しみで、楽しみで仕方がない。

また再び会える日まで。

こちらも是非、合わせてご覧ください。

広沢タダシインタビュー記事

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