今回のゲストはDairy Fresh代表、アートディレクターの秋山具義氏。
具体的なヴィジュアルによって秋山氏自身の仕事を振り返りながら、どのようにデザインし、表現するのかを伝える───クリエイティブのエッセンスが詰まった濃厚な時間を与えてくれた。
広告のアートディレクションから、キャラクターデザイン、SNSでの遊び心。
まるで新たな企画のプレゼンを受けているかのようで、あっという間にその世界観に引き込まれる。
「プレゼンはエンターテイメントなのだ」ということに、その時はじめて気付いた。
薬学博士の池谷裕二氏が〝直感〟と〝ひらめき〟の違いについて、このようなことを言っていた。
きちんと論理立てて説明できることが〝直感〟で、「なんだかよく分からないがこっちの方がいい」というのが〝ひらめき〟だ、と。
秋山氏は次々と〝ひらめき〟を〝直感〟に落とし込んで相手の心に届ける。
しかし、氏が最も大切にしているのは〝直感〟よりも〝ひらめき〟にある。
〝ひらめき〟の見つけ方と、〝直感〟への繋げ方。
それがこの講義のテーマだとも言える。
美しく完成された講義は、要約してまとめる必要がない。
完璧にパッケージングされたライター泣かせの講義だった。
エンターテイメント作品を文章に起こすのは野暮。
今回のレポートは、講義内容はそのエッセンスのみで、僕の分析した「秋山具義→ピカソ論」を付録として加えたい。
興味を持って頂ければ、そちらの方も読んでみてください。
それではまず、講義の様子から。
企画→実際のデザインまで
秋山
マルちゃん正麵のパッケージデザインを2011年からやらせてもらっています。
クライアントからのオリエン(※新たな企画を立ち上げる際、現状の仕組みやルール、考え方など、方向付けのための説明会)の時に浮き上がった課題は「また即席ラーメンが売れるためにはどうしたらいいか」ということでした。
当時、業界全体として即席ラーメンの売上が伸び悩んでいて。
コンビニだと1食用にバラ売りされていますが、スーパーだと基本的に5食セットでパッケージされています。
即席ラーメンといえば「主婦がスーパーで買って、平日の昼間に冷蔵庫の残り野菜などを入れて食べる」というイメージがありますよね。
とにかく〝主婦がスーパーで買うもの〟という。
だから、「主婦の人たちがスーパーでカートに入れても恥ずかしくないパッケージにしよう」ということを考えたんですね。
素材からキラキラしたものにしよう、と。
これは研究データとして証明されているのですが、女性ってピンク色にもすごく反応するのですが、キラキラも好きなんですね。
ターゲット層にどのようなアプローチをかけるのが効果的なのか。
そしてパッケージのシズル感について。
「シズル」っていうのは食欲や購買意欲を刺激するような食品の活きの良さや瑞々しさと言った〝おいしそうな感じ〟のことを言います。
英語の「sizzle」から派生しているという。本来の「シズル(sizzle)」という英語は肉がジュージューと焼けて肉汁がしたたり落ちているような状態を表し、それから発して見る人の食欲をそそるような状態の表現として使われている。
(出典:はてなキーワード)
簡単に言うと、ラーメンなどの食べ物を撮影する時───普通、ラーメンシズルっていうのは全体的な麺の上に具が真ん中に載っているという状態ですよね。
『マルちゃん正麺』というのは〝正〟しい〝麺〟と書くくらいですから、マルちゃん正麺のシズル感は下に具を寄せて麺がしっかりと見えるようにデザインされているんです。
つまり、〝写真を美味しそうに撮る〟ということだけではなく、しっかりと〝麺を見てくれ〟という意図がある。
アルファベット一文字に意味を持たせる
立命館大学のコミュニケーションマークをデザインしました。
当時、「Rits」という表記もあったのですが、新たなロゴ(コミュニケーションマーク)を作りたいという話があり、5、6社で競合コンペがありました。
大体、みんな「R」かそれに続くアルファベット2文字で提案したと思うんです。
一口に「R」と言っても、色々な書体があります。
例えば「筆記体ってカッコイイでしょ?」って言っても、〝カッコイイ〟というのは人それぞれ違いますよね?
あと、大学ってとても知的な場所じゃないですか?
このコンペを審査して大学のコミュニケーションマークを決定する人たちというのも当然インテリジェンスに富んでいる。
その人たちを納得させる何かが欲しいと思って。
そこで思いついたのが〝黄金比〟。
黄金比とは約5:8(1:1.618)の比率で構成され、安定した美観を与えるとされていて、自然界において植物の葉の並び方や巻貝の中にも見つけることができます。
パルテノン神殿などの歴史的建造物などにも使われています。
安定した美観を与えるということは、見ていても飽きないんですね。
こういった提案をすると相手は「なるほどな」となる。
あと、誰かに伝えたくなるでしょ?
〝誰かに伝えたくなる〟ということをプレゼンするというのは大事です。
伝える時も、伝えやすい要素で組む。
例えば宣伝部の人が上層部の人に伝える時に、情報が歪んで伝わることってよくあって。
最近ネットで知ったのですが、九州も黄金比でできている。
これも誰かに言いたくなる情報ですよね。
誰でもクリエイターになれる時代
僕がクリエイターになった時代というのはMacもないし、写植(写真植字)の文字を貼って入稿していました。
もちろんSNSもなければ、ネットもない。
自分の作ったものを誰かに見せるというのは、今よりずっとエネルギーを要することだったんですね。
例えば、展覧会をしたり、公募展に応募したり。
それでも見る人の数は限られていました。
今はSNSというものがあって、常に世界に向けて発信できる。
おもしろいことを続けていると突然フォロワーが数万人増えるということもあり得るわけです。
みかんでアートをしているんですけど。
これは一時期流行っていて、おもしろそうだからやってみたのがはじまりで。
そこから自分なりにアレンジしてやってみていて。
「どうやって作っているのか分からないものに、みんな興味を惹くんだな」とか新しい発見はあります。
ジョナサン・ボロフスキーの『夢をみた』という本があって。
これはボロフスキーがベッドの脇にノートとペンを置いていて、目が覚めた時に〝見ていた夢をそこに書く〟という手法で書かれたものです。
この作品が好きで僕もやっていて、目が覚めたらFBにアップしているんです。
「夢界の星新一になりたい」と思っていますw
塾長の千原徹也氏と塾生たちが秋山氏の書いた〝夢日記〟を五月雨式に朗読した。
キャラクターデザインでも、〝夢日記〟でも、みかんアートでも、秋山氏のアンテナに引っかかったおもしろそうなことは全て形にしていく。
その地点では仕事とは何の関係ないかもしれないが、それらの要素がどこかで秋山氏のインスピレーションと繋がっている。
企画が決まってからも、「こっちの方がいいな」と思ったものは、その方向になるように努力します。
最初はざっくりしたものを作って、それを細かく削ったり、磨いたりして、良いものに仕上げていく。
彫刻的な考え方ですよね。
考え続けることで、秋山氏のクリエーションは生み出されていく。
《付録》秋山具義→ピカソ論
オランダ人画家のゴッホは、生前に一枚しか絵が売れなかったというのは有名な話。
彼は〝不遇の芸術家〟という物語的な背景を含め、今でも人気の高いアーティストですが、一歩引いて見てみると映る景色は変わってきます。
ゴッホの死後、ほどなくして(およそ10年後)ピカソが商業画家としての成功を収めました。
ここで僕たちが抱くのは、「あと10年待てば、ゴッホも日の目を見たかもしれない」という淡い憶測と「ゴッホとピカソは何が違ったのか」という疑問です。
〝創ること〟と〝伝えること〟は違う。
ゴッホが売れなかった理由を「運がなかった、時代と合わなかった」と説明することは容易いことです。
実際にそうだし、少なくとも〝運〟が回ってこなければ誰も成功の足がかりを掴むことはできません。
反対に、売れなかった理由は「時代に合わせなかったからだ(理解していなかった)」とも言い換えることができます。
対照的にピカソは時代に合わせることが巧みでした。
それだけでなく〝キュビズム〟という新たなパラダイムを美術史に刻むことに成功しました。
これは単純に流行を読み解くだけでは成し得ない功績です。
ピカソがゴッホと最も異なる点は、世間に自身の前衛性を理解させたことだと思っています。
「ピカソ-ゴッホ」という式から算出される解は2点。
1.ファッション性(時代)を考慮すること
2.伝えること
そして、ピカソの成分からゴッホの成分を引いたこれらの要素にクリエイター〝秋山具義〟の本質が見えてきます。
実は『れもんらいふデザイン塾』が毎回の講義で押しなべて塾生たちに語りかけている内容もここにあります。
ファッション性と伝える力。
それが広告の本質なのかもしれません。
しかしながら、多くの学びの場(あらゆる教室)では、いまだにゴッホの部分しか教えていないというのが現状です。
つまり、〝創る〟ということだけに焦点が当たっていて、〝伝える〟という点に関しては一切何も教えてくれない、という。
なぜ、このようなことに陥るのかというと、一つの要因として考えられるのは〝教えている側も気付いていない〟ということです。
「技能を向上させれば、自然と世の中と繋がりが持てる」と多くの人が盲目的に信じています。
これはある意味「運に頼るしかない」ということを意味しています。
運は自ら手繰り寄せなければいけないし、これからの時代、〝伝える〟という能力はクリエイティブを仕事として生きていくためには必要最低条件なのではないでしょうか。
そして、「ピカソ-ゴッホ」の要素というのは秋山具義氏を通して見ることで、より分かり易く浮き上がってきます。
僕は〝秋山具義〟というクリエイターは、今後そのアーティスト性をより色濃くしてゆき、やがてピカソのようになり、いずれピカソより愛される存在になると予想します。
その理由はこれから述べますが、愛される点だけ先に言うならば、彼の方がピカソよりずっとプレゼンが巧いし、ピカソよりも遥かにおもしろいから。
それでは、僕の『秋山具義→ピカソ論』を。
「私は具義になりたい」
秋山氏の講義を受けて、クリエイティブに関する仕事は本当に楽しいものだと感じたと同時に、その難しさを目の前に突き付けられたような気がしました。
あれらのキラキラしたヴィジュアルは、「秋山氏並みのクオリティのアイディアを相当な高打率で出し続けなければ、この業界で輝くことはできない」ということを暗に含んでいます(たとえベクトルは違ったとしても)。
毎回あんなにオモシロイものを作らないと、本当の意味ではやっていけない過酷な世界なのだということです。
1回や、2回のラッキーパンチではダメで、毎回傑作か、大傑作を作らなきゃいけない。
それはもう人間業ではありません。
マシンのようにひたすらおもしろいことを出し続ける───アイディア製造機になるしかない。
現に目の前にいた秋山氏は見事なまでのアイディア製造機でした。
講義中もずっとおもしろいことを言ってるし、その仕事内容もずっとおもしろいことをやってる(ParcoのCMも#具義みかんの皮アートも#寿司100回チャレンジも)。
そしてこう思いました。
「私は具義になりたい」
この業界でやっていくには、自分がアイディア製造機にならないといけません。
そして、もしそうなることができたなら、業界以外でも活躍できるスーパーマンになれるでしょう。
アイディア製造機は〝広告〟の分野以外でも応用可能だということです。
それでは、秋山具義氏になるための要素を一つずつ分析していきましょう。
秋山氏のアイディアの源泉、そのヒントは講義中の言葉にありました。
秋山
僕はコンビニがすごく好きで、毎日通っています。
常に色んな新商品が出ていて、それを見ながら「これは何でこのネーミングなんだろう?」とか「どうしてこのパッケージにこの色を使ったんだろう?」とか「俺だったらこうするよな」とか。
秋山氏はコンビニに〝時代〟を見ました。
世の中を箱庭に見立てるように。
容赦ない速度で淘汰されていく商品たち。
その中でヒットする理由と消えていく理由。
コンビニで商品を眺め、考えを巡らせるように、秋山氏はいつだってどこだって、常に考え続けています。
秋山
ごはんを食べている時も人と話をしている時も、ずっとループするように考え事をしていて。
仕事だと締切があるので、そこで集中して考えないといけませんが、普段もそのことをうっすらと考えていますよね。
世の中にはそれについてのヒントがあったりするから。
常になんとなく考えているんですよね。
〝考える〟にはきっかけとなる材料が必要となります。
つまり、「材料(インプット)を練り続ける(考える)ことによってアイディア(アウトプット)が生まれる」ということです。
秋山氏の著書『ファストアイデア25』にこのような記述があります。
私は世のなかにはたくさんの「アイデアの種」が落ちていると考えていて、それをできるだけたくさん拾って、いい土壌を探して、その「アイデアの種」を埋めて、すばらしい「アイデアの実」を実らせたいと常々考えています。
(『ファストアイデア25』より)
朝目が覚めるとテレビをザッピングし、好みに関わらず手当たり次第大量の雑誌に目を通し(気になった記事は精読)、積極的に人と会話する。
そのようにして「常に新しい情報を浴び続け、〝自分〟というフィルターを通すことでアイディアを生み出す」という方法を本書の中で紹介していました。
驚くことにこれは、AI(ディープラーニング)と同じ学習法です。
ディープラーニングは大量のデータを入力することによって、自動学習し、その中から最適解を生み出します。
例えば、ディープラーニングに将棋を覚えさせた場合、コンピュータは可能性のある全ての手を読み、大量の計算から精度を上げていき、最善の手を選択する、といった具合に。
実際にプロ棋士の20年分の対局、約5万局を覚えさせ、そこから自動学習を繰り返すことによってコンピュータは今までになかった新たな勝利の方程式を次々と発見することに成功しました。
まさに〝秋山具義〟はディープラーニングと同じ構造でアイディアを生み出しているのです。
特筆すべき点は、秋山氏は、本書(『ファストアイデア25』)を2009年12月25日に発行しているということです(2年半かけて制作したというあとがきの記述から2007年から書き始めたことが分かる)。
つまり〝10年前には既にこの発想によりアイディアを生み出していた〟ということです。
AI(ディープラーニング)を特集したことで話題を読んだNHK番組『人間ってナンだ?超AI入門』が放送されたのは記憶に新しい2017年10月6日。
iPhone 3Gが日本で発売されたのが2008年7月11日です。
秋山氏はAIが世間を賑わす遥か以前から、ディープラーニング的な方法によってクリエイティブを発揮していたのです。
あながち、僕の表現した〝アイディア製造機〟という言葉に間違いはないのかもしれません。
これは「ディープラーニング的学習体験を通すことで、秋山氏のような超人的アイディアマンになれる可能性はある」ということを意味します。
「私は具義になりたい」
① 大量のインプット×考え続けること
優秀なアートディレクターの特徴。
秋山氏の講義を受けていて気付いたことは、「優秀なアートディレクターはずば抜けたコミュニケーション能力を持っている」ということです。
講義の中で秋山氏はこう言いました。
秋山
カッコイイというのは人それぞれ違う。
デザインには正解があるわけではありません。
デザイナーが100人いたら、それぞれ少しずつ違うデザインを作ると思うんですよ。
ある程度は理屈があるけど、〝勘〟の部分が大きくて。
でも、それを相手に伝えなければならないので、〝勘〟の部分を言語化する。
つまり、〝自分の中のデザインという思考をどう言葉に変換できるか〟ということが大切だと思います。
これは一見、「言語化することが最も重要だ」と理解されがちですが、真意はそうではありません。
言語化することで共有(保存)可能な状態にすることや、再現性という要素を付加することは確かに大切です。
しかし、この言葉の根本の意味として、秋山氏は〝伝えること〟の重要さを語っています。
コミュニケーションの高さ=ボキャブラリーの多さではない。
自分の考えを相手に〝伝える〟にはロジカルな方が便利だから言語化するだけで、ヴィジュアルの方が〝伝わる〟と思えば躊躇なく映像やイラストに差し替えますし、彼らは決して難しい言葉を使いません。
誰もが分かるように、そして誰もが共有しやすい形で提示します。
現に秋山氏は先ほどの言葉の後にこう続けています。
秋山
クライアントの要望にもよるのですが、僕は考え方をどう相手に伝えて、それを伝えた時に相手が説明しやすいようにしてあげるっていうのを一生懸命考えます。
つまり、コミュニケーションというのは立て板に水の語り口ということではなく、相互作用───〝伝わる〟が意識された言語感覚を磨くことなのです。
第2回れもんらいふデザイン塾ゲスト講師、POOL.inc代表の小西利行氏はこう述べました。
小西
…僕が知り得る限り優秀なデザイナーは大概言葉のセンスも抜群です。
〝視覚的にポンッと抜いて持ってくる力(エッセンスを抽出して具現化する力)〟というのは、コピーライターよりもデザイナーの方が強いと思っています。
この言葉に僕は心から共感しました。
塾長の千原徹也氏もまさにそう。
あれほど言葉が巧みな人はいません───誰もが分かる言葉なのに、人とは違った言語感覚で話す。
最大公約数の言葉を使うのに、詩的であるというのは、もう最強ですよね。
優秀なデザイナー(アートディレクター)は方法論や出力の現れ方はそれぞれ違うけれど、全員が〝話に引き込む術〟と〝独自の型〟を持っています。
コミュニケーション能力というのは〝伝える力〟と〝読み取る力〟───〝自分の意思を伝える力〟と〝相手の意図を読み取る力〟のことです。
この両輪がうまく機能して良質のコミュニケーションが生まれます。
コミュニケーションについて考えていく上で、「アートディレクターは優しい人じゃないとなれない仕事だ」と思いました。
それは、クライアントにも、消費者(世間)にも。
彼らは相手(クライアント)のことを誰よりも考えています。
相手が意図している部分と、相手の盲点───気付いていない問題点をすくい出し、言葉やヴィジュアルを使って提案します。
つまり、相手の意図するものを形にするだけではなく、〝求められている以上の+α〟を提示することで、相手に感動を与える。
プレゼンはこのコミュニケーション能力に①で述べたアイディアを掛け算してブーストされるのです。
「私は具義になりたい」
➁コミュニケーション能力の高さ
ピカソ的要素。
ついに本題である〝流行(ファッション性)〟と〝伝える力〟について深堀してみたいと思います。
秋山氏は〝広告〟におけるクリエーションについて著書の中でこう述べています。
例えば、コマーシャルを創っている人が、世のなかで起こっていることをまったく知らなくともアイデア自体は考えられるかもしれませんが、それがその時代にリンクしたものになる可能性は低いと思います。
(『ファストアイデア25』より)
つまり「〝今〟を知らなければ、売れる商品になりにくい」ということです。
論の冒頭でも述べましたが、商業的なアートの世界で初めて成功を収めたのはキュビズムの創始者であるパブロ・ピカソです。
ピカソの作風を見て感心させられるのは、そうした画商の路線にじつに柔軟に対応して画風を変えてみせている点で、こうした姿勢はピカソが画商を描いた肖像画にまで徹底されています。
(『ピカソは本当に偉いのか?』より 西岡文彦)
ピカソは世間の流行と自身の作品をリンクさせることが非常に巧かった。
それは画商のセンスに合わせて自在に画風を変えることが得意だったことからも読み取れます。
同時に、高いプレゼン能力が世間にキュビズムという新しいパラダイムを受け入れさせる助力となりました。
ご存知のように、ピカソは卓越したデッサン力を持っていたこともあり、20代半ばには既にある程度の経済的な成功を収めていたといいます。
その経済的な余裕が、ピカソに新たなチャレンジ(キュビズム)を後押しさせました。
ピカソは新しい技法を発表する前に、画商や教養人に向かってその前衛的な作品をロジカルに説明をしました。
それはまるで新理論の論文を発表するように、美術史のコンテクストを押さえ、新たな価値観を提示することで「キュビズムは何がすごいのか」を解説したんですね。
前衛的な絵画のムーブメントが比較的穏やかに受け入れられた背景にはピカソのこの巧みなプレゼン能力が関係しています(それでも浸透するまでに10年近い歳月を要したが)。
パリ最先端のセザンヌの絵の延長線上に、スペインでも異色の持ち味を誇るグレコの筆致をブレンドし、これにアフリカの毛面の魔術的な野生と中世彫刻の素朴な力感を加えて誕生した『アヴィニョンの娘たち』は、まさに無敵のピカソ様式を誕生させることになったのです。
(『ピカソは本当に偉いのか?』より 西岡文彦)
ゴッホになくて、ピカソにあったもの。
それが〝時代を読み取る力〟と〝プレゼン力〟です。
そしてそれはまさに秋山氏の卓越した能力ではないでしょうか。
「私は具義になりたい」
➂プレゼン力
僕は秋山氏にピカソの姿を見ました。
ジョナサン・ボロフスキーの『夢をみた』に着想を得て、実際に自身でも夢日記を綴っている秋山氏の中に。
夢日記は、まさにアートです。
新理論に繋がる課題です。
説明できない可笑しみ、論理の破綻が誘う笑いと偶然が紡ぐ驚き。
僕は、秋山氏は今後アーティストとしての存在感を増していくと予想します(願望を含め)。
他のアーティストとの決定的な違いは「流行(ファッション性)」と「伝える力」にあります。
「よく分からないけどおもしろい」を次々と世に送り出していき、巧みにプレゼンする───そして、人々の心をより豊かにしてくれることでしょう。
「私は具義になりたい」
① 大量のインプット×考え続けること
② コミュニケーション能力の高さ
③ プレゼン力
この3点を磨けば、あなたも〝秋山具義〟になれるかもしれません。
《秋山具義》
1966年秋葉原生まれ。1990年日本大学芸術学部卒業。同年、株式会社I&S(現I&S/BBDO)入社。1999年デイリーフレッシュ設立。 日本大学芸術学部 デザイン学科 客員教授。 広告キャンペーン、パッケージ、写真集、CDジャケット、キャラクターデザインなど幅広い分野でアートディレクションを行う。 主な仕事に、TOYOTA「もっとよくしよう。」、東洋水産「マルちゃん正麺」広告・パッケージデザイン、AKB48「ヘビーローテーション」「さよならクロール」CDジャケットデザインなど。「日本パッケージデザイン大賞2017」にて「マルちゃん正麺カップ」が金賞受賞。 イタリアンバル 中目黒「MARTE」のプロデュースも手掛け、2016年より「食べログ」グルメ著名人としても活動。 著書に「ファストアイデア25「発想スイッチ」で脳を切りかえる」、「秋山具義の#ナットウフ朝食_せめて朝だけは糖質をおさえようか」などがあり、FMラジオ局J-WAVE「ALL GOOD FRIDAY」に月1度のゲスト出演中。
≪塾長:千原徹也≫
デザインオフィス「株式会社れもんらいふ」代表。広告、ファッションブランディング、CDジャケット、装丁、雑誌エディトリアル、WEB、映像など、デザインするジャンルは様々。京都「れもんらいふデザイン塾」の開催、東京応援ロゴ「キストーキョー」デザインなどグラフィックの世界だけでなく活動の幅を広げている。
最近では「勝手にサザンDAY」の発案、運営などデザイン以外のプロジェクトも手掛ける。