SUPERSALT─結晶化された思想として─


2018年5月───4年振りにリリースしたアルバム『SUPERSALT』

呂布カルマの神々しい〝声〟による浮遊感。

肉をえぐるような鋭利な言葉。

毒された叡智。

哲学的言葉はシンプルで、その文学的配置は美しく、明確な意志によってデザインされた〝難解〟がこの作品の芸術性を高めている。

矛盾を孕んだ一つの宇宙。

まさに〝天国〟と〝地獄〟が同居するような作品だ。

この場合の〝矛盾〟とは〝要素〟のことであり、〝思考〟のことではない。

〝思考〟───彼の〝哲学〟は至ってシンプルである。

それは〝意図的に〟理解不能かつ、極端かつ、美しく、置き換えられているに過ぎない。

聴き手の相容れない感情が、クロスした瞬間に途轍もない衝撃が生まれる。

ある者は涙し、ある者は快楽に溺れ、ある者は嘔吐する。

今回、『SUPERSALT』の作者であるラッパーの呂布カルマ氏にインタビューをした。

彼の鋭利な言葉と重厚な思想の根源───この文章がそれらの〝謎〟を紐解く手助けになるかもしれない。

リリース記念に開催されたトークイベントの模様も掲載可能な範囲内で書き記す(口外禁止のため)。

〝ぶっ飛んだファンタジーはジョージルーカス

俺のバースの中に龍が住む───<メヲミテミナ>〟

SUPERSALT.

まずはアルバムについて。

今作は紛れもないマスターピースだ。

闇のように重いビート───〝闇〟に孕ませたラグジュアリーはそれだけで美しく。

その深い陰翳の中へ呂布カルマの〝神々しい声〟広がっていく。

彼の声には奇妙な〝音響効果〟があり、フロートしながら膨張する性質を持つ。

雲の中で光る雷のようで、それは独特の響きとなり、言葉を届ける。

ビートと絡み合いながら拡がる〝声〟の響きと、心地良いライムが生む律動、そして言葉───。

詩的かつ、映像的なその言語感覚。

楽曲は「建築物から可能な限り〝柱〟を抜き取った」ような構造をしている。

それが〝難解さ〟を生んでいるのだが、ライム(韻)が分断された光景を繋げ、連続的に流れ始めた瞬間、その世界の中へ引きずり込まれる。

足りない〝言葉〟を聴き手の想像力が埋め、物語化する。

ゆえに、聴き手の経験値(ラップではなく人生の)にある種委ねられた要素でもある。

的確かつ深度の高い言葉の文学的配置は、呂布カルマにしか成し得ない業である。

嶋津

満を持しての『SUPERSALT』のリリースですが、この4年という歳月はアルバム作りにおいてどのような時間だったのでしょうか?

カルマ

僕は「アルバムを作ろう」と思って制作するのではなく、「曲が溜まったらその時点で出す」という形でやってきていて。

今回の作品は14曲入っているのですが、「14曲溜まるのに4年近くかかった」という感じですね。

嶋津

以前までの作品と異なる点は?

カルマ

リリックは変わっていないんですけど、生活環境が変わっていて。

前作(『The Cool Core』)と明らかに違う点は〝子どもを持った〟ということ。

それから、前作まではラップ以外の仕事をしながらリリックを書いていました。

〝本職に勤めながら副業的に書いていた〟というのと、今回は4年のうちの後半2年はラップ一本で生活していたのでその差はあるかな、と。

嶋津

因みにお子さんはいつお生まれになったのでしょうか?

カルマ

3年前です。

『The Cool Core』が出て、1、2年経って娘が生まれたくらいに前職をクビになって…

嶋津

クビになったんですか?

カルマ

その時は、製薬会社で配送の仕事をしていたのですが、小さな違反を重ねて長期の免停になってしまい。

一日中トラックに乗っている仕事だったので。

嶋津

配送は車に乗れないと仕事になりませんものね。

カルマ

ちょうどそれが子どもの生まれるタイミングだったので、「これから子どもを育てていくために、定年までトラックに乗るというのは体力的にも難しい。これが良いタイミングだと思う」という感じで、なんとなく妻を言いくるめて転職しました。

それから営業職に移って、塾に勤めるようになりました。

塾で働きはじめて1年くらいの頃に転勤の話が出て、ちょうどラップが忙しくなってきたところだったのでラップ一本に。

週5、6で塾で働くよりも、週末に2日間ライブした方が稼げるくらいになっていたので。

因みにLost Licence Boysという曲で運転免許を失くしたことをラップしている。

レゲエミュージシャンが非合法の薬草を女性に喩えて愛を語るように、呂布カルマは失効した運転免許に〝尊さ〟を見出した。

ビートとリリックが格好良いだけに、その捻じれたユーモアがより一層際立つ。

後に出てくる〝ラッパーは己自身の人生を出すこと〟という彼の思考の片鱗だとも受け取ることができる。

カルマ

2016年までラップ以外に本業がありました。

それ以降、音楽一本になったので、自然とラップの雰囲気も少し変わったかなぁ、と。

嶋津

そういった意味でも〝ラップ〟に対する純度が高いアルバムですね。

カルマ

そうですね。

言い訳が利かなくなった感じはありますね。

嶋津

奥さまは音楽一本でやっていくことに対して背中を押してくれるような状態だったのでしょうか?

娘さんが生まれたとなると色々と理解が必要となりそうですが。

カルマ

いや、渋っていましたね。

妻はプロの少女漫画家なんです。

ただ、彼女ももまだ〝人気作家〟というわけでもない。

僕にしてもそうですがプロではあるが、完全に〝売れている〟というわけではない。

彼女に「お前さ、漫画家として売れるつもりあるんやろ?」と。

「もちろん」と答えますよね。

「俺も売れるつもりある」と。

「じゃあ俺が音楽だけになっても大丈夫よな?」って。

そう言ってごまかした感じはありますね。

嶋津

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カルマ

「お前がこのままくすぶってるならしんどいかもしれない。だけどお前が売れたら生活は余裕だし、オレが売れてもどちみち余裕よな」って。

嶋津

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まさにフリースタイルバトルで培った煽り方が現場で生きていますね。

カルマ

そうですね。

結構、無理矢理な理論ですけど。

以下は、Loft PlusOne Westで開催されたトークイベントの内容だ(以降、途切れ途切れに挟む)。

ラッパーのMinchanbabyの企画で、ゲストに呂布カルマとSHACHIが迎えられた。

カルマ

4年前のド・アングラにいたところから、前作(『The Cool Core』)で少しずつ人目に触れるようになった。

そこで求められるのはアイドルと同じような対応───いわゆる〝神対応〟というもの。

東京のラッパーの浮かれっぷりにも違和感があって。

当時と今とでは日本語ラップ自体の世間の認知度が変わってきている。

Minchanbaby

全然違うよね。

カルマ

「こんなにも変わるのか」っていうくらい。

ダンジョンもなかったし、戦極MCバトルなどのフリースタイルバトルブームもまだ来ていなかった。

僕は名古屋に住んでいるのですが、そのムーブメントに浮かれている東京のラッパーの人たちを横目に見つつの〝塩っ気〟ですよね。

「気持ち悪いなぁ」っていう。

Minchanbaby

テレビを見てそういう部分を意識するようになった?

カルマ

そうですね。

そこを掘って、はっきり言えるのがHip Hopですから。

それを言わないといけない。

「言わないといけない」という訳でもないですが。

人間、〝スケベ心〟って出るじゃないですか。

「このままいけばオレ、タレントなれるんじゃないか?」みたいな。

そういうのって違うと思うんですよね。

そもそも自分が子どもの頃は、テレビで流れるようなJ-popなどを色々聞いていて、その中でたまたまHip Hopと出会い。

そのHip Hopの〝悪さ〟や〝怖さ〟にカッコイイと思って始めたはずが、「結局タレントみたいなことをやりたいのか」って。

それはちょっと違いますよね。

そういうのを目の当たりにして、あんなに〝反社会〟を売っていた人間がすっかりタレントみたいな姿になっていると思うと残念ですよね。

そういう形で売れるのは意味がない。

〝反社会〟のまま売れるからこそ意味がある。

押韻論。

嶋津

トークショーの話題でも挙がっていましたが「フリースタイルでは韻を踏まない」と。

でも、最近結構踏んでますよね?

カルマ

まぁ、本当に軽く踏んでるだけですけど。

嶋津

それって何か心境の変化があったのでしょうか?

カルマ

余裕ですね。

余裕があるから踏める。

昔は必死に踏んでいた時期もあったんですよ。

音源と同じレベルで踏もうと思って、無理して頑張って踏んでいたんですけど「しんどい」ってなって。

そこから一切踏むのは止めたんです。

そしたら踏まなくても勝てることに気付いて。

最近は結構余裕が出てきたんで弱い相手であれば「ちょっと踏んだろうかな」って───「サービスで踏んだろう」くらいの感じですね。

嶋津

昔とは認知度も違いますしね。

〝呂布カルマだ〟という目で皆が見ている。

カルマ

そうですね。

「踏まない」と思っていた奴がちょっと踏むだけで反応があったりするっていうのもあります。

でも、本当にくだらない韻しかどうせ踏んでいない。

やっぱり良い韻は自分の作品で使いたい。

司会

会場のお客さんから〝呂布さんの韻を踏まないスタンス〟についての質問があります。

カルマ

僕、屈指で踏んでます。

楽曲で踏み過ぎて、フリースタイルで踏まないんですよ。

〝韻〟は楽曲で踏むものだと思っているので、フリースタイルでは無駄な韻は踏まないし、むしろ韻がなければ「リリックは書けない」くらいに思っているので。

Minchanbaby

めちゃくちゃライム固いよね。

俺も縛りがないと書けない。

ある程度「踏みなさい」っていう感じじゃないと。

カルマ

リリックの内容に感情が入り込み過ぎて結果フロウが生まれてしまい、せっかく踏んでいるのに「踏んでいるように聴こえない」というようなラッパーって結構いて。

Minchanはずっと一定のテンションを保ちつつ、ライムを踏み続けるんですよ。

つまり、リリックの内容にラップのテンションが左右されない。

日本語が分からない人だとか、一回でリリックの意味を受け取ることができない人が聴いていても気持ちいいラップなんです。

感情がフラット───Minchanの〝冷酷なまでにマシーン的〟な要素っていうのは結構影響を受けていますね。

〈Minchanbaby 〉

〝バトルは喧嘩 LIVEは確認

俺にとって最も尊いのは作詞作業

この一行 一分一秒 正に今日───<ヤングたかじん>〟

言葉の磨き方。

嶋津

言葉の磨き方ってあったりしますか?

カルマ

特にはありません。

強いて言えば、〝ライミング〟ですね。

〝韻の嵌め方〟〝チープな言葉を使わない〟こと。

嶋津

ダウンタウンが芸人として世に出てきた時に、王道の設定の中で既存のスタイルのボケから展開させてさらに一つひねったボケで観客を良い意味で裏切っていたんですね。

つまりベタをフリにして───相手の脳ミソの中で「こうボケるだろうな」というイメージをフリにして、そこから一つ飛躍したボケを出す───というテクニカルなボケが新鮮だったと思うんです。

観客のベースにある教養を利用して、それをフリとして活用する。

呂布さんのライミングってそれに近いのかなって思うんです。

カルマ

それは恐縮です。

嶋津

楽曲でも「こう踏むんじゃないかな」っていうのを裏切って別の言葉が飛び込んできたり。

フリースタイルでも「こう返すのが常套だな」という一般的な筋道は一切通らずに、そこにひねりを加えた言葉を放つ。

だから楽曲を作る中で、〝普通ならば踏むであろう言葉〟をまず当てはめて、そこからブラッシュアップしてるのかな───と。

カルマ

ライムってヒップホップのルールが分かっている人からすれば「ここで踏んでくるな」っていうのが分かるじゃないですか。

声が重なったりしていれば特に。

「ライムが2個続いたら、次はもう1個この辺りにくるな」って。

三文字、四文字の韻だったら、言葉は山ほど思い浮かぶわけですよ。

品がない奴はそれを全部使いたがる。

無理矢理にでも全部使って、全部同じ韻にしてしまう。

そうではなくて、たくさん浮かんでいる中から「これ」というのを選び出す。

言うなれば〝どれを捨てるか〟みたいなところですよね。

その中で〝一番おもしろい韻を持ってくる〟っていうのを考えますね。

嶋津

「とりあえず大量に出して、そこから選別する」という感じですか?

カルマ

そうですね。

何回も試して「ここでワンバウンドして、一回跳ね返って、ここに戻ったらおもろいな…」というようなこと。

そのパズルを組み立てるのがおもしろいですよね。

嶋津

呂布さんのリリックの構造に惹かれるんです。

文脈の立て方によって、詞の世界が立体的になる。

───建築物に近い、と言いますか。

俳句は詩的でありながらもはや〝現象〟に近いの〝水の流れ〟とか〝風のざわめき〟のようなものですが、ラップはあえて柱を立てて〝建築〟にする。

韻を〝柱〟だとすれば、「その数が多くて盤石なのに、無駄がない」…という印象です。

カルマ

それがバチッと嵌って、それを口に出してみて「口が気持ち良かったら最高」みたいな。

ただ普通に詩を書くとかだったら、別にそんなことはないと思います。

〝韻〟という縛り、〝ビート〟という制約があって、「ここにこの言葉をどう嵌めるか」というパズルをするのが最高に楽しい。

嶋津

それでは楽曲はその集大成───溢れ返った言葉が淘汰され、結晶化されたもの───まさに〝思考と感性の結晶〟ですね。

カルマ

本当にそうです。

こういう書き方なので「一生書けるな」っていうのはあります。

〝鴨の群れに混ざった白鳥

その身分を偽り活動中───<さよなら>〟

アイドル論。

話はアイドルがラップをすることの是非について───。

カルマ

アイドルとHip Hopって最も遠い距離にある存在だと思うんですよね。

アイドルは〝偶像〟

ファンがその〝偶像〟を好きというのは分かる。

でも、ラッパーというのは自分自身を出すことだと思うんですよ。

アイドルという〝偶像〟ではなく、個人としての〝我〟が出ざるを得ない。

Minchanbaby

俺、かわいかったらラップしなくてもいいと思ってるよ。

カルマ

僕がアイドルならしないですね。

やったとしてもアイドルの時とは全く違ったゴリゴリのことをやると思う。

アイドルでそのままやっていても同じことをラップで表現する意味はあるのか?と。

「サラリーマンやっている奴がサラリーマンのラップをするか?」という話で。

会社では絶対に言えないようなことをラップにしているわけだから。

「そこの線を引けないならばラップをするな」と僕は思う。

だから彼ら(彼女ら)のラップをHip Hopとは認めていない。

〈SHACHI〉

ラップをはじめた時は仕方がないと思うんです。

〝アイドル〟ありきなので〝アイドル〟を引きずってしまうのは当然だと思うのですが、ラップに対して本気になってきたら多分そのままではいられなくなるはずなんですよ。

入口としてのラップというのは良いですが、やっているうちにだんだんHip Hop的なメンタルに侵されていき、「もうHip Hop以外ありえない」ってなっていけばいい。

アイドルとHip Hopって最も遠い距離にある存在だと思うんですよね。

振れ幅としてアイドルの子がヒップホップをやるというのは分かる。

じゃあその「Hip Hopの顔とアイドルの顔が全く違う」というのであればいいですけど、〝ラップアイドル〟みたいなのは…

「ラップとアイドルは合わんぞ」と。

その二つは相容れない組み合わせなんです。

Minchanbaby

「自分でリリックを書いているのか」というのは大きいかな、と。