今を生きる「私」が生き抜くための武器


今回の記事は読みごたえのあるものとなった。

インタビューの相手は教育者の杉本哲也氏。

ベクトルを子どもに向けるだけでなく、大人に対してもアプローチををかけていくべき問題が「教育」。

杉本氏の考えは非常にシンプルで尚且つ実践的だ。

子どもたちの心の豊かさを育てるだけでなく、実社会に出た時に役に立つスキルまでを明確に示してくれる。

理想論ではなく、生きる糧となる「教育」。

ここ数年で社会は大きく変わった。

皆が同じ方向を向きそこにエネルギーを注ぐことで生産性が上がっていた社会から、あらゆる問題に対して答えが「一つ」ではなくなってきた多様性に富んだ今の社会。

「皆と同じ」はもはや幻であり、これから求められるのは誰にも真似できない「個性」。

杉本氏は社会の流れを読みつつ、資本主義の原理から問題解決の策をあぶり出す。

「一身独立」

自分の身を自分の力で立てていくことがいかに重要か。

そして「一身独立」がひいては「一国独立」に繋がる。

これらの言葉たちは、現代を生きる私たちにとって「これからの社会を生き抜くための武器」になるだろう。

《杉本哲也》

昭和54年3月 大阪府生まれ

京都大学大学院工学研究科修了

味の素株式会社、松下政経塾、衆議院議員政策秘書を経て、

現在、家庭教育や幼児教育、保育、食育の講演に携わる

NPO法人大阪府木村式自然栽培実行委員会副理事長

嶋津

プロフィールを見せて頂きますと、幅広く活動されていらっしゃいますね。

私は以前、杉本さんの《日本の未来予想図》と題した講演を受けました。自然農法にも造詣が深いですし、知識と経験値が多くて実際のお仕事が何なのか分からないほどでwww

杉本

本業は教育に関する講演家です。

9割方は保護者対象の子育て講演、そして保育園や幼稚園の教員に向けた研修の仕事です。

残りの1割は頼まれて企業の社員研修をしたり、また衆議院議員の政策秘書の経験を活かし選挙の指導などをすることもあります。

嶋津

他の活動は全てボランティアですか?

杉本

はい。一切お金は頂いておりません。

私が取り組んでいるボランティアは大きく分けて4つ。

一つ目は「道頓堀の掃除」。毎週土曜日の朝6時半から街中を掃除します。

二つ目は「子ども食堂」。パナソニックのお膝元である門真市で、家庭状況の厳しい子ども達を対象に行っています。

三つ目が「寺子屋」。八尾の市議会議員の先生の家の敷地(八尾南)を借りて、その先生と一緒にやっています。

四つ目が「農業」。映画『奇跡のリンゴ』のモデルにもなったリンゴ農家の木村秋則さんの自然栽培農法を普及する団体の役員をしています。

嶋津

今日はそんな杉本さんの幅広い活動を伺いながら現在への道筋を紐解いていきたいと思います。

大学院を卒業されて味の素に入社していますが、最初から教育者の道を進むつもりではなかったのですか?

杉本

ちょうど私が大学生の頃に島津製作所の田中耕一さんがノーベル賞を受賞されたんです。

それまでは理系のノーベル賞受賞者といったら大学の教授だったんですね。ところが田中さんは島津製作所に勤めながら、ノーベル賞を受賞された。これは非常に大きな出来事だったんです。

「これからは企業に勤めている人間もノーベル賞が狙える時代に入ったのではないか」と。

そのような風潮が業界に流れました。私も「研究者をするならば頂点を目指したい」と思っていましたから「企業に入って、ノーベル賞を目指そう」と。

頂点を目指すために。

杉本

私の出身は工学部工業化学科なのですが、ここは一般的に工場の最適化や生産工程におけるスケジューリング、あとは生産工程の中の化学反応の生産率をよくするためにどうすれば良いかとかなどを考えるところなんですね。例えば車を作る工場で「車の台数を効率よく作るためにはどうすればよいか」といったような。

だから研究をどれだけ深めても、実用的な研究なのでお金儲けには繋がってもノーベル賞には結びつかない。

嶋津

人類の未知の世界へ繋がる分野ではなかった、と。

杉本

田中耕一さんがノーベル賞を取ったことでそのような気運が高まり、京都大学に国際融合創造センターという研究所が建てられました。ざっくり言えば「色んな分野の研究をここでまとめましょう」というようなテーマの研究所です。

希望したこともあり、私もそこの研究室に入ることができた。出向した先がES細胞といって、今だったら山中教授のIPS細胞や小保方さんのSTAP細胞などの、ああいった新しい細胞の世界。いわゆる再生医療で使えるような細胞研究をする部署。

そして再生医療の細胞の分野で山中教授がIPSでノーベル賞を受賞しました。僕もES細胞の研究をしていて、「生物分野でのゲノム創薬など、そのような研究を深めていけばノーベル賞は有効だ」という話がありました。

嶋津

工業における生産性を上げる分野から生物の細胞研究に鞍替えしたのですね。

そして、味の素へ入社、と。

杉本

味の素では、私の希望で生物系の研究所に入ることになりました。

工学部出身だけど、「研究者として生きていきたい」という気持ちがありました。それもノーベル賞を狙うような「人類にとっての何か新しい発見を」という意味合いで。

普通、企業というのは「採用枠」というものがあります。基本的には出身の学部によって枠の数が決まっています。私は、味の素の中でアミノ酸や創薬を扱う基礎研究といわれる部署を希望したのですが、私のような工学部出身の人間など募集はしていなかった。

私が強く希望するので、会社としても「どうしよう」という話になった。私も生物についての詳しい話をできるわけもなかったので、面接の時には京都大学アメリカンフットボール部(以下、京大アメフト部)の話をしました。自分が大学のアメフト部で「どうやって日本一を目指して頑張れたか」という話を。採用枠はないけど「人間としてはオモシロイ」と判断してもらって、採用して頂きました。

嶋津

人間性のオモシロさですねw

「何で工業化学科の君がこの部署に?」というのと、その問題をアメフト部の話でプレゼンするというww

杉本

ところが会社に入ってみたら違和感があった。会社の中の研究所というのはどうしても会社が儲ける為の研究になる。そのギャップがどうしてもあった。

それがおもしろくないと思い、そんな採り方をしてもらったにも関わらずたったの1年10ヵ月で退社することになります

嶋津

思い描いていた世界とは違ったということですか?

「人類のための細胞の研究」というよりもビジネス重視だった、と。

杉本

「お金儲けに繋がらないと…」と。その前提で研究を求められる。

今でいうと「癌マーカー」。血中の血液を採取して、そこから癌かどうかを診断するもの。例えばγ-GTPが高かったら、「肝臓がちょっと病気になっているんじゃないか?」とか、アミノ酸の値をみて「あなた大腸癌になっていませんか?」など。そういう指標を作る研究をしていました。

ところがそれは患者さんのためかといえばそうではなく、究極的には味の素のアミノ酸の薬を買ってもらうためなんですよ。だからアミノ酸の血中濃度を使うんですね。そういうのが僕の価値観に合わなかった。

嶋津

仕組みに納得がいかなかった、と。

杉本

そうです。ただ今だったら分かるんですよ。資本主義の原理や株式会社の原理を考えれば当然のことなのかもしれません。

ところが当時は私も「馬鹿」がつくほど真面目だった。正義感に溢れていたので、そういうことを受け入れることができなかった。理想と現実のギャップに悩まされました。

教育を志した松下政経塾。

嶋津

退職された後、松下政経塾に入塾していますね。そこには何か特別なお考えがあったのでしょうか?

杉本

それは、「結局はなぜこのような世の中になっているのか」と。

味の素に入った時に、「最も問題視されるべきことは教育なのではないか」という風に思ったんです。それで「一から勉強したい」と。

国の根本である教育を正したいという想いがあった。

政経塾の面接では「ここに入って何がしたいんだ?」と聞かれました。

だから私は、「将来、全国の国立小学校の月曜日の一時間目は『武士道』という時間にしたい、この日本で」と言いました。

嶋津

武士道ですか!これまたオモシロイ発想ですね。

杉本

今では稚拙だと思いますが、政経塾を受けに来る人って結構漠然とした人が多いんです。

「日本をよくしたい」とか、「じゃあどうやって良くするの?」と聞かれても具体案がない人は落とされる。スローガンだけではダメなんですよ。具体的に「こういうことをやりたい」というものがある人間でないと入れてもらえない。

「月曜の一限目を『武士道』にするかどうかということが正しいのかは分からないけども、それを含めて入って勉強しながら考えろ」と言ってもらえました。

嶋津

もともと教育に興味があったというわけではなく、味の素に入った時に起きた違和感からのスタートだったのですね。

杉本

政経塾に入る前までは、「超」がつくほど私利私欲で生きる人間でした。つまり「自分の出世意欲」だけで生きる人間。

今でこそとことんボランティアをして世のため人のためという想いがありますが。「昔はいかに自分が出世するのか」というところがありました。

アメフトを通して培ったもの。

嶋津

味の素の面接時にも出てきましたが、京大アメフト部のお話を聞かせていただけますか?

先ほど「私利私欲で生きる人間だった」と仰っていましたが、部活動もある種のステータスとしての選択だったのでしょうか?

杉本

現在では西宮ガーデンズというショッピングセンターになっている場所ですが、当時そこは阪急西宮スタジアムがありました。

私が入った頃というのは関西学院大学(関学)と立命館大学(立命館)と京都大学(京大)が三強と言われていて、関学対京大の試合になるとスタジアムには4万人の観客で埋め尽くされる。

大学に入った時、先輩から「君も4万人の前で注目を受けながらフットボールをやらないか?」というお誘いがあり、「それいいな」と思ったんですね。

嶋津

4万人から熱烈な視線注を浴びたい、とww

アメフトは大学からですか?

杉本

はい。中学・高校時代はバスケットボールをしていました。「やっていた」と言っても今考えれば弱小チームです。大阪府の大会でせいぜい3回戦4回戦レベル。

ところが大学に行くと、そこでは日本一を目指している環境だった。関西オールスターにいましたから日本のトップレベルです。

また社会人でも前年度に日本一になったアサヒ飲料チャレンジャーというチームにいて、日本人初のNFL選手である中村多聞さんという人がいた。NFLというのはアメフト界では世界最高の舞台。その世界を見てきた人と一緒にプレーをしていた。そこから学んだものは大きい。

バスケットボールをやっている子どもたちにスポーツの哲学について話したことがありまして。僕はアメフトですが同じアメリカンスポーツだから共通するところはたくさんあります。「一流の選手はこういうところに気を遣っているよ」と。

生活習慣の力

杉本

例えば、プロ野球の監督に「一軍と二軍の違いは何ですか?」と聞きます。その答えが非常に興味深い。

もちろんそれは「技術の差」なのですが。ではその差はどこに現われるか分かりますか?実は非常に簡単なところに現われるんです。

イチローが一番気を配っているのが生活習慣です。毎日同じことを繰り返す。ルーティンです。

社会人になったり、プロの業界に入れば、飲みに行ったりして夜遅くなることが多い。だが、一流の選手は「朝起きる時間」というのを毎日同じにしている

寝る時間を誰かに決められているケースはあったとしても、起きる時間は絶対に自分で決めることができるんですね。つまり、自分でコントロールできるんです。

飲みに行ったからといって起きる時間を遅らせるということは他人に人生を委ねていることになる。

嶋津

「人生の主導権は自分で持つ」という事ですね?

杉本

そうです。

プロ野球においてもそれが技術やメンタルに出てくる。二軍の選手は一生懸命やっているけどもその辺りにブレがある。前の日のことが影響して寝坊したり、単純に遅刻したりすることで信用も失う。そんなことをしていたら当然、いくら技術が高くても「ちょっと試合には使えないなぁ」と。チームスポーツですから当然のことです。

これは宝塚歌劇団の方々もそうで。ラインダンスといって横に一列に並んで踊るものがあります。一列目で踊る一軍の子と、二列目の二軍の子がいる。そして一軍の中でもセンターを飾る子がいる。

「そこの違いは何ですか?」と聞くと、答えはやはり生活習慣なんです。生活習慣をきちんとしている子が一列目にくる。後ろの二列目にいる子というのは、比較的に生活習慣が乱れやすい子なんです。

例えばこの話を保護者講演でしますよね。「習い事をさせたい」と思っている親御さんはたくさんいます。野球選手になりたいからといって少年野球に入れたり、サッカー選手になりたいからサッカーチームに入れたりするよりも、何よりも先にすべきことがある。それが「生活習慣を整えてあげなさい」ということ。

〈《日本の未来予想図》の講演の模様〉

嶋津

《日本の未来予想図》の中でも「一身独立」、つまり「個人の独立」について話されていました。そこへ繋がりますね。

そこには時代性のようなこともあったりするのですか?江戸から近代、そして現代に移り変わる中でライフスタイルや政治が変わってくる。その流れの中で環境も変わってきた。その中で現代にくるにつれてブレが生じていると感じることもあるのでしょうか?

杉本

司馬遼太郎の『坂の上の雲』では一巻二巻の主人公は秋山兄弟(好古・真之)ですよね。兄の秋山好古は日露戦争の時に「コサック騎兵を破る」という偉業を成し遂げた陸軍の大将です。彼が陸軍を引退した後に何をしたのかといいうと松山中学校の校長先生になったんですね。今は松山北高校になっていますが、当時の松山中学校。そこの一室が資料館となっていて秋山好古に関連する書類が沢山あります。

そこに、当時の陸軍士官学校の授業風景というのがあってそれが実に興味深い。写真の中に並ぶ若者たちは皆、背筋をしっかり伸ばして前を向いている

明治時代はみんな腰骨を立てて授業を受けていたんですね。

これが大正時代に入れば少し緩んでいる。昭和に入ると姿勢がよりぐずぐずになっている。

要は「腰骨を立てる」という習慣の差なんですよ。時代と共にその習慣が乱れてくると、面白いことに日本の国情が乱れてくる。

幼児教育で、生活習慣について話すことがあります。

森信三先生という教育哲学者がいますよね。森信三先生の三つのしつけ、あと「立腰」ですよね。これを徹底するというのが家庭にとっても一番大事ですよ、という話をするんですよ。

《しつけの三原則》

(一) 朝のあいさつをする子に。

(二) 「ハイ」とはっきり返事のできる子に。

(三) 席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に。

嶋津

些細なことでも全て繋がっている。そういった小さな行いができなくては、大きいことは決してできない。

杉本

時代に関係なく、人間としての基本というのは生活習慣なんです。江戸時代やそれ以前というのは、言われなくとも当たり前にやっていた。

嶋津

武士道という話も出ましたが、どうしてその当たり前にやっていたことができなくなってきたのでしょうか?

杉本

結局、平和ボケです。生物は緊張感がないとダメなんですよ。

中江藤樹がいた江戸時代には元和偃武(げんなえんぶ)という言い方をしました。要するに戦国時代から関ヶ原の戦いで戦国の世が終結した。

それから武器をおいて、「これからは武力ではなくて知力だ」という形で中江藤樹のような教育者が寺子屋をはじめる。

それでもまだ、士農工商という身分制度があり、やはり身分が上の人間から斬り殺されることもある世の中だった。今よりは多少緊張感を持ちながら生きていた。

今の日本は緊張感が無さ過ぎる。緊張しなくても生きていけますから当たり前のことかもしれません。

嶋津

鎖国から開国することでヨーロッパ型の文化が入ったり、大戦後にアメリカ型の文化が入って来たりということも関係しているのでしょうか?

杉本

多少はね。ただ、文化が流れ込んできたと言ってもヨーロッパ自体が乱れているのかといえばそこまで乱れていない。ヨーロッパのものが入って来たから悪いというわけではないと思うんですよ。

嶋津

その平和ボケから目を覚まし、もう一度腰骨を立てるために必要なことはなんでしょう?

杉本

気付いた人間がやるしかない。国でそういう政策をとろうと思っても、それは難しい。

私が衆議院の政策秘書をしていた時、当時の文部科学大臣は下村博文氏でした。その時、「人格教育教養議員連盟」という名前の議員連盟を発足しようとしたわけです。要は「人格を高めましょう」という。いわゆる道徳教育に一番関心のある議員が超党派で集まった。自民党、維新の会、みんなの党、公明党、あと民主党もいました。

比較的「道徳」や「しつけ」に興味を持った議員たちが集まりました。田口義文さんという古典の先生を講師に招き、四書の『大学』の講義をして頂いた。議員が80人集まり、私たち秘書が準備をする。

すると田口先生が講義している最中に、電話がかかってきて何度も外に出たりする議員や、極端に姿勢が悪かったり、中には半分寝ているような議員もいる。

議員会館の勉強会ではペットボトルのお茶が配られるのですが、講義が終わって皆が退場すると机の上には飲みかけのペットボトルや空になったまま置きっぱなしのものがある。椅子を元の位置に戻している人の方が少ないくらいで。それを秘書の私たちが片づけをするのですが。

いやいや、「道徳教育を広める前にまずあなたたちが三つのしつけをしろ」と。

嶋津

議員さんがそれだと説得力がないですね

杉本

そうです。国の中心がこのような状態ならば、子ども達にいくら国が政策として「三つのしつけ」や「道徳教育が大事だ」と言っても誰も話を聞くわけがない。

そういった意味で国の中央は今体たらくです。だから私は国の力や政治の力でどうにかできるとは全く思っていなくて。現場の先生に話をして、「あなたたちが日本の教育の生命線なんだ」ということを伝えています。だから職員教育をしている理由はそこにあります。

もう一つは寺子屋をやっています。

最初は八尾南で「河内種まき寺子屋」という名前ではじめました。

今で二年くらいですが、河内種まき寺子屋をはじめて一年経った頃に尼崎と奈良で同じ方式の寺子屋がスタートしました。尼崎は「尼崎種まき寺子屋」、奈良県の広陵町は「ヤマトタケノコ寺子屋」が。

寺子屋をやる時には必ず、森信三先生の立腰と三つのしつけをセットで「四つのお約束」というのを作っているんです。

「腰骨を立てましょう、自分から挨拶をしましょう、名前を呼ばれたら返事をハイといいましょう、靴を揃えましょう、椅子を入れましょう」

どの寺子屋でもこれをきちんと唱和してからはじめます。

これを三宮、京都、また東京の知人が寺子屋に興味を持ってくれて。「自分も寺子屋やりたいなぁ」とか言いはじめ、「それじゃあ実際に寺子屋やったら?」と。「種まき寺子屋」という名前には、「たんぽぽの綿毛が飛んでそこに根付いて花が咲くように様々な場所に種を飛ばす」という意味が込められています。

自発性を伸ばすコツ。

嶋津

子どもっていうのは、ただ大人から言われるだけではやらないと思うんですね。「やりたいな」という姿勢がないと成立しないものだとは思うのですが、その自発性を促すコツのようなものってあったりするのですか?

杉本

倫理法人委員会では役員朝礼というものがあって、役員が朝礼をします。セミナーをする前に、お迎えをする練習ですね。いわば、場づくりです。

場を作ってしまえば子どもたちは自然とそこに乗っかる。つまり、いかに腰骨を立てる雰囲気を作るかなんですよ。

子どもたちがやらないのは、私から言わせれば大人が甘い。「子どもにやらせよう」と思うからダメなんです。自分たち自身が先に徹底的にやってしまったら、子どもたちはそれを真似しますから。

嶋津

環境を作ってしまえば自然と子ども達はやるようになる。

杉本

ただそれだけの話です。

先ほどの話と関連するのですが、一軍選手と二軍選手の違いは生活習慣だったわけですが、次は強いチームと弱いチームの差は何だと思いますか?

例えば高校野球。一回戦で負けるようなチームもあれば甲子園で優勝するレベルでやっているチームもある。同じ高校野球といってもピンからキリまでレベルが違いますよね。

同じ野球をやっているのになぜ?同じ高校生、体格の差も知れています。人間としてもそれほど変わらない。「良い人材を集めているからだ」と言ってもそこまで差が出るものなのでしょうか。

嶋津

確かに。同じ年代の子たちですものね。

杉本

何が違うのか。

それは基礎練習の量なんです。強いチームほど基礎練習の時間が長い。野球部で例えると、強いチームほどキャッチボールや素振りの時間が異様に長い。反対に弱いチームはゲーム形式の練習が多いんです。

結局、全てのプレーというのは基礎の訓練の組み合わせなんですよ。基礎のプレーをいかにミスをせずにできるか。つまり、高いレベルでできるかということを徹底している。

それは鍵山秀三郎(イエローハット創業者)さんの言うところの凡事徹底みたいな話で。

アメフトでもそうです。京大アメフト部がなぜ強かったのかというと、一部リーグは8チームいます。

関西では、当時は関学、立命館、京大の三強と他の五大学があった。オールスターで練習をした時に分かるのですが、三強のチームは基礎練習をとことん正確に、しかも徹底してやっている。

嶋津

徹底した基礎練習量の差、ということですか?

杉本

そうです。それだけです。

量を重ねることによって高いレベルになっていく。

嶋津

量が質に転化していく。

杉本

甲子園で強いチームを見ていたら役割がはっきりとしている。

一人目がいかに出塁するか。これはデッドボールでも良い。とにかく出塁をするということ。そしてランナーが出たら二人目はバントで確実で送る。ここで送れなかったら点に繋がらない。バントというのはバッティングではないから誰でも練習すればできるようになるんです。つまり基礎の基礎です。目の高さにバットを合わせて、僕も小学校の時に習いました。

それを本気でやっているチームはやっぱり送りバントが確実なんです。

守備でも正確にボールを捌く。目の前に飛んできたゴロをちゃんと捌く。ヒットは仕方がないが自分の守備範囲の球はミスをしない。

ヤクルトの元キャッチャーの古田敦也氏が言ってました。

「ホームランを打たれるのは仕方がない。ホームランバッターにはその試合で一本くらいホームランを打たれても仕方がない。そんな気持ちでやっている」と。

それでも打率は3割なんだから10回やったら7回は勝てるわけですよね。たまたま一本が出てもそれは仕方がない。

完封しようだなんて最初から気負っていても無理なものは無理で。打たれる時は打たれたら良い。だけど一回打たれたら二度と同じことをやってはいけない。つまり、繰り返してはいけないということ。

嶋津

あらゆる職種に言えることですよね。