月の呼吸で奏でる音楽

言葉と音色と哲学と。

先日、JR八尾にある店───CafeBarDonnaで広沢タダシさんのライブが密やかに行われた。

10坪少しのこじんまりとしたBar。

20人あまりが椅子を寄せ合って、広沢さんのつくる時間と空間、つまり《広沢タダシの世界》を共有した。

ちらちらと光る蛍が集団になると、次第に発光のリズムを同調させていくように、広沢さんの歌に合わせて観客の呼吸が一つになっていく。

透き通るのような歌声が肌の上でとけて、そのまま心の奥底までしみわたる。

それは密やかに、そして、こよなく淑やかに。

まるで空から雪が舞い降りるように、心地良い速度で。

「感動」だとかそんな陳腐な言葉では言い表すことはできない。

もっと複雑で、もっと難解なもの。

歌声が胸に届く。

すると一人一人の記憶の扉、そこにあるスイッチが押され、頭の中で流れ出す光景。

その瞬間、私たちは彼の音楽を聴いているようで、自分の中の物語と対面する。

このスペシャルな体験は観客の記憶に新たな記憶として刻み込まれ、そして永遠に流れ続ける。

それは個人に流れる物語。

そして体験の共有は、人に奇跡を信じさせることになる。

ニューアルバム『Siren』の創作秘話から、歌詞の世界、そして表現の秘密までを語りつくした一時間。

【広沢タダシ】

大阪出身のシンガーソングライター。

クラシックギタリストの父とピアニストの母の元で育つ。

1999年、インディーズでリリースされたCD「シロイケムリ」が口コミで評判となり、 FM802チャートにおいてインディーズ初の

上位ランクイン。

2001年7月に『手のなるほうへ』でメジャーデビュー。

自身の物語───その変遷の中で、スクラップ&ビルドを繰り返す。

《Siren》

昨年10月4日、アルバム『Siren』はリリースされた。

このアルバムは二つの点で今までの楽曲とは大きく異なる。

一つ目は、ロンドンでレコーディングされたという点。

そして二つ目に重要な点は、プロデューサーであるクマ原田の存在だ。

嶋津「今回、ロンドンでレコーディングをされたという話ですが、きっかけのようなものはあったのでしょうか?」

広沢「デビューして15年になろうかという頃、2014年に『月の指揮者』というアルバムを出したんですね。その後に困惑のようなものが生まれたんです」

嶋津「困惑、ですか?」

広沢「えぇ、『月の指揮者』という作品は、ある意味で完成されたものだったんです。『あぁ、できた』という。それは今までアルバムをつくってきた中で得てきた達成感とは違う。もっと大きな、僕の人生という視点から見た『できた』という感覚です」

嶋津「ある種、一つのステージを登り詰めてしまったような」

広沢「僕は自分の人生をかけて───つまり見てきたもの、感じたものを昇華させて曲にしてきました。人生の中で大きな出来事があり、それを書くといったような。そのような意味でも、大きなものを乗り越えたアルバムだった。だから余計に『次どうしようかなぁ』というのがありました」

嶋津「アーティストとしても、また広沢タダシという個人においても、『月の指揮者』はある意味で完成系となった。そして、次の段階への足がかりを探していたところだった、と」

広沢「そうなんです。『これ以上大きなことって何があるんだろう?』って。それはもちろん僕の中でね。メジャーデビュー15周年ということもあり、何かを『出した方が良い』という気持ち、また『出したい』という想いもあった。それで『真夜中の散歩』というアルバムを出しました」

嶋津「はい」

広沢「色々工夫してね。普段はレコーディングスタジオで録るのですが、自宅に機材をたくさん買ってきて。MDRだとか昔のヴィンテージの機材を使ってね、マイクを立てて、ドラムを録ったり。手作りのような感じで。とにかく自分を刺激しようと思ってね」

嶋津「時代が急速にデジタルに向かっている中、反対側へ向かうような制作ですね」

広沢「プロ・ツールスというレコーダーがあって、それが今の世界基準の機材なのですが。それで録るとね、全部同じ音がするんですよ。確かにきれいだけど、どのアーティストが録っても同じ音になる。それが『なんだかつまらないなぁ』と思って。そこに揺さぶりを入れたいなぁと思ってアナログの方へ」

嶋津「MDRだとやっぱり音が違いますか?」

広沢「全然違います。それに、とても不安定になります。同じテンポに合わせたはずなのに『あれ、何かズレるなぁ?』と思ったら、録る度に毎回テープの速度が違うんですよ」

嶋津「ある種の偶然性というか、そういうものも取り入れて楽曲づくりを」

広沢「はい。きわめて曖昧な機械で。それがまたいいところなのですが。そうやって半ば絞り出す感じで『真夜中の散歩』を出し、15周年を迎えました。でね、余計に『じゃあ、次はどうするよ』って。何でも良いならもちろん作れます。音楽的に成立することはできる。でも、自分の魂が『できた』ということにはならない

広沢「ここで何かを変えよう、と。『人にプロデュースをしてもらったらいいんじゃないか?』という発想になって。それまではずっとセルフプロデュースをしてきたんですね。デビュー当時(東芝EMI)はプロデューサーがいましたが、それは最初の二枚だけで。それ以降は一人でやってきました。今回は、僕ではない誰かにやってもらおう、と

嶋津「新しい広沢タダシを発見する旅に」

広沢「色んなプロデューサーと話をする中で、一番ハマったのが今回プロデュースしていただいたクマ原田さんなんです。オモシロイ人で。ヘンなことを言うというか、Jポップのセオリーではない、クレイジーなものの見方をする。あの人の感性には一般的な日本の音楽業界とは大きな違いがあった。とても自由だったんです」

嶋津「はい」

広沢「例えば日本では、Aメロ→Bメロ→サビがあって、それと同じことを二回繰り返して、間奏がありオチサビのようなものがあり、途端に静かになって、最後のサビがドーンっていうので終わる、という。曲の構成として、こういったセオリーがあるんですね」

嶋津「確かに言われてみれば、そういった形のPOPSをよく耳にします」

広沢「それって何十年も前からあって、未だにメジャーにいくとアーティストはそれを教えられるんですよ。アップデートが止まっているような気がしてならない」

嶋津「ある意味、教科書をなぞるという行為ですね」

広沢「そうです、過去のヒット曲をなぞるみたいなところがあって。それが日本の音楽業界ではガラパゴス化しているんですよね。海外にいくと余計にそれが際立つ。きっとね、日本のプロデューサーたちも気付いているとは思うんです。でも、そこに揺さぶりをかける人は少ない。シフトチェンジには当然リスクがついてきます」

嶋津「クマ原田さんはもともと別の環境にいたからそういった縛りはなかった、と」

広沢「そうなんです。彼はロンドンに住んでいて、日本の様式とは全く別の位置にいる。彼の独特の感性の他にも、そういった背景も要素の一つにあると思うのですが、とにかく自由だった

嶋津「それで、会いにいった、と」

広沢「はい。もともと東芝EMI時代の同期に高宮マキさんという素晴らしいアーティストがいて。彼女を介して何度か一緒にお食事をしたり、お話をしたりすることがありました。その時はそれだけだったのですが、『じっくりと話をしてみたいなぁ』という思いがあり、一度ロンドンへ遊びに行きました」

嶋津「はい」

広沢「クマさんの家に行き、朝から晩まで話をして。もちろん音楽の話もしますが、ワークショップや教育について。また、政治の話だったり。音楽とは一見関係がないような話をずっとしていたんです。それがとにかくオモシロかった。なぜクマさんがロンドンに来たのか、その行動力や発想も興味深かった。心から『あぁオモシロイなぁ』って。この人と一緒にアルバムをつくったら新しい扉が開けるかもなぁ、と。それで『一緒にやってくれますか?』とお誘いして、実現した」

嶋津「確かに広沢さんも日本では異種の匂いがしますものね。クマ原田さんとは肌が合った、という感じでしょうか。広沢さんの言葉を借りれば、セオリー通りのタイプではないプロデューサー

広沢「そうです。そのようなきっかけを求めていた時期にちょうど出会った。振り返ってみれば、そこには『日本人ではない』というのがキーワードあったように思います」

スクラップ&ビルド

嶋津「クマ原田さんにプロデュースをしてもらったことで、作品は大きく変わりましたか?」

広沢「思っていたのと全然違う形になりました。もちろん良い意味で。一度僕のことを全部崩して欲しかった。それが実際に起こった」

嶋津「スクラップ&ビルド」

広沢「そうですね」

嶋津「『思っていたのと全然違う形』と仰いましたが、広沢さんの『思っていた形』とはどのようなものだったのでしょうか?」

広沢「向こうの音楽シーンでは、若い世代で流行しているフォークがあるんです。それはジョニー・ミッチェルだとか、ああいった昔のオープンチューニングの。つまりオールドスタイルのフォークで今のことを歌うという。若い世代はそれを結構やっている。歪んだギターと今のサウンドが合わさったハイブリットなフォークですよね。僕はそういったものをイメージしていたのですが、出来上がってみたら全く違ったww」

嶋津「良い意味で想定外」

広沢「もはやフォークですらないww」

嶋津「具体的にはどのようなレコーディング風景だったのでしょうか?」

広沢「とにかく自由なセッションでした。クマさんがいて、バンドがいて。プリプロといってアレンジを詰めていく作業があるんですね」

【プリプロ】

レコーディングする前のいろいろな作業のこと。曲のもととなるアイデアや詞を持ち寄り、それをアレンジャーやバンドのメンバーと、アイデアを展開させて膨らませたり削ぎ落としたりして形にしていく作業。

広沢「日本のPOPSの世界って結構、ちゃんとプロデューサーが作り上げて『こんな風な感じ』って出した時には、ほぼほぼ仕上がっているんですね。ミュージシャンがそれに順じて叩いたり、弾いたりという」

嶋津「はい」

広沢「そうすると90点以上のハイスコアが出ますよね。ただね、その枠からは出ない」

嶋津「ハイスコアはハイスコアだが、それ以上のものにはならない」

広沢「簡単に言えば、そういうことです。これは一般的な話ですので全部が全部そうではないという前提で話します」

嶋津「非常にナイーブな話題ですね」

広沢「『日本の音楽業界について意見を述べる』というのではなく、ロンドンの標準的な価値観とを比べるために分かり易く言っているのですが。先ほどの話に戻すと、そういった決まりきった工程においては、思った感じにはなる。ただ、そこでおしまい。それとは対照的にクマさんとやった作業というのはプリプロといっても、最初に決めているのはテンポ・グルーヴ・キー、あとは構成くらいのものなんです。実際に細かいアレンジっていうのはほとんど決めていない」

嶋津「輪郭だけ決めておいて、という」

広沢「輪郭も輪郭ですね」

嶋津「点(ドット)だけを打っておいて、という感じでしょうか?スタジオに入ってからそれを線で繋いで、さらに立体的にするという。まさに星座をつくるような感覚で

広沢「まさに。それをスタジオに持っていって、スタジオのメンバーで聴いて。それで『じゃあ一回やってみようか』っていう感じです」

嶋津「日本の工程とは全く違うww」

広沢「実際にやってみて、その都度『ここはこうかなぁ』とクリエイトしながら修正していく。『さすがだなぁ』と思ったのが、向こうのミュージシャンの力量です」

嶋津「と、いいますと」

広沢「引き出しが多いというか。普通なら『それ違うんだよな』っていう演奏をされた時に『違う、もっとこうしてくれ』ってなるでしょ。それが無い。『それ、いいね』って。思っていた感じではないけれど、『じゃあ、今のもう一回やってみよう』っていう風に」

嶋津「個人個人を尊重している」

広沢「そうなんです。それをすごく感じた。『それは違うから、こうして!』というよりも『それ、いいね』っていう。『じゃあ、それに合うのはこうじゃない?』って」

嶋津「積み上げていく作業ですね」

広沢「そうです。『いいなぁ』っていうのが出れば、他のメンバーからもどんどんアイディアが出てくるし。すごくいいムード。そういうのが『クマさん、さすがだなぁ』と。そういう空気作りも含めてプロデューサーの仕事だから」

嶋津「日本では、といいますか、音楽業界の現状はそのような空気感というのは珍しいのですか?」

広沢「そうですね。一般論として話を極端に単純化していますが、少なくとも、ある要素においては僕の言っていることに共感してもらえる日本のミュージシャンやプロデューサーは多いのではないでしょうか。僕は日本人だし、もちろん日本の音楽業界のことは好きで。好きだからこそ『もっと変わっていけばいいのにな』という想いがあります」

嶋津「そのような空気感が日本にも入ってくると、ミュージシャン全体の底上げにもなる。ロンドンのミュージシャンは個人のもともと持っている体力といいますか、地肩が違うんですね」

広沢「テクニックよりも、アイディアの力が全然違いますね。例えば、ドラマーだけどピアノも弾けるだとか、歌がものすごくうまいとか。エンジニアだけどドラム叩いたりだとか。みんながミュージシャンなんですよ。こっちの人(日本)は、それこそ分業で『俺はこれだけ』みたいな感じ。向こうの人は誰でもそこに楽器があれば弾くし、本当に自由」

嶋津「先ほど仰っていた『思っていたのと全く違うものができた』というのは、その繰り返し(試行錯誤)の中での結果なのですね」

広沢「そう、『そっちいくの!?』みたいなことの連続ですから。思っていたハイブリット型のフォークではなかった。でも、つくっている最中は『よし、いけ!いけ!』っていう感じで。それがカッコイイんです。ダサかったらもちろんダメですよ。カッコイイのが前提で」

嶋津「レコーディングを通して、広沢さんの中でも新しい発見があった、と。求めていた刺激が」

広沢「そうですね。ドキドキしたし」

嶋津「いいですね。『ドキドキした!』って」

広沢「それが欲しかったですから。エキサイティングしました。ミュージシャンたちね、みんなが『自分の音楽だ』って思ってやっている。例えば、休憩でね、僕がトイレに行って、そのままちょっとふらっと散歩に出た。15分くらいして帰ってくるとメンバーが『できたよ』って」

嶋津「www」

広沢「『何が?』って聞いたら、頼んでもいないイントロが勝手にできていたりするんですよ。それで『どう?』っていう感じでこっちを見ている。悔しいことにカッコイイから『うん、いいね』ってなる。そういうミュージシャンたちの姿勢も僕にとってはとても気持ちの良いものでした」

嶋津「ゆとりというか、遊びの部分が重要視されている現場なんですね」

広沢「そうです。ダメだったら『ダメ』と言えば良い。そのことで彼らも全然嫌な顔とかはしない。『じゃあこっちはどう?』みたいな感じで新しいアイディアに修正する。コミュニケーションが高度というか、密度が高い。日本とは全然違いますよね。それに時間の流れがゆったりしている。『スタジオ何時まで?』とか『早く録っちゃわないと!』みたいなことが全然ない。ないけれど、仕事が遅いわけではない。とても不思議なのですが」

嶋津「お互いを尊重し合える柔軟な関係性。理想的ですね」

広沢「そうですね。でもね、10年前の僕だったらダメだったと思うんですよ。余計なことを言われたら『うるさい』って。『僕のやり方がある』という姿勢でしたからね」

嶋津「なるほど。確かにセルフプロデュースをされてきたというのは、ご自身で全てをできるっていうことですものね」

広沢「だから意見はあるんですよ。クマさんに言われたことに対して『僕だったらこうするけどな』っていうのは絶対にある。でも今回は心をオープンにして、『提案されたことは一回やってみる』というのを決めて取りかかった。それが向こうの雰囲気と次第に馴染んでいき、だんだんと音楽をつくることが楽しくなった」

嶋津「『月の指揮者』を作った後に抱いた困惑。それを解決するものがロンドンにあった」

広沢「そうですね。『ここにあるんじゃないかなぁ』と、最初は半信半疑だったものが明確になりました。ロンドンに行き、想像していなかったものができたという喜びが」

嶋津「話は変わりますが、ロンドンでの街並みだとか、風景の中では音楽が溢れていたとお伺しました。今回CafeBarDonnaという小さな場所でライブをしてくださったのも、それらの影響があったのでしょうか?」

広沢「向こうの人はみんな音楽が好きだし、『音楽を聴く』という習慣がある。また環境が整っています。ミュージシャンたちの中で、もちろんスターはいるけれど、そうではない人たちも山ほどいて。そういう人たちはライブハウスやクラブはもちろん、パブでも歌うし、路上や地下鉄でも歌う」

嶋津「街の中に音楽が息づいている」

広沢「それとね、外で歌うのにもライセンスが要るんですよ」

嶋津「そうなのですか?」

広沢「それが日常の仕事となっている。日本でいうと『路上』っていうのは若者の修行の場じゃないですか。そういう感じでもなく、ちゃんとライセンスを取得しないと演奏できない」

嶋津「そういう意味では音楽家を育てる土壌づくりとしては実に見事ですよね」

広沢「見事だし、街の人もみんな足を止めて耳を傾けます」

嶋津「ロンドン滞在中は路上だったり、パブだったりっていうのは広沢さんも足を運ばれてご覧になったんでしょうか?」

広沢「はい、行きました。路上では僕も演奏しました」

嶋津「そうなのですね!」

広沢「ライセンスはありませんでしたがやりましたww」

嶋津「反応はどうでしたか?」

広沢「ちょいちょいチップを入れてくれましたよww」

嶋津「ある意味、原点回帰というか。日本だったら絶対にできないじゃないですか。規定が厳しいっていう部分と、お客さんが集まり過ぎるっていうこともあったり」

広沢「昔やってたんですけどね、デビューしてすぐくらいの時に」

嶋津「え?じゃあ広沢さん、メジャーデビュー後に路上ライブをされたんですか?」

広沢「そうです。毎日やっていた時期があるんです」

メジャーデビュー後、CDの売れ行きが芳しくなかった時期があった。

3万枚売れたのだが、レコード会社的には「もっと売りたい」と。

事務所の人間に「ストリートでもするか?」と言われたのがきっかけだったという。

相手は発破をかけるつもりだったのだろう。

しかし広沢さんはこの言葉にカチンときた。

「分かりました。やります」

気付いた時にはそう答えていた。

「ただ、やるのであれば徹底的にやりますので」

そう言うと、東京から大阪へ渡った。

お世辞にも広いとは言えないビジネスホテルの一室を借りて寝泊まりをした。

そして、毎日路上へ足を運んだ。

一つの場所で演奏が終われば、次の別の場所へ。

毎日30~40分のステージを2、3ヵ所回った。

広沢「僕の中ではあそこ(路上)で結構得るものがあってね。その後の音楽人生の中に大きく影響した。それが大きくは二つあって。一つは『お客さんの顔が見える』ということ。もう一つは『お客さんへの届け方』っていうところ」

嶋津「はい」

広沢「それまでは群衆の前でライブをすることに『怖い』という感覚が少なからずあった。もちろん敵ではないけど、得体が知れない相手に対して演奏するわけで。『いいところを見せないと』っていう気持ちが強かった。でもね、路上ライブををすることによってお客さん一人一人と対話するような感覚になることができた。一人一人それぞれに人生があって、『こういう人が自分のライブに来てくれているんだ』ということが理解できるようになった。そうするとニュートラルに歌えるようになったんです。その経験が糧となっています」

嶋津「森全体に向かっていたのが、木の一本一本に語りかけるようになった。確かに感覚としては違うものですね」

広沢「もう一つは、お客さんに届ける方法。もちろんこちらを見て欲しいし、足を止めて欲しい。でも『こっち来て!』とか『どうですか!』とか言ったりすることっていうのは、相手の心に届かないんですよ」

嶋津「呼びかけるのでは届かないのですか?それじゃあどうすれば良いのでしょう?」

広沢「まずは自分の世界をステージにつくること。そしたら、人は『何だろう?』ってこちらに注目してくれるんです」

嶋津「声をかけるのではなく、自分の世界をつくった方がお客さんは見てくれる、と」

広沢「そうですね」

嶋津「そのような発想にはなかなか至りませんね。確かに、広沢さんと他のアーティストが出演されるステージを見に行かせてもらった時、広沢さんが登場した瞬間に空気が変わったのが分かりました。それまでに演奏していたアーティストのステージも盛り上がっていたのですが、広沢さんが登場した瞬間、空気が0になった。つまり、あれは意図的なもので。自分の世界を構築する技術だったのですね」

広沢「そうです。それを出さないと説得力は出ない。皆と同じ空気でやると、その枠の中に収まってしまう。そうではなく、自分の世界をどれだけ滲みだせるか

嶋津「そういうのって、戦略的なものですか?また、経験からくるのでしょうか?」

広沢「経験ですね」

嶋津「ということはやはり最初の頃は『違うなぁ』とか『うまくいかないなぁ』という葛藤があったのですか?そのような体験を経て、試行錯誤の中で身につけた力ということですね」

広沢「そうです」

嶋津「非常に興味深いです。15年ぶりにロンドンで路上ライブをされた感想は?」

広沢「意外と『日本語でいいんじゃないか』っていうのはありましたね。英語にこだわらずとも、実際にはこだわっていいますが、『日本語でもいいんじゃないか?』っていうのがありまして。ちゃんと伝われば言葉は何でも良い

嶋津「その話オモシロイですね。音楽自体が世界共通言語だと思うのですが、海外で演奏するのであっても歌詞は日本語のままでもいいじゃないか、と」

広沢「そこまで無視される感じはないし、それをどう伝えるかのアイディアはいると思うけれど。でも、音楽は一緒だと思った

ここで私の広沢タダシ論を述べてみたい。

広沢さんは自身でも言及しているように『月の指揮者』を一つの完成系として捉えている。

私も同様に考える。

あの作品は紛れもないマスターピースである。

『月の指揮者』の歌詞カード。

その冒頭で広沢さんはこう述べている。

僕たちは夢を見るときに月を見上げます。

僕たちは涙をこらえるために月を見上げます。

僕たちは遠い誰かを想うときに月を見上げます。

そして僕たちはそこで、揺れる一本のタクトを見つけます。

タクトはゆっくりと、ひとつひとつ、音を招き入れるようにして揺れていきます。

すると音楽は鳴り始めます。

それは海よりも深く、かつて聴いた事の無い複雑なアンサンブルです。

僕が果たしてそこで何を担っているのかは分かりません。

ただ、いつだって僕が見上げると音楽が始まるので、何かに貢献しているのかもしれません。

その荘厳な音楽の一部になれていることを想像するだけで、僕はとても満たされた気持ちになります。

僕たちを繋いでひとつにしているのは、そのタクトではないでしょうか?

もしそうだとしたら、そのタクトを振っているのは誰でしょう?

そのあまりにも美しい文章に心を惹かれると同時に、月に宿された不思議な力に共鳴せざるを得ない。

この中で広沢さんは、月を見上げた時に耳にする音楽について語った。

それは月をミューズとして、つまりインスピレーションの源として認識している、ということ。

月と広沢さんが呼応した時、音楽が流れはじめる。

私は、広沢タダシというアーティストのことを、極めて「月」的な人物だと感じている。

月は天体に浮かぶ物理的な存在である一方、「ルナティック」と英訳され「狂気じみた」という意味を持つ。