今、日本に必要なもの。
先日、西天満のとある会場で半学半教実践塾の講義が行われた。
半学半教実践塾とは慶応義塾大学を創設した福沢諭吉の精神である『半学半教』を元に、実践体験へと繋げることを念頭に置いた学びの場だ。
「半学半教」とは、教える側と学ぶ側が別々にあるのではなく、お互いに教えあい、 学びあい、そして啓発しあうことで深く学び、 お互いを高めていくことで、福沢諭吉はこの精神を指針に塾(現、慶応義塾大学)を設立したといわれます。 「半学半数実践塾」もこれにならい、互いに学び、互いに教え、 さらに実践を助け合い、これからの人生が、黄金の23年となることを目指して。
〈半学半教実践塾のHPより〉
何事でも、先に学んだ者は後から学ぶ者よりも優れている。
その道の専門分野ならば尚更のこと。
一人一人が先生となり、先に学んだ者が、後から学ぶものに教える。
そして自分自身は、さらに先の者から学ぶ。
それが「半学半教」。
「教えながら学び、学びながら教える」ということ。
一人一人がお互いに教え合い、学び合って、お互いを高め合う。
世界における日本を視る。
今回の半学半教では「日本の未来予想図」と題し、松下政経塾、そして衆議院議員政策秘書の経歴を持ち、現在家庭教育や幼児教育への取り組みに尽力されている杉本哲也(すぎもとてつや)氏の講話を傾聴した。
「僕が医者だとしたら、今の日本は末期癌に侵された手の施しようのない患者です」
開口一番、杉本氏はそう言い放った。
憂国の情は切迫していた。
突然のことに、聴講者は鳩が豆鉄砲を食ったような顔に。
そして、杉本氏は三つの言葉を紹介した。
・「一身独立して一国独立す」
・「立国は私なり、公は非ざるなり」
・「政の大体は、文を興し、武を振るい、農を励ますの三つに在り。其他百般の事務は皆此の三つの物を助くるの具也」
上の二文は福沢諭吉、下の一文は西郷隆盛の言葉だ。
「一身独立して一国独立す」は『学問のすすめ』の第三章に記された文言。
また、「立国は私なり、公に非ざるなり」は『やせ我慢の説』の冒頭の文言である。
国として独立をするということは、国民一人一人の独立を意味する。
国家というのはひとりでにできるものではない。
人間が集まって一つの形になる。
つまり、国家と国民の関係性は非常に密接である。
言い換えれば、国民一人一人の独立がなければ国の独立はありえない。
また、西郷隆盛の言葉から、政治というものは文を興し→教育、武を振るい→軍事安全保障、農を励ます→食料でできていることが分かる。
つまり、教育・軍事安全保障・食料の三点の自立が成立して、はじめて国として独立しているといえる。
今の日本が真の意味で、独立国として体を成しているのか。
杉本氏は福沢諭吉と西郷隆盛の言葉を引用し、そこへ時事問題を重ね合わせることで、現在の日本の難点をつまびらかにした。
世界の中で日本がどのように見られているか。
また、自立した身でいるのか。
まずはエネルギー問題において。
現在の日本のエネルギー体制は自立した状態ではないことは自明の理。
基本的には海外からの輸入に頼りっぱなしだ。
それが全て悪いと言っているわけではない。
輸入に頼りつつも、自立する方法を見出すべきだと杉本氏は語る。
杉本氏はガスプロムの役員とディスカッションをする機会があり、その時の話を聞かせてくれた。
ガスプロムとはロシアのエネルギー会社だ。
輸出資源は天然ガス。
ロシアの中のロシアと呼ばれているほどの影響力と資金力を持つ。
病院や幼稚園などをつくり、社員の家族は社内で生活を完結することができる体制を整えている。
杉本「例えばエネルギーを考えた時、日本で原発を反対する人がいますね。あれは一体どのような人たちなのか分かりますか?」
確かに福島原発事故の被害者として原発に反発をしている人もいるだろう。
ただ、街中でデモをしているのは左翼のプロ市民なのだという。
では、プロ市民とは一体何なのか?
それはある組織から金銭の援助を受け、つまり雇われた市民。
「原発反対のため」に集められた人員なのだ。
問題はその資金源はどこなのか。
左翼といってまず頭に浮かぶのは中国、あるいは北朝鮮だろう。
しかし、実態はより複雑な大国の思惑が絡んでいる。
杉本「実はアメリカが最も資金を出しているんです」
アメリカは2013年にシェールガス革命が起きた。
シェールガス革命とはシェール層からの石油や天然ガス(シェールガス)の抽出が可能になったことにより、世界のエネルギー事情が大きく変わることを指す。
アメリカはシェール層が国土のほぼ全域に広がっている。
そこに埋蔵されている石油や天然ガスは100年分を超えるといわれ、世界最大のエネルギー輸入国から2020年には一転資源大国に躍り出ると見られている。
シェールガス開発の成功によって、アメリカの目論見は諸外国へ向けたシェールガスの販売に向けられた。
エネルギー資源におけるシェールガスの強豪相手は原子力発電だ。
原発を廃止し、その代替を火力発電に変えてしまえば自然とシェールオイル、またはシェールガスの需要が増える。
つまり、日本のエネルギー環境を原子力発電から火力発電に切り替えることで、アメリカのエネルギー資源を輸入する選択肢を増やすことを目的としているのだ。
アメリカの営利団体は積極的なロビー活動で、世界中で次々と原発を廃止させている。
その中で日本の反原発団体にも資金を流しているというのだ。
杉本「それに乗っかろうとしているのがロシアなんです」
火力発電だとシェールガスだけではなく、もちろん天然ガスも売れる。
ガスプロムに有利に働くというわけだ。
2011年に起きた福島の原発事故以来、世界中で原発を止めた国は三つ。
ドイツ・イタリア・日本
杉本「どこかで聞いた事ありますね?そう、日独伊三国同盟。この三国は原発を廃止し、火力発電へと移っていく。当然ロシアは天然ガスが売れる見込みをつけて、天然ガスのパイプラインを引いた」
ロシアからヨーロッパに向けて引かれたパイプライン。
一つはノルド・ストリーム(ノルド=北)、最終目的地はドイツ。
もう一つはサウス・ストリーム(サウス=南)、最終目的地はイタリア。
そして、日本に対してはサハリンパイプラインを建設した。
これでサハリンから北海道へパイプラインを通し、天然ガスを供給することが可能になった。
このロシアからの働きかけに、快く応じた日本の政治家がいた。
杉本「松下幸之助が幼い頃、自転車を売った逸話があります。客に買ってほしいと言うと『一割五分負けろ』と言われた。自転車を売ったことのない幸之助少年は承諾し、大喜びで親方に報告した。すると『なぜ一割五分で売ったのだ』と親方に問い詰められた。そして『一割負けにして買ってくれ、と言ってこい』と言われた。幸之助少年は、それが言えずにしくしく泣いていると、親方に『お前、一体どっちの店員だ!』と怒られたといいます」
会場は笑いに包まれた。
杉本「その政治家にも同じことが言えます。『あなたは日本とロシア、どちらの政治家ですか?』と」
そして続けた。
杉本「ヘンリー・キッシンジャーというアメリカの56代国務長官が言っています。本来、外交というのは『世界的パワーバランスを配慮しないといけないが、自分の国の国益を追求しなさい』と」
世の中、いい人ばかりではないように、いい国ばかりではない。
基本的に外交は欲望のぶつかり合い。
その中で日本も自分たちの国益を考えなければならない。
杉本「エネルギー問題に関しては、外国のロビー活動にやられっぱなしです。全く自立を果たしていない」
アメリカがシェールガスを売りたいとなったら、当然中東の石油の価値は下落する。
それをさせないために、一旦石油の値段を下げて経済的にシェールガスを入れ込めないようにした。
一時に比べガソリンの値段が下がったのはそのためだ。
杉本「皆、それぞれの思惑があります。これらの思惑の中で日本はどのようなエネルギー戦略にもっていくか。海外から輸入にばかり頼っていると、諸外国の思うがままだ。それよりも自前でエネルギーを開発した方がいい。メタンハイドレート(化石燃料の一種)のような海底に沈んでいるものの利用法や太陽エネルギーの開発に力を入れるべきです」
とにかく日本はもっと自立をするという方向に物事の舵をきっていかなければならない。
杉本氏は安直な方向へ政治が流れていることを指摘した。
杉本氏が次に問題点として挙げたのは日本の軍事安全保障について。
緊迫する極東アジア。
隣国の脅威、その背景を充分に読み取り、備えなければならないと警鐘を鳴らした。
習近平政権の続行により、さらなる経済的な躍進を予期させる中国。
世界GDP二位だった日本が中国に抜かされて10年。
杉本「フルマラソンで例えると、戦後一斉にスタートした国々。30キロ付近までトップにアメリカがいて、かなり距離を開けられていたが二位を日本が走っていました」
日本が世界のGDPの中でピークに達したのが1995年のこと。
世界のGDPにおいてアメリカが世界のおよそ15%を占め、日本は10%を占めていた。
当時の日本にはそれなりに経済的なステータスがあった(今と比べれば)。
日本のGDPはバブルが弾けて以降、ほぼ変わらず500兆円あたりを行ったり来たり。
杉本「アメリカはさらにGDPを伸ばしているのに、日本の経済成長は停滞したまま。下からは中国が伸びてきている。箱根駅伝でも山の神と言われるように、追いつかれたら最後、あっという間に抜き去られてしまう。たまに並走することはあっても、一般的には抜かれる側というのはずるずるとスピードを落としていく。日本が中国に抜かれたのは2008年。それがたった10年で、中国はもはや日本のGDPの2倍先(平成28年:およそ1100兆円)まで進んでいる」
今、日本は世界の中でもプレゼンス(軍事的な存在感)をどんどん失っていっている。
杉本「中国もお金儲けだけで済むのならまだいい。彼らももともと中華思想を持っていて、中国中心の国益を考える思想の国です。そのような国が資金力を持つと危ない」
中国における外交、または軍事ビジョンはこうだ。
2010年までに海洋進出を実現する。
第一次列島線と呼ばれ、九州を起点に沖縄、台湾、フィリピン、ボルネオ島にいたるライン。
この領海を自国の領海と見なす戦略だ。
2020年までには第二次列島線までを領海に。
千葉県から小笠原諸島までの範囲。
日本の半分以上が中国の領海となる。
そして、2030年には第三次列島線までを。
領海の範囲は西太平洋全土。
日付変更線より西側全てを中国の領海にする。
そのビジョンに則り、動いている。
尖閣諸島に船が侵入するのも、小笠原諸島で中国漁船による珊瑚の密猟が行われるのも、その戦略通りの動きなのだ。
杉本「また、中国は宇宙への戦略も立てています。2030年までに中国専用の宇宙ステーションを作ろうとしている。宇宙の制空権を狙っている人間の命のかかった安全保障も、非常に危うくなってきている」
そして、インドの外交のシンクタンクとの会合での話も聞かせてくれた。
シンクタンク・・・種々の分野の専門家を集め、国の政策決定や企業戦略の基礎研究、コンサルティングサービス、システム開発などを行う組織。頭脳集団。
中国という国はパキスタンという国を使って、嫌がらせをしてくるのだという。
パキスタンとインドは戦後からの関係、または宗教上のことから不仲であることは周知の事実。
中国とインドは国境を接していて、なし崩し的に国境を広げようとしてくる中国に対してインドが主張するとパキスタンが悪い動きを見せるのだ。
杉本「似たような話があるでしょう。日本が中国に対して文句を言おうとしたら、北朝鮮がミサイルを撃つ。つまり、北朝鮮のミサイルは決してアメリカや日本に北朝鮮が独自でやっていることではない。中国が北朝鮮にやらせていることなのです」
そこを正確に見定めておく必要があると杉本氏は語る。
政務担当公使との会話は興味深いものだった。
杉本氏はインドと日本の良好な関係の理由を公使に訊ねた。
杉本「『インドのモディ首相と一番仲の良い首相を知っていますか?』と私が尋ねると政務担当公使はこう答えた。『それは安倍首相でしょう。だから日印関係は良好なんですよ』。これは違う。私は言いました。『インドのモディさんが一番仲が良いのは、日本の森さんなんですよ』。言葉遊びみたいですが本当なんです」
モディ首相が一番懇意にしている首相は、森喜朗元首相なのだという。
それは杉本氏が衆議院議員政策秘書をしていた頃の話。
モディ首相が来日した際、日印交流協会の催しで最初に挨拶をしたのが森喜朗氏だったのだ。
杉本「モディ首相は元々首相になる前から、森元総理の家に泊まりに来るくらいプライベートで仲が良い。インドで何かをする…例えば新幹線、ムンバイとデリーを結ぶ新幹線の発注をするとなった時には、最終的なネゴシエーション、つまり根回しをするんだったら森さんからモディさんに言ってもらうのが早い」
外交は水面下の交渉だ。
誰と誰が知り合いで、懇意なのかを把握しておく必要がある。
杉本「杉原千畝など、あの時代に大使や公使には諜報員としての役割もあったわけだ。日露戦争の時だってそうです。セオドア・ルーズヴェルトと金子堅太郎がハーバード大学の同級生だったからポーツマス条約がうまくいった。こういうプライベートな付き合いは軽視してはならない」
杉本氏は軍事安全保障に関しても、エネルギー問題同様、自立からは程遠いと指摘した。
次に挙げたのは、食に関する問題。
杉本氏は食においても日本の自立は絶望的な状況だと評した。
杉本「TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に入るか入らないかの問題があります。TPP加入国は、ほとんど遺伝子組み換え食品がOKの国です。つまり、TPPに入ると遺伝子組み換え食品が全部日本に入ってくることになる」
人件費の高さから、価格で野菜や果実などの食材を他国と競い合っても勝ち目がない。
今なら中国、これからだとベトナムに負ける。
杉本「西郷の『農を励ます』というのは、勝算のないところで勝負してはダメなのです。広く浅く、何でもいいから、というのではいけない。商売というのはターゲットを絞らなければいけない。」
日本の戦略としては、薄利多売ではなく世界の高額所得者にターゲットを絞り、食品を生産することだと述べた。
杉本「昨年末にドバイに行きました。するとそこではスイカが3万円で売っているんですね。それも鳥取県産のスイカでした。ドバイは砂漠の多い場所ですから野菜や果実は栽培できません。つまり、全てを輸入に頼っているのですね。いくら高くても富豪が多いですから、食の安全保障のために彼らは買うのです。そういう国にターゲットを絞って、日本の安心安全な農作物を輸出する。いざとなったら(売れなかったら)自国の国民で食べればいいじゃないですか。そのような農業政策が自立への第一歩ではないでしょうか」
日本の政治における考え方、その全てが自立するベクトルへ向かっていない。
杉本「『今の日本は末期癌に侵された手の施しようがない患者だ』。私がそう言ったのにはこういった理由があります。私の見立てでは東京オリンピックの終わった2025年までの間に最大の危機が訪れると思っています」
では、その最大の危機からどのようにして回避すれば良いのか?
杉本「基本的には海外に高飛びしてもらうのが一番良い。お金を全部持って。それができない、若しくは嫌ならば、福沢先生の言葉通り、この国の中で『一身独立』しなければならない」
最大の危機とはどういうことなのか。
杉本氏は、それは国が動かなくなった状態だと説明した。
杉本「2011年3月11日に東日本大震災が起きました。救援物資をかき集め、3月14日には私は現地に駆けつけていました。そこで見た光景。私は、日本が破綻すると日本中の全てが被災者になるのではないかと想像します。お金はある、だけど物がないので買うことができない。そういう状態です」
そしてアインシュタインが日本に来日した時の話を語った。
日本という国の文化を尊重したアインシュタイン。
1922年、アインシュタインは日本へ向かう船の上でノーベル物理学賞受賞の一報を受けた。
本来は前年に同賞を受賞する予定だったのだが、アインシュタインの理論を証明する手立てがなかったのでペンディング(保留)されていたのだった。
それだけに受賞の報せはアインシュタインの心を躍らせた。
そのような晴れやかな気持ちで来日した彼は、講演をするため様々な場所へ足を運んだ。
その中で、浄土真宗大谷派の僧侶近角常観氏との対談が予定されていた。
元々、アインシュタインは日本の仏教に興味を持っていた。
近角氏と会うやいなや、アインシュタインは尋ねた。
「仏様とは一体どのような人物なのですか?」
ユダヤ教は一神教。
ユダヤ教徒の彼にとって神様はヤハゥエ唯一人。
それ以外は仏といえども人間に過ぎないのである。
そうすると近角氏がこう答えた。
その昔、日本には姥捨て山という文化がありました。
ある程度の年齢になると食い扶持を減らすために捨てられる。
とある飢饉の年でした。
ある息子が母を捨てるように命じられた。
母を捨てるというのは決まって月がきれいな日。
「山の上で綺麗な満月を見ましょう」
こういう誘い文句がありました。
捨てられる方も分かっている。
「ついに、きたか」そういう感覚です。
息子が母を背負い、山道を歩いているとポキポキという音が聞こえました。
注意深く様子を窺うと、背中の母が目の前にある木の枝を折りながら道へ落していく。
息子はその様子を見て「ひょっとして母は帰ってくるのでは?」と考えました。
「捨てられることを分かってるはずなのに」と思いながらも先を急ぎました。
頂上で母を下ろし「じゃあお母さんこれで」と言ったら、母は息子にこう言いました。
「あんた、気をつけて帰りなさいよ。あんたが安全に帰ることができるように、木の枝を落としてきたから」
息子はその時、母が折っていた枝は自分が帰るためではなく、息子のためだったということを知りました。
母を少しでも疑った自分が恥ずかしいといって泣き崩れたのです。
奥山に 枝折る莱は誰がためぞ 親を捨てんと いそぐ子のため
そのような短歌が今でも残っています。
栞(しおり)というのは遠足などに持って行く道案内として使われていますが、語源は枝を折るというところから。
道案内という意味はそこからです。
仏様というのは自分を殺そうとしている人に対しても愛情をかけます。
この母親のような人のことを仏様というのです。
近角氏の話にアインシュタインは泣き崩れ、「本当に日本という国は素晴らしい。このような国が世界からなくなったら困ります」と言った。
杉本「果たして、アインシュタインが生きていたとしたら今の日本を見て、この国を残したいと思うでしょうか?」
そしてこう続けた。
杉本「日本は末期癌患者。唯一の処方箋は教育です。国民一人一人の独立のためには教育しかありません」
杉本氏は毎週土曜日に寺子屋を開いている。
二年が経ち、授業の回数も100回を超えると子どもの数も増えてきたという。
先ほどのアインシュタインと姥捨て山の話や武士道の話、偉人伝を話すと子どもたちは目を輝かせて耳を傾ける。
そして杉本氏はこう語る。
杉本「教育を通して大切なことは親子関係です。『日本は大丈夫だ』と言っている経済学者や著名人は口を揃えて『家族など必要ない』と言う。でもね、私たちは親から生まれてくるんですよ。それを否定してどうするんですか?日本人にとって必要なのは親子の絆をきちんと確立するような教育です。一身の独立は家族の絆。政治家に全てを任せるのではなく、自分たち一人一人がやる。正直、政治は誰に任せていても変わりません。そのために必要なことは、大人がきちんと子どもにそのような環境をつくってあげることではないでしょうか?」
そう言って講演を締めくくった。
博識な知性と教育に関する情熱、そして機知に富んだ杉本氏の講演に万雷の拍手が注がれた。
《杉本哲也》
昭和54年3月 大阪府生まれ
京都大学大学院工学研究科修了
味の素株式会社、松下政経塾、衆議院議員政策秘書を経て、
現在、家庭教育や幼児教育、保育、食育の講演に携わる
NPO法人大阪府木村式自然栽培実行委員会副理事長