top of page

哲学としての珈琲。

唯一無二から伝説へ。

その店の名は『ザ・ミュンヒ』。

〈オーナー:田中完枝さん〉

大阪府八尾市、住宅街の中にその店はあった。

外壁には「珈琲だけの店」と書かれている。 

店の前に立つと、その異様な力を感じずにはいられない。

磁場による歪。

それは、ここの主が40年近く注いできた熱量。

その蓄積に他ならない。

僕は思い切って、扉を開けた。

店内に入ると、芳醇なコーヒー豆の香りが鼻腔をくすぐる。

そして大型のバイクと大きな水出しコーヒーの器具、それから絢爛豪華な器の数々が視界を楽しませる。

店内を囲む貴重な器の数々。

稀少なマイセン(旧ドイツ製)の磁器にバカラ(フランス製)のグラス。

美術館の中にいるような感覚だ。

世界を代表するコーヒー。

「世界一」という言葉はあまりに主観的過ぎる。

しかし、ここでしか飲めない一杯がある。

「唯一無二」

そう、ここのコーヒーは紛れもなくオンリーワンだ。

ザ・ミュンヒは世界で一杯だけのコーヒーが飲める店だ。

「今まで飲んでいたあれは何だったのか?」

ここのコーヒーを飲んだ瞬間、あなたは今まで飲んでいた「コーヒー」と呼ばれる黒い液体の正体を疑うだろう。

概念は覆される。

それはひどく痛快な体験だ。

人生で、あと何回「既成概念」を覆す出来事と遭遇するだろう。

そう思うと、人生の儚さを感じると同時に時間の尊さを噛みしめる。

はじめに言っておこう。

この場所に来れば、その体験ができる。

そしてあなたは確信する。

「これこそ、真のコーヒーだ」

店の主は、バカラのグラスに水を入れ、メニューと共に差し出した。

一杯1,100円~と、一般的な店よりも高めの値段設定。

中には100,000円という幻の創作コーヒーまである。

僕はおすすめを注文した。

「それならゲイシャのデミタスにしますか?いいのが入ったところです」

ゲイシャとは豆の品種名だ。

僕は店主に身を任せるよう、その全てを委ねた。

目の前に、大量の細挽き豆が詰まったネルと器が用意される。

店主は僕の向かいの席に座り、こう言った。

「できるまでね、あと30分はかかります」

そして取材ははじまった。

ザ・ミュンヒ。

店主の名は田中完枝という。

《コーヒー=生き方》

嶋津「デミタスというのは?」

田中「 デミタスというのは玉露というようなニュアンスです。フランス語で半分という意味になる」

嶋津「お茶でいうところの濃茶や玉露みたいなものですか?」

田中「そうですね。一番良いところだけを抽出するので」

嶋津「デミタスでも一杯淹れるのに30分かかるのですね」

田中「これはまだ早い方です。僕の淹れるコーヒーは豆の量に伴って時間がかかる」

嶋津「豆の量?」

田中「普通の店なら一杯あたり12g。僕のところは少なくとも30g~、平均だと50g。中には150gというものもあります」

嶋津「150g?一杯あたりの豆の量ですよね?」

田中「そうです」

嶋津「150gですと、どれくらい時間がかかるのですか?」

田中「50分かかります。150分かかるものもありますよ」

嶋津「かなり特殊ですね。なるほど、一杯あたりの値段が高く感じましたが、そう聞くと納得がいきます。それだけ豆をふんだんに使っていれば……いや、むしろリーズナブルだ」

田中「そこから30~60ccだけ抽出します」

嶋津「え?それだけですか?」

田中「一番搾りです。コーヒーはね、抽出する最初の10%~20%が何より美味い。本来の旨みはそこで出し切る」

嶋津「なるほど、凝縮された旨みだけを取り出す。残りは薄めているに過ぎないのですね。まるで精油のようだ」

田中「そうです。エッセンスです。うちは豆も多いし、ネル出しなので時間(抽出)もかかる。かなり特殊な方法です」

嶋津「それにしても、器が美しいですね。マスターは美術にも造詣が深いのですか?」

田中「好きなことは好きです。ただね、コーヒーを美味しく味わえる器で飲んでほしいという気持ちからです」

嶋津「飾りではないのですね!驚きました。稀少なマイセンがこんなにも。まるで美術館にいるようです」

田中「コーヒーはね、磁器ですよ。色々試しましたけれど、僕は磁器が一番しっくりきた」

田中「お茶なら陶器でいいかもしれない。珈琲なら磁器だ。口当たり、舌触り、そのファーストアタックを決めるのは器。僕は薄い方が好き。それもマイセンがいい。色々試した上で、これが一番というものを出しています」

<美術書に掲載されている金塗りの磁器も並んでいる>

「とにかくコーヒーにとりつかれているからね。

まぁ、というより生き方にね」

『ザ・ミュンヒ』は1981年に創業。

田中「元々、この店をオープンしたのはバイクがきっかけなんです」

嶋津「そうなんですか?」

田中「世界に5台のMUNCH。これを皆に観て欲しかった。観てもらうのに一番適しているのが喫茶店だと思ってね」

嶋津「当初はコーヒーが売りというよりも、バイク先行での開業だったのですね!」

田中「はい。最初は普通のコーヒーを出していましたね。一杯250~300円のものを。近隣の学生が集まって、毎日満席で賑わっていました」

嶋津「今とは全く違うスタイルだったんですね」

〈店名の由来となった世界に5台といわれるバイク『MUNCH(ミュンヒ)』

創業当初のザ・ミュンヒは近隣の学生が集まり、日々満席だった。

珍しいバイクの噂を聞きつけ、メディアにも紹介された。

みるみるうちにザ・ミュンヒは繁盛店となった。

田中「でもある日、ふと思った。このままではまずい、と。確かに毎日お客さんで店は埋まっている。ただ、学生しかいない。それも賑やかなので近所の人は敬遠して来ない」

嶋津「学生の店、というイメージ」

田中「彼らはいずれ学校を卒業する。そうなると店に来なくなる。学生も来ない、地域の人も来ない。これでは具合が悪い」

嶋津「その前に何かを変えたい、と」

田中「はい。コーヒーにしても、良いものを出したいという思いは高まっていった。性格的に尖っていく(追求していく)タイプだから」

嶋津「次第に専門的になっていった、と。それで今のようなスタイルに?」

田中「決め手となったのは、とある店を訪れた時のこと。今でもそうですが、当時から店をしながら『うまい』と言われる店には全国何処へでも飲みに行きました。その一軒にランブルという店があった」

『カフェ・ド・ランブル』

東京の銀座にその店は鎮座する。

創業70年を誇る老舗だ。

田中「そこで飲んだコーヒーがうまかった。その時、ピンときた」

〈カフェ・ド・ランブルの印章〉

ランブルと他店との違いは豆の量だ。

普通、一杯あたり豆を8~12g使用するところを、ランブルではおよそ18gの豆を使用していた。

田中「一番搾りだけを提供している。抽出した前半のみだけ。贅沢な使い方だ。だからコーヒーの味が凝縮されている」

嶋津「なるほど。先ほどマスターの言っていた方法だ」

田中「今、うちが出しているコーヒーは一杯あたり少なくとも30g~です。ランブルは今のうちに比べればたったの18gに過ぎない。それでも当初は感動した。そして、『この味を越えて行こう』と決意したんですよ」

「豆に力を入れよう」

ランブルとの出会いが、ザ・ミュンヒの指針を決めた。

良質の豆をふんだんに使い、濃縮された味わいにこだわる。

コーヒー豆のエッセンスだけを取り出すその技法で。

田中「でも、これは非常に難しいテーマだった。豆をたくさん入れたからといってうまくなるという単純なものではない。それなりの豆(上質)を使わないと話にならない。焙煎も自分でやって微妙な調整を加える。豆の粗さは細かめにした方がしっかりとした味になるが、下手すると雑味も出て不味くなる。それを一つ一つ試作していった」

嶋津「気の遠くなるような作業ですね」

田中「コーヒーの味には淹れる人間が出ます。今までの経験と、自分が勉強してきたものの成果が写し鏡のようにはっきりと」

嶋津「どこかで修行されたのですか?」

田中「いえ、全て独学です。誰かの下で働いたことはありません。美味しいコーヒーは世の中にたくさんある。それをまずは自分の舌に体験させる。それで全国を周ってきました」

嶋津「独学ですか!すごい」

田中「先日も仙台まで片道1000kmをスーパーカブで16時間かけて行きました」

嶋津「仙台?コーヒーを飲むためだけにですか?」

田中「喫茶店のオーナーも驚いていました。往復2000km。鹿児島まで950kmですからね、それより遠い」

コーヒーにかける情熱は留まることを知らない。

田中「『この種類だけでいい』ということはない。深煎りから浅煎りまで全て飲む。あらゆるコーヒーの幅を知り、体験させて、記憶させる」

嶋津「なるほど。では、生豆が届き、焙煎する頃にはマスターの頭の中ではドリップした後のコーヒーの味がイメージできているのですね」

田中「そうですね。『どの状態が一番美味い』というのは分かります」

嶋津「つまり、頭や舌の記憶を辿り、イメージの味と答え合わせしながら焙煎やブレンド、ドリップする感覚ですか?」

田中「まさに。ですから、経験や知識だけでなく、あらゆる要素が必要となります」

嶋津「コーヒーに人間が出る、とはそういうことなんですね」

田中「僕にとって、コーヒーは生き方です

そしてザ・ミュンヒは変貌を遂げていった。

田中「 店へ人が来ている間に、コーヒーをグレードアップしていき、値段も徐々に上げていった。常連だった学生たちも 『高い』とは言いながらも一杯600円ぐらいまでは来てくれていた。開店から15年を過ぎた頃には、今までの客層はほとんど来なくなった。反対に、その頃には一般の人が来るようになっていた」

嶋津「今のスタイルに切り替わったのですね」

田中「メディアの反応も変わりました。今までバイクのことを取り上げてくれていたのが、次はコーヒーをフューチャーしてもらえるようになっていった」

そのこだわりと探求心はどこから来るのだろう?

僕が「文章を書いている」ということを話すと、田中さんは自身が16歳から書き続けている詩集を持ち出した。

田中「詩が好きでね、今でも創作を続けています」

ザ・ミュンヒの営業時間は午前6時から午前3時30分までだ。

21時間以上、店を開けていることになる。

お客さんがいない間、田中さんはその時間を思索と創作に費やすのだという。

コーヒーの哲学は、文学論へと移行する。

コーヒーへの情熱と探求心、そしてその理由。

それは、意外なところに答えがあった。

田中さんは10代の頃に中原中也に傾倒した。

カウンターには田中さんが敬愛する中原中也の詩集『山羊の歌』(初版本・直筆サイン入り)が飾られている。

嶋津「中原中也が好きなのですね」

田中「彼は天才です。私の文学のきっかけを与えてくれたと言っても過言ではない」

嶋津「『サーカス』や『汚れちまった悲しみに……』などの作品は今でも多くの人に愛されていますね。中也のどういったところがお好きなのですか?」

田中「そのような有名なものもありますが、私が衝撃を受けたのはそれとはまた違うもの。例えば、『逝く夏の歌』という詩があります。私はこの詩との出会いで世界が変わりました」

嶋津「どのような詩なのでしょう?」

田中「夏のある暑い日。空の向こうからジュラルミンの飛行機が飛んでくる。その飛行機が太陽に照らされ、ギラっと光る。それを見てね、中也はこう言うんです。『昨日私が昆虫の涙を塗っておいた』

嶋津「昆虫の涙、いいですね。発想が空間を飛び越えている。かなり特殊な表現だ」

田中「『昆虫の涙を塗っておいた』この言葉は出てこない。これこそが詩人の言葉だと思った。私はね、この一行にやられました。」

嶋津「繊細な表現の中に、童話のようなファンシーさもある」

田中「雷(いかづち)に打たれたような感動がありました」

〈自作の詩集を開く田中さん〉

田中「中也は人間的に見ると決して褒められた人物ではない。ただ、詩を創る能力が天才的だった。だから周囲の人には多めにみてもらえた」

嶋津「人格的な欠点があったのですか?」

田中「それはもう。言いたいことを包み隠さず言うので、周りの者は逃げ回っていたようですよ」

嶋津「過剰に正直な言葉は人を傷つけますものね」

田中「困った連中が別の場所へ引っ越しても、中也はそこへ追いかけて引っ越した、という逸話もあります」

嶋津「ビジュアルも整っていて、夭折の天才というくらいで。中原中也のことは詩の世界しか知りませんでした」

田中「彼はね、人間自体を愛しているんだと思います。好きも嫌いも包括して愛している。だからあんな詩が書ける」

嶋津「人間に対する愛が常人を越えた言葉を生み出している、と」

田中「作品と人間性は比例するわけではない。人間的にダメになると、その欠落した能力を穴埋めするために能力が一点に集約されていく」

嶋津「一点集中によって、作品が洗練されていく。なるほど」

田中「そりゃあ、大江健三郎のように人格も作品も良ければ一番良いだろうが、そういう人はなかなかいない」

嶋津「確かに中也にかかわらず、啄木にしろ太宰にしろそうですね」

中原中也、石川啄木、若山牧水、北原白秋、三好達治。

様々な詩人の名前が出てきては、その一節を朗読し、意見を酌み交わす。

田中さんとの文学談義は尽きない。

逝く夏の歌

並木の梢が深く息を吸って、

空は高く高く、それを見ていた。

日の照る砂地に落ちていた硝子を、

歩み来た旅人は周章てて見付けた。

山の端は、澄んで澄んで、

金魚や娘の口の中を清くする。

飛んで来るあの飛行機には、

昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。

風はリボンを空に送り、

私は嘗て陥落した海のことを 

その浪のことを語ろうと思う。

騎兵聯隊や上肢の運動や、

下級官吏の赤靴のことや、

山沿いの道を乗手もなく行く

自転車のことを語ろうと思う。

(『山羊の歌』より『逝く夏の歌』中原中也)

見るポエム、走るポエム、飲むポエム。

田中「詩人からはとんでもないものが生まれる。考えても出てこない言葉が。小説家は考えればそこそこの言葉は出てくる。しかし、詩人の言葉は凡人がいくら考えても出てこない」

嶋津「予期しない言葉」

田中「最小限の言葉でイメージを何処まで飛ばせるか」

嶋津「時間や空間を越えて、言葉一つで異世界へワープさせるような力がある」

田中「後世の我々が読んだ時にでも、考えの及ばない言葉を紡ぐ。光景が移り行く」

嶋津「言葉が映像(イメージ)となって次々と展開する。確かに小説とは違い、言葉が濃縮されているような気がします。言葉のエッセンスだ」

田中「私はそれを『見るポエム』と表現しています」

嶋津「言葉のエッセンス。マスターの淹れるコーヒーのようですね」

田中「バイクは走るポエム、そしてコーヒーは飲むポエムだ」

嶋津「見るポエム、走るポエム、飲むポエム」

なるほど、全てはポエム。

濃縮されたそのエッセンスを取り出す作業。

田中さんがつくるものは、アウトプット(出力)の方法が違うだけで、全てポエムなのだ

飲むポエムを味わう。

そんな話をしている間に、ゲイシャのデミタスの抽出が終わった。

若干とろみのある黒い液体は、鈍く光っていた。

「飲んだら感動しますよ」

田中さんはそう言って、頬を緩めた。

30分かけて砂のように細やかなコーヒーの粉の中をくぐりぬけてきた水。

そこには香りや、色や、風味や、あらゆるストーリーが凝縮されている。

飲んだ瞬間に広がる物語。

口に入れた瞬間に衝撃が走った。

その複雑で、繊細な風味。

小さなクラスターが爆発し、ビッグバンのように広がっていく。

甘さ、酸味、苦さ、コク、旨み、濃厚さ、やわらかさ、質感、棘、果実、チョコレート。

あらゆる風味、感覚が、同居し、無限に広がり続ける。

それはオーケストラによる交響曲のように。

リズムを刻み、ハーモニーを奏で、時間と共に変化していく。

まるで物語を読み進めているような感覚だ。

口の中に入ったコーヒーの色合いや輝き、そして訴えかけるメッセージが次々と展開する。

時にビビットに、時にデリケートに、時にダイナミックに、時にたまゆらに、移ろいでゆく。

その織り成す物語を、全身で楽しむのだ。

そして、その余韻の長さ。

それは、まさに飲むポエム。

しばらくの間、言葉を失った。

この初めての体験に、全身を、全ての感覚を委ねた。

「これは芸術だ」

中原中也の詩が、言葉を通して、異次元の世界へ解き放つように。

ラフマニノフの旋律がミューズとなり、別の感情を湧き起こすように。

若冲の分子レベルの明確さ、シャガールの燃えるような世界、キューブリックの鮮烈な色彩。

あらゆる芸術は、僕を別の世界へと届けてくれた。

そしてこのコーヒーもまた、たった一滴の雫が、僕に様々な世界を見せてくれた。

芸術には、説明のできない、そんな力がある。

その間、田中さんはどのような表情をしていたのだろう?

僕のことを微笑んで見守っていたのだろうか、鋭い眼光で凝視していたのだろうか。

コーヒーを飲んでいる間、田中さんの存在さえ忘れていた僕にはその正確な答えを知る術はない。

その後、抽出した豆を使用してアメリカンを頂いた。

田中「二杯目は飲料水感覚で」

砂糖を入れるとレモンティーのように華やかで、清々しい味わいに変わった。

嶋津「マスター、感動しました」

田中「飲むポエムです」

嶋津「デミタスというのはこれほど多種多様な風味が並列に凝縮されているのですね」

田中「はい」

嶋津「それに、こちらのアメリカン。え?どうしてこんなにもフルーティなのですか?」

田中「コーヒーはもともと果実(フルーツ)ですからね。瑞々しさと酸味。つまり果実の最も果実らしい部分を味わってもらっているんです」

嶋津「あぁ(詠嘆)。なるほど、コーヒーが果実であるということを再認識させられました。でも、この甘さは砂糖ですか?酸味の後に甘みが押し寄せる。酸味がはっきりとあるのに、時間差でやわらかな甘みが。これはどういうわけでしょう?」

田中「砂糖を入れると酸味が増すのは、コーヒー自体の本来の隠れている味わいが出てくるためですね。果物でも甘みの中に酸味がある。酸味と甘みは紙一重」

嶋津「おいしい。酸味の後のとても上品な甘み」

田中「もちろんゲイシャのポテンシャルを引き出したことで生まれたもの。あとは、このフランス製の砂糖によるものでしょう。あらゆる砂糖を試して、一番相性の良いものを選定しています」

〈一滴ずつ抽出するネルドリップ〉

詩を愛し、バイクを愛し、コーヒーを愛した男。

6時の開店から夜中の3時半までずっとこの場所でコーヒーを淹れ、思索と創造に耽る。

美味しいコーヒーがあると聞けば、その一杯のために何十時間でもかけて飲みに行く。

嶋津「失礼ですが、マスターはおいくつですか?」

田中「74になります」

嶋津「無休で働き、各地へ飛び回る。その体力は一体どこからくるのですか?」

田中「お客さんが来ない、というのが理由の一つではないでしょうか。僕の店のスタイルでは21時間以上店を開けていても、実際にお客さんが入っているのはその1割の時間です。これが10割ずっとお客さんで溢れていたら体がもたない」

嶋津「なるほど」

田中「ずっとこの場所でコーヒーを淹れたり、文章を書いたりしていることが体力になっている」

嶋津「日々の生活のリズムが丈夫な体をつくっている、と」

田中「普通コーヒー一杯の値段が1000円を超えたらお客さんはこない。なぜなら一般的には400円500円で出されるものだから。でもね、値打ちがあれば来てくれる。どんな遠いところからでも」

嶋津「全国から噂を聞きつけて訪れる」

田中「北海道の旭川から来たお客さんもいた。交通費の方が高いのにね。先日は海外からの取材もあった」

嶋津「なるほど。本当に良いものを出していれば、距離や金額は関係ないのですね」

田中「八尾のお客さんは10人中1、2人くらい。それでも構わない。心から飲みたい人に飲んでほしい」

生き方が一つの味に。

田中「これは矛盾する話ですが」

嶋津「はい」

田中「この味を出そうと思うと、経営の仕方もこのようにしなくてはならない。つまり、儲かることを考えていてはできないんです」

嶋津「確かに、儲けを考えると非効率な経営方法ですね」

田中「儲けながら美味しいものを出すのが普通ですよね。でもね、どれほど美味くてもそれは商売の範囲内の美味しさなんですよ」

嶋津「なるほど」

田中「その美味しさを越えて行こうと思えば、矛盾するようだが、商売にならないことをやっていかねばならない」

嶋津「商売をする上で、商売にならないことをやる」

田中「商売にならないということは普通、心が折れる。心が折れないという事は、それだけ哲学的な生き方をして自分自身を支えているということ。つまり哲学や思想がないと無理だ」

嶋津「商売にならないことをすれば美味しいものはできる。それを支えているのはその人の哲学や生き方」

田中「そうです。僕の生き方全てが一つの味になっていくのです」

田中さんの言葉に圧倒された。

生半可な覚悟では成立しない店である。

そして人生である。

田中「ここはいずれ伝説になります。僕ももう若くはない。今のうちに飲んでおいてもらわないと」

人間を愛するということ。

田中「コーヒーにこだわっている人というのはたくさんいます。仕事にこだわり過ぎて、自分のコーヒーに合わない人は客ではないという考えです。『俺が作ってやっている』という感覚。いわゆる頑固者です」

嶋津「老舗などではそういった風潮を感じる店は少なくありませんね」

田中「仕事に頑固でも良いが、お客さんにも頑固というのはいけない。一番大切なことは人間を愛すること」

嶋津「人間を愛するということ?」

田中「このような商売をする者ならば、誰しもがコーヒーを愛している。僕だってそうだ。だけど、それよりももっと大切なことは人間を愛するということ」

嶋津「はい」

田中「コーヒーは人間が飲むものです。犬や猫がコーヒーを飲むわけではない。それならば人間に対する愛情を持つことが何より大切だ。コーヒーばかりを愛していても仕方がない。コーヒーを通して人間を愛することができる。人間というのはお客さんを含めてね」

嶋津「コーヒー本位にはならない。こだわりのコーヒーをつくっていらっしゃるのに柔軟なお考えですね」

田中「自分のコーヒーに合わないお客さんが来ても、その人に合うコーヒーを出してあげればいい。腕があるのだから。アメリカンが好きならばアメリカンを出してあげればいい。何も濃いコーヒーばかりが全てではない」

嶋津「相手に合わせたコーヒーを淹れてあげる」

田中「そのためには、相手(人間)を知り、愛すること」

嶋津「マスターにとってコーヒーはコミュニケーションツールの一つということですね」

田中「そうです」

嶋津「人間を愛する、というのはどういうことなのでしょう?」

田中「好きな人だけを好きになるのは愛ではない。嫌いな人までも同じように好きになるということが愛です」

嶋津「非常に難しいですね」

田中「仕事には頑固、お客さんにはフレンドリー。これが僕のポリシーです」

文学だってそうだ。

愛すべき人間、憎まれる人間の存在が物語に奥行きを与える。

コーヒーも同じ。

旨味もあるけど、苦みもある。

両方あるから味に深みが出る。

好きも、嫌いも。

また、酸いも、甘いも、苦みさえも含めて愛情で包み込むことが大切なのだ。

「僕が生きている間に、みんなが来てくれたら。

そう思う」

そう言った店の主。

田中完枝の珈琲とその哲学を、出来るだけ多くの者に味わってほしい。

〈「自分の世界の中に陶酔している時が一番幸せ。

陶酔というのは時間を忘れている、没頭しているということである」〉

bottom of page