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株式会社MIMAの人気の理由vol.1

~黄色い情熱に燃える社長~美馬さんと話してみた。

先日、八尾の人気リフォーム&不動産会社MIMAの代表取締役社長、美馬功之介さんにお話を聞かせて頂きました。

お仕事内容から、人柄にこだわった独自の社員教育、人の繋がりが生んだ数々のエピソード。 取材させて頂いた中身の濃い2時間、そこには美馬社長の情熱と人柄が物語る人間力のエッセンスがたっぷり。 一言も取りこぼさないよう、真剣に耳を傾け、ノートにペンを走らせました。 マンパワーから滲み出るもの。 美馬社長は言います。

「素人で構わない。 やる気さえあれば知識や経験は年数と共にあればついてくる。 明るさが一番です」 その人間力の秘密に迫っていきます。 ~黄色い情熱に燃える男~ 嶋津「今日は取材、よろしくお願いします」 美馬「こちらこそお願いします」 嶋津「にしても、黄色いですね!www」 美馬「そうでしょ?wwwハッピーイエローです」 株式会社MIMA『すまいるプラザ』の外壁、その全てが黄色く塗られています。 もちろん、社長室も例に漏れず黄色。

嶋津「どうしてまたここまで黄色一色にされたのですか?」 美馬「僕のラッキーカラーなんですwww それとね、2015年にこの『すまいるプラザ』という新社屋を建てた時、社員に提案したんですよ。 全部黄色に塗らないか?って」 嶋津さん「社員の方々の反応はどうでした?」 美馬「7割くらい反対されましたwww」 嶋津「え!?」

7割の反対があったから、「これはいける」と思った。

美馬「白い壁にしようっていう話だと誰も反対しなかったと思うんです。 でも、黄色くしようって言ったことで7割の反対があった。 何かを推し進める時には必ず反対意見がないとダメだと僕は思っているんです。 それだけインパクトがあるってことですから。」 嶋津「確かにこの部屋もインパクトがありますww」

株式会社MIMA 1965年、父の美馬功さんが自宅にてリンナイ(株)のサービスマンとして事業を開始する。 1973年、美馬商店としてガス器具販売を開始。 1990年、株式会社美馬商店として法人化。 美馬「90年に株式会社にしています。 これは僕が大学時代の話です。 株式の練習がしたくて父の会社を法人化させてもらいましたww」 嶋津「練習でですか?」 美馬「はい、一応子供の頃にアルバイトのような形で父の仕事の手伝いはしていましたが、継ぐ予定はありませんでした。 義兄がいましたので、父の会社は義兄が継ぐものだろうと思っていましたし、僕は僕で不動産の仕事がしたかった」 嶋津「そうなんですね!」 美馬「実際、僕は大学を卒業後、大和団地(株)〈現:大和ハウス〉に就職しました」

トップセールスマンを目指した不動産営業時代 美馬「もう、がむしゃらに働いていましたね。 宅建(宅地建物取引士)の資格を取って、俺がこの中で一番になる! それだけを考えて毎日営業マンとして走り回っていました」 嶋津「そうなんですね。てっきりお父様の会社で働いていて、そのまま会社を継いだのだろうか、と」 美馬「そうじゃないんですよ。 僕ね、『親父の会社を継いだ二代目』って思われるのが嫌でww 僕は僕ですし、やはり僕のイメージの中では『創業者』って格好良かったんですね」 嶋津「一番への想いが強い、と」 美馬「はいww やるなら一番になりたいじゃないですか。 高校時代、学級新聞で一面に『美馬は天動説だ』って先生に書かれたくらいですからwww」 嶋津「テンドウセツ?」 美馬「はいww 天動説です。 自分を中心に世界が回っていると思っているというwww にしても学級新聞に書かれるとは思いませんでしたがww」 嶋津「wwwなるほど! それでは、なぜ美馬商店を継いだのでしょうか?」

震災の体験で変わった心。 美馬「あれは1995年ですね。 阪神・淡路大震災が起きました。 私の家は倒壊を免れましたが…。 その頃、神戸で働いていましたので一番被害の大きかった現場にも足を運びました」 嶋津「そこでの悲惨な現場を」 美馬「天災ですから、地震で人が亡くなることは仕方がないかもしれません。 でも、建物に挟まれて亡くなるなんてこんな悲しいことはない。 家に携わる者として、これはいかん。 そう思いました」

美馬「その前に『実家の美馬商店をどうする?』という話になっていまして」 嶋津「どうする?と言いますと」 美馬「義兄が独立するという話になったんです。 美馬商店の名は継がずに、独立して会社を起こすので美馬の名は潰してもいいか? 父も高齢になりましたので。 僕は大和ハウスにいましたし、まぁ仕方がないだろう、と」 嶋津「誰も美馬商店を継ぐ者がいない、と」 美馬「はい。 震災の体験は僕にとって大きな衝撃で。 それまでトップセールスだけを考えていた僕の心に別の想いが生まれました。 建築のことをもっと考えないといけないんじゃないか」

美馬「実家に戻るとね、以前僕の知っていた元気な父の姿はなかった。 活気に溢れ、仕事の時のあの凄みを感じないんです。 それがとても淋しかった」 嶋津「そのような気持ちもあって美馬さんが継ぐことを決意した、と」 美馬「はい。 建築の世界をもっと良くしよう。 あと、僕が美馬の名を継げば親父も元気を取り戻してくれるんじゃないか。 そんな気持ちも少なからずありました」

28歳坊主職人、新たに美馬商店を歩み始める。 美馬「最初は酷いものでした。 当時で僕は既に28歳でしたからね。 職人の世界では10代から仕事をはじめるのが基本です。 遅いどころの話ではありません」 嶋津「職人からはじめられたのですか? 業界の異端ですね」 美馬「その頃の仕事は下請けですから。 手に技術をつけなければどうにもならないんですよ」 嶋津「大和ハウスでの実績を捨て、28歳で一から職人として、ですか」 美馬「三年経った頃、義兄が独立して美馬商店を抜けました。 その後は父と僕、それから今の専務である稲葉を引っ張ってきて3人で動き回りました。 彼もその時、職人0ヵ月でしたので、働きながら学ぶというスタイルですよ」

「美馬は終わった」 美馬「もうね、悔しい日々が続きました。 周りからは『美馬は終わった、美馬は終わった』と散々言われましたよ。 そりゃそうですよね。 高齢の父、坊主職人3年目の僕、もう一人(稲葉さん)は坊主職人0ヵ月が戦力ですから」 嶋津「それでも辞めるという選択肢はなかったのですね?」 美馬「もう反骨精神のみです。 今に見てろ、今に見てろ。 その思いだけで踏ん張りました」 トップセールスマンだった頃とは全く別の生活。 大幅に減った給料。 作業服を着て軽トラで移動する日々。 どん底を経験して、美馬さんは様々な景色を見たと言います。 人との関わり合い、そして接し方について。 不動産をやっていた時に感じた、腰の低い工務店の態度が、下請けになった途端に手のひらを返したように一変したこと。 「こんにちは!」と元気よく挨拶しても無視されることもしばしば。 また、30年間続けてきた個人のお客さんとの繋がりに対する想い。 どんな状況でも応援してくれる人、そして感謝。 今まで気付きさえしなかったことが、頭の中だけでなく、肌感覚で分かっていく。 美馬「自分が勝てるのは職人としての技術ではない。 人としての魅力、つまり明るさだ。 言ってしまえば素人でも構わないんです。 やる気さえあれば知識や経験は年数と共にあればついてくる。 人との関わり合いで最も大切なのは明るさです

企業に大切なのは結局は人。 美馬「同じことをしても怒られる人、怒られない人がいます。 その違いは何か。 クレームは基本的に人に対する怒りです 正直、難癖をつけようと思えば簡単にクレームにできます。 つまり対応している人間が気に入らないと、何をしてもクレームに繋がるのです」 嶋津「なるほど。 確かに同じことをしても怒られる人と許される人がいる」 美馬「相手を喜ばせるコミュニケーションを心がけること。 技術より先に、人として大切なのはその力だと思うのです」 嶋津「だから続けることができた」 美馬「もちろんスタートの遅いハンデを何かで埋める必要はありました。 とりあえず、元請け業者になりたかったんです」 嶋津「元請け?とは何でしょう」 元請け・・・注文主から直接仕事を引き受けること。また、その業者。さらに、その仕事を他が請け負う下請けに対していう。 美馬「下請けだとお客さんの喜んだ顔が見れないんですね。 この家のキッチンを取り付けたのは僕たちなのに、お客さんと会う前に不動産屋に渡してしまうのですね。 お客さんに知ってもらえないんですよ。 とにかくお客さんの喜んでくれる顔を直接見たかった」 それから美馬さんは、様々な資格を取得。 給水装置や排水整備、ガス管、建築士に至るまで。 ようやく自分たちのみで建築物をリフォームできる会社にまで成長させました。 美馬「やっぱり、お客さんが喜んでくれる顔を見れるのが何より嬉しいですね! 僕たちは当たり前のことをしているだけなんです。 古いキッチンを新しく作り変えたり、立て付けの悪い扉を直したり、トイレを綺麗にしたり。 当たり前のことをするだけで、驚くほど喜んでもらえる。 リフォームは僕の天職だ、そう思いました」 嶋津「やはり下請けの頃と気持ちは違いますか?」 美馬「それはもう全く違います。 ダイレクトなお客さんの声が届くというすばらしさ。 当時、まだ未熟で分からないことも多く、お叱りを受けることもありましたが、そんな声でも直接お客さんの口から聞けるというのは本当に嬉しかったです。 喜んでもらえると、それはもうより一層のこと」 嶋津「直接お客さんの顔を見ながらお仕事することって大切ですね」 美馬「信頼関係は生のやり取りです。 有り難いことにMIMAでは毎年1600件もの受注があります。 その度にお茶を飲む家が毎日一軒、二軒と増えていく」 嶋津「お茶を飲む家?」 美馬「たまにお客さんのところに『その後、家の調子はいかがですか?』と尋ねていくと皆さん喜んで迎え入れてくれるんです。 今の時代、家に上がらせて頂くっていうのは大きな信頼がないければ難しいじゃないですか。 そこでまた皆さんの笑顔を見て、僕も嬉しいwww」

不思議な人です。 話を聞いているうちに僕まで元気になっていく。 明るさは伝染する、と言いますが、美馬さんは自らを燃料に燃え上がる黄色い炎のような方です。 今回はここまで。 次回はMIMAの不動産とリフォームを同時に提供するワンストップについての話と、業界トップ訪問についてのお話を。 お楽しみに♪

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