「苦しかった、大変だった。そんな話はいらないんじゃない」
大通りから一歩奥へ入った閑静な住宅街。
その一角に店を構えるケーキ屋さん。
コンクリートの道路に突然現れた石畳。
緑の木に赤いテント、壁の色はブラウンシュガー。
その場所だけ、まるでフランスの街並みから飛び出してきたよう。
店の名前は「パティシエオカダ」。
今年の11月11日で20年目を迎える、街のケーキ屋さんです。
瓢月堂(パティシエオカダ)の副社長、岡田博美さんのインタビューがはじまりました。
瓢月堂の創立は昭和37年。
先々代(祖父)が個人店を開業されてからだと80年の歴史を誇る。
パティシエオカダは瓢月堂から生まれたケーキ屋さん。
今年は創立20年を迎えるアニバーサリーの年だ。
岡田「何を話せば良いのか分からなくて」
飾らない振る舞いで、微笑む博美さん。
嶋津「この20年の間に起きたことをお伺したいですね」
岡田「うん、そう思うのだけどね。
でも、『苦しかった、大変だった』、そんな話はいらないんじゃないかと思って」
そう言ってまた微笑んだ。
よく笑う人。
そして、笑顔がよく似合う人。
明るい笑顔。
それは、ケーキという魔法で人を喜ばせ続けてきた人の笑顔。
嶋津「パティシエオカダ20周年をという年を迎えられて、どのようなお気持ちですか?」
岡田「反省ばかりでした。
スタッフに関しても、お客様に関しても。
そして強く思うのは
『もっともっとできただろうなぁ』
いうことですね」
嶋津「『もっとできた』、と言いますと?」
岡田「より良い方法で、もっともっと喜ばせることができただろうし、スタッフにもしてあげることがたくさんあったと思うんです」
博美さんのお話によると、
「あっという間の20年だった」
という。
店をオープンしてから今まで。
良い時も、悪い時も。
様々なことが駆け巡った20年。
パティシエオカダは常にお客様の笑顔を追求し続けた。
「お客さんはがっかりしていないだろうか?」
博美さんが一番に考えるのはお客様の表情だという。
喜んでもらえただろうか?
不備ははいだろうか?
「来て良かった」と思って頂けただろうか?
岡田「やっぱり笑顔で帰ってもらいたいんです。
そのために自分たちにできる最善のことをするように心がけてきました」
嶋津「お客さんを笑顔にする。
確かにケーキはハッピーな気分をより一層高めてくれますね」
岡田「ケーキにはそんな魅力があります。
例えば、店で至らぬことがあって、その気分を台無しにしてしまうのは嫌なんですね」
嶋津「そのために何か工夫されたことはありましたか?」
岡田「美味しいケーキをお出しするということはもちろんですが。
出来る限り、喜んでもらえる演出をしようと思いました。
店の内装でもそうです。
季節を感じてもらえるようにディスプレイしたり、ラッピングも受け取った相手が喜んでもらえるように工夫しました」
嶋津「なるほど」
岡田「あとは反省ですね」
嶋津「反省と言いますと?」
岡田「お客様からお叱りの言葉を頂いた時や、今よりも良い方法を発見した時です。
失敗を反省し、改善することがお客様に喜んでもらえる一番の近道なんじゃないかと思うんですね」
ケーキは幸せの象徴。
考えてみれば、ケーキを買う時に悲しいことを思い浮かべる人はいない。
祝い事や特別なイベント、贈り物や自分へのご褒美としてケーキは活躍する。
ケーキのある場所、それはいつも喜びの中にある。
ケーキを食べる時はたいていみんな笑っている。
ケーキを選ぶ時はみんな、これから目の前で起こるであろう「幸せ」のために、期待を込めている。
そう、ケーキは幸せの象徴。
幸せな気分でケーキを買いに来たお客様を、より一層笑顔にしたい。
博美さんはそう話しました。
嶋津「パティシエオカダができた時、どのようなお気持ちだったんでしょうか?」
博美さんは思い返すように、視線を外し、そしてまた微笑みました。
岡田「パティシエオカダを作った時、
『八尾にお洒落なケーキ屋さんがあるんだけど行かない?』
そう行ってもらえるお店を作りたかったんです」
照れたように話すその姿は、どこか魅力的で。
岡田「例えば、八尾の外から来られた方に地元の方が『八尾には素敵なケーキ屋さんがある』と自慢してもらえるような店にしたかったんです」
照れたのを隠すように少しだけ声が大きくなりました。
自信をもって断言できるほど「素敵なお店」なのに。
どこまでも控えめな方です。
岡田「その想いが強かったですし、それは今でも根幹としてあります。
だから常に新しい試みを続けたいと思っています」
お店の玄関横に建てられた石碑。
そこに刻まれている言葉。
『念ずれば花ひらく』
それは詩人の坂村真民さんの言葉。
坂村さん本人が九十歳の時に刻んだもの。
念じれば思いは叶う。
強く思えば夢は叶う。
決してそれだけの意味ではない。
ただ念じていれば、じっとお願いしていれば夢が叶う、という意味ではなく。
何事も一生懸命、祈るように努力すれば、自ずと道は開ける。
パティシエオカダはその精神で今日まで突き進んできた。
強く念じ、努力すれば、必ず花は開く。
お客様が飽きないようにするために、「新しく、新しく」。
嶋津「お客さんの意見を取り入れることで日々改善してこられた、と。
そしてパティシエオカダは今までに3年、5年、7年、10年…と節目節目でお店のリニューアルも積極的に行ってきたと聞きました」
岡田「はい」
嶋津「店舗としても成功され、地元のお客様に愛されてこられた中で、変化に対しての不安のようなものはなかったのでしょうか?」
岡田「変化に対する不安ですか?」
嶋津「はい。
一度、うまくいけば保守的な発想になるのが一般的だと思うのですが、パティシエオカダは常に変化し続けています」
岡田「ずっと精一杯だったんです」
嶋津「はい」
岡田「やっぱりね、お客様から意見を頂いたり、自分たちでもより良い気付きがあった時は『少しでも良くなる方』にシフトするんです。
その方がお客様は喜んでくれますから」
そう言うと博美さんはじっと言葉を飲み込んだ。
そしてもう一度話しはじめた。
岡田「以前こんなことがありました。
カフェのサービスをしていた時の話です。
ある日、車イスでコーヒーを飲みに来たお客様がいらっしゃいました。
当時、店の入り口には階段しかなく、男性のスタッフが数人で車イスを持ち上げて店内に運びました。
この時、『お店にスロープがあればなぁ』と思ったんですね」
それでもすぐにスロープを作る工事には移れない。
年中無休だった当時、日々の営業に追われるまま時間だけが過ぎていく。
その間にも、その車イスのお客様は何度かパティシエオカダに訪れた。
その度に、男性のスタッフが車イスを持ち上げて店へ運んだ。
しかし、いつからかそのお客様は来なくなったのだという。
岡田「いくらこちらが笑顔でお手伝いをさせて頂いていても、お客様には負担だったのかもしれません。
『お店に迷惑をかけている』という気持ちです。
こちらが『そんなことはない』と言っても、お客様の方が気遣ってしまえば同じことです。
本来ならば、それは必要のないストレスなんですね。
それで、スロープを作ることを決意しました」
嶋津「それで作ったのですか?」
岡田「はじめからスロープがあれば、気兼ねすることなくお店へ来て頂けるじゃないですか」
嶋津「問題の解決法ではなく、問題を取り除く」
岡田「はい。
その方がお客様にとって嬉しいことなんじゃないでしょうか」
「スタッフ、家族、そしてお客様のおかげです」
〈左:木村孝マネージャー、右:岡田博美副社長〉
パティシエオカダと歩んできた20年。
その道のりは決して平坦なものではなかった。
岡田「あまりにも人手が足りない、そんな時もありました。
イベントが続く中で、スタッフがいないけれどケーキを作らないといけない。
20~30種類のケーキを3つに絞り込んで、それだけをひたすらに作りました」
厨房からお客様の姿が見えるパティシエオカダの店のつくり。
ケーキ作りに追われながら、ふと顔を上げると、ショーケースの前にはずらっと人が並んでいる。
やっとの作った10個のケーキを、お客様の前に出したそばから7個、8個と売れていく光景を目にする。
博美さんは休む間もなく下を向き、作業に戻った。
岡田「あの時は『お客様をがっかりさせてしまったかなぁ』と思いました。
人もいない、ケーキの種類も少ない、でもお客様はたくさんいらっしゃる。
手を動かして、動き回るのも大変でしたけど、それよりも心配する心の方が追い詰められていて」
嶋津「忙しい体よりも、『待たせている』という面で精神的に辛かったんですね」
岡田「『待たせちゃダメだ、どうしよう、待たせちゃダメだ、どうしよう』
ずっとそう思っていて。
でもね、お客様は待ってくださいました。
あたたかいお声をかけてくださった方もいらっしゃいました。
手紙をくれた方もいました。
そしてたくさんの人が笑顔で店を出ていきました。
お客様に助けられました」
苦しかった、大変だった時期も確かにある。
でも助けてくれたのはスタッフであり、家族であり、そして何よりお客様の存在だった。
岡田「私には子どもが3人いるんですけどね。
お店も年中無休で、スタッフもいないとなるとどうしても子育てにまで手が回らない。
そんな時、私の妹がタッパーに入れたごはんとおかずを用意してくれて、子どもたちの面倒をみてくれたことも数え切れないほどあります」
仕事終わりに一人で店のディスプレイを作って、帰るのが朝の三時という日も。
明けても暮れてもパティシエオカダと過ごした日々。
岡田「イベントの切り替えの時。
クリスマスからお正月にかけての時が一番大変なのですが、営業終わりにもスタッフ全員が手伝ってくれてラッピングをしてくれたこともありました。
その作業が朝方の三時、四時まで続いて、次の日のオープンの準備が七時」
岡田「ある種の使命感だったのかもしれません。
『楽しみにしてくれているお客様がいる』
そう思うと、どうしても体が動いてしまいます。
その時は必死ですから」
話を聞いているうちに博美さんの人柄に引き込まれる。
真剣な眼差しでお話になるかと思えば、突然ざっくばらんな言葉で周りを笑いで包む。
その姿から誠実さと、素直さが伺える。
表裏のない人柄。
気になればその場で質問するし、感想だって率直に言う。
違うと思えば反対するし、納得すれば全力で応援する。
きっとこの方は、昔からずっとそうなんだ。
この人の作るケーキを食べてみたい。
「お客様の表情をなんとか笑顔にしたい」
岡田「時代によって流行は変わります。
内装の模様にしろ、木目調が良かった時代もありますし、今ではシャープな印象のものが好まれます。
その時の最先端の流行を取り入れるほど、時代が変化した時に〈古く〉感じてしまします。
時代に合わせて変化させていくことも必要です」
嶋津「なるほど」
岡田「ですから、パティシエオカダは時代とお客様に合わせて日々改善していきます。
お客様から頂いた言葉。
反省からの改善」
嶋津「つまり、進化しているのですね」
岡田「でも変わることだけではいけません」
嶋津「と言いますと?」
岡田「芯となる部分がしっかりしていないとお客様はついてきてくれません。
言っていることや、やっていることをコロコロ変えていると、お客様だけでなく自分たちも何をしているのか分からなくなります。
守っていくものと、新しく変えていくもの。
ブレることなくきっちりと持っていることが大切なのです」
例えば、 最近では厨房と販売をスタッフが兼任する店が増えている。
しかし、パティシエオカダでは役割を明確に分けている。
プロとして製造、プロとして接客にもこだわりたいという意識がそこにはある。
卵アレルギーを持つお客様のためにノーエッグケーキの販売もずっと続けている。
卵アレルギーのお客様が来店した時に「在庫がない」ということがないように。
たとえ廃棄になろうが、作り続けることに意味がある。
全てはお客様の笑顔のため。
嶋津「それでは最後に。
これからのパティシエオカダについてお聞かせください」
岡田「若い人の感性でつくり上げていきたいですね。
自分たちの足元はここ(地元)にあります。
これからも地元に愛される店に育つよう、邁進致します」
嶋津「ありがとうございました」
一つの言葉、一つの表情から人柄は現れる。
そう〈人間性〉は細部に現われるものなのだ。
ケーキは人が作っている。
「この人の作るケーキを食べてみたい」
その言葉に尽きるインタビューでした。
~エピローグ~
『念ずれば花ひらく』
パティシエオカダの玄関横に建てられた石碑。
強く念じ、努力すれば、花は開く。
あたかも「花が開く」ことがゴールのように認識されているが、植物の視点から見るとそれは違う。
植物のゴールは「種を飛ばし、次なる子孫を残すこと」だ。
つまり、「花が開く」ことはスタートに過ぎない。
お店もそうなのかもしれない。
店を開くことは「はじまり」に過ぎず、それを後世へと継承することが一つの「ゴール」とも言える。
反対に言うと、誰しもが念じていれば「スタート地点」には立てる。
しかし、そこから「ゴール」へ向かうのは特別な努力が必要だ。
パティシエオカダ20年。
人間ならば成人した年。
博美副社長の想いは、受け継がれていくだろう。
お客様のために変わり続けていく勇気と変わらないもの。
博美さんの視線の先ではすでに新しい種が芽を出そうとしている。 パティシエオカダの次なる物語である。
〈瓢月堂(パティシエオカダ)副社長:岡田博美さん〉
大阪府八尾市八尾木北2-16